2019年、ひさびさにオリジナル・アルバムをリリースしたことで注目を集めた長澤知之だが、あれから半年と少し、早くも今年2枚目となるミニ・アルバム『SLASH』が届けられることとなり、多方面で驚きの声があがった。
その内容はアコースティックな音作りが施された楽曲が目立った前作『ソウル・セラー』と対になっており、大きくバンド・サウンドに舵を切った作品となっている。ドラムスにTRICERATOPSの吉田佳史をはじめ、秋山タカヒコ(downy/THE MORTAL)、ベースの須藤俊明やキーボードの山本健太、そしてCalmeraのホーン・セクションといった腕利きミュージシャンをバックに、多彩な音楽性を思いっきり開陳した感のあるここでの彼であるが、色とりどりな楽曲を揃えたことでヴォーカルの強烈さがいっそう強調されているというか、どこを切っても夢見がちな性格が滲むオンリーワンな声が響き渡るアルバムとなっており、前作以上に〈濃さ〉が際立っていると言ってよいと思う。
なぜ彼はこのようにカラーの異なる2枚を作ろうとしたのか。そしてサウンドの傾向が違うこの新作において、どのような歌を紡ごうと意識したのか。そんな疑問をぶつけてみた。
バンド・サウンドで外に投げかける『SLASH』
――この2枚のアルバムの流れは、前もって描いていたものなのですか?
「アコースティックなサウンドの『ソウル・セラー』が内面を映し出したものと言いますか、ごく個人的な内容になったので、今回の『SLASH』はバンド・サウンドで外に投げかけるような作品にしようという意識が働きまして」
――楽曲の傾向別に分けたということですか?
「分けたところもありますね。ただ、いろんな考えが働いて、ずいぶん昔に作った曲の日の目を見せるタイミングをここにしようと決めたり。“KYOTON”と“いつでもどうぞ”が古い曲で、このアルバムに合うなと思ってレコーディングしたんです。速い曲が欲しかったっていう単純な理由なんですけどね」
――なるほど。バンド・サウンドでパンキッシュにいく曲が必要だったと。
「そうですね。あとファニーで、ふざけているノリも欲しいなと思って」
――8曲入りだけど、多彩な曲調が揃っていて、すごく中身が濃い。
「色とりどりなものにしようと計画立てて進めたわけじゃないし、他の曲との兼ね合いを意識して書いたわけでもなく、曲それぞれの世界観を構築していった結果、雑多な曲調が揃ったってことだと思います」
UFOを待ち、政府の陰謀を信じる男の歌“ムー”
――非常に映像的なアレンジが施されているところもアルバムの特色ですね。 “Back to the Past”の間奏に登場するサックスの調べとか実に効果的。
「“Back to the Past”は未来から現在を見る、という歌詞なんですけど、現在を未来から見つめながら、人と人との一期一会の機会を大事にしたい、と思って書いた曲なんです。過ぎ去ってしまう時間を良いものにしたい。そこで、時間を逆流するようなサウンドが欲しくなって、サックスの演奏をリヴァースしたんですね。で、辻褄合わせじゃないですけど、最後の一節だけ普通の演奏へと戻るという」
――不思議な感覚が得られるのはそういう理由があったからなんですね。“Back to the Past”は未来から現在ですが、オープニング曲“ムー”も過ぎ去った時間を振り返っていたりするし、視座があちこちに飛躍しているというか、過去や未来を行ったり来たりしているのが印象的で。
「未来から過去を見るという方法はよく用いるんですが、何か目標や目的を持って生きている登場人物の視点で物語を進めていくので、当然ながらコロコロと変わっていきますよね」
――登場するキャラクターは空想の人物が多かったりするんですか?
「描かれている世界は完全な空想ではなく、特定のロールモデルがいたりもします。“ムー”の主人公は、ある目的を叶えるために、あるいは世の中を良くしたいがために何かを暴かんとする、あるいは壊さんとしている。しかしいつの間にか夢を達成するという目標を見失ってしまい、手段がゴールというか、暴こうとすること、壊すこと自体がゴールになってしまっている。この主人公はそういった本末転倒な人物で、彼をどういう設定に置けばいいかと考えたときに、UFOを見つけて、政府の陰謀を信じている人物というイメージが生まれたんです」
――この曲にはとにかくヤラレました。〈政府の陰謀〉というフレーズをここまでキャッチーに響かせるとは。最高です。ところで、曲のモチーフになっているオカルト雑誌の老舗「月刊ムー」の読者だったんですか?
「この曲を作ったことで関わりを持たせてもらうようになったんですが、それまでは一度も読んだことありませんでした。UFOを信じる男の物語においてひとつのモチーフとして使わせてもらったってことですね。
ちなみに最初のタイトルは〈ムー(仮)〉ってつけていました。そうそう、ガチな読者の方々を〈ムー民〉と呼ぶんですよね。で、雑誌の創刊40周年記念の集まりでそういった方とお目にかかったんですが、〈ロズウェル事件のアレさぁ……〉とか話しかけられて、な、なんすかそれ!?って(笑)。ぜんぜん知らないんでね」
僕はわりとロマンティックな人間だと思うんです
――(笑)。しかし“ムー”もそうですが、何かの到来を待ちわびている人物というのが長澤知之的キャラだなぁと思わずにいられません。そういう登場人物の心情を表すときの長澤さんの歌声もなんだか浮遊感を湛えていて、独特な風情を醸すんですよね。空想とどうしようもない日常のはざまを揺れているときの長澤さんの歌って実にイマジネイティヴだと思う。
「わりとロマンティックな人間だと思うんですよ、僕は。リアリストというよりも。空を見上げると月があって、星があって、バカでかい天体が頭の上に浮かんでいる。で、視線を落として街並みを見渡せば、見慣れたよくある風景が広がっている。僕らはまあるい地球という惑星に住んでいる。最近の話では、銀河の先に水蒸気が見つかったという。それにブラックホールが観測できたというニュースも耳にした。そういった人知を超えた世界と現実世界が隣り合わせにある状態。量子論とか考えているとすごくロマンを感じる」
――半径数メーターの世界への慈しみと遠い宇宙の果てへの想いの両輪が、長澤知之というソングライターの作家性を形成しているんですかね。
「そういう解釈もあるんだな、って考えると、皆さんそれぞれの意識のうえに世界は成り立っているってことを痛感せずにはいられませんね。あなたにとって俺は他人なんだ。あなたは〈自分〉でいらっしゃるんだね、ま、俺もなんだけど。そう感じることがロマンティックだなと」
――一般的に見たらどうしようもない人物を慈しむという姿勢、この点についてはいかがですか?
「その部分はクリスチャンの家庭に育ったことが大きい。キリスト教は基本的に赦しの世界であり、お互いを愛せよ、という教えですから、相手を傷つけることはよくない。そういう道徳的観念で育ってきました。
ま、途中でグレちゃってすっかり忘れちゃっていた時期もありましたけどね。『北斗の拳』を観させてもらえない、ってことに対して反発したり(笑)。抑圧されることへの反動でそういうものをめちゃくちゃ好きになって、パンク・ロックに傾倒したり。
でもやっぱりどうしても潜在意識に刷り込まれていて、それに培われて生まれた思考と、いろんな音楽的な出会いによって生まれた人への感謝、そのふたつが基本となっていると思います。で、現在は赦しと怒りの両方がいい具合に中和された状態にあるんじゃないかなと思います」