今年の椎名林檎ファンはいつにも増して大変です。6月に、オリジナル・アルバムとしては4年半ぶりとなる大傑作『三毒史』がリリースされたかと思うと、11月には自身初のベスト・アルバム『ニュートンの林檎 ~初めてのベスト盤~』もリリース。この後12月にも『三毒史』のアナログや映像作品2タイトルのリリースが控えており、まさに盆と正月とクリスマスがいっぺんに来たかのよう。なのに編集部には、相変わらずこの御祭騒ぎを一緒に分かち合う相手がいないので、大好評だった前回に引き続き、今回もタワーレコード新宿店の椎名林檎愛好家スタッフ、吉野真代さんに会いに行きました。

ちなみに吉野さん、先日タワーレコード新宿店を林檎さんが訪店された際に、林檎さんご本人をアテンド。念願だったご本人と対面しただけでなく、愛好家スタッフとして「めざましテレビ」や「王様のブランチ」にも出演するなど、一躍名物スタッフになっておられました。

椎名林檎 『 ニュートンの林檎 ~初めてのベスト盤~』 ユニバーサル(2019)

 

タワーレコード新宿店・吉野真代さん

 ――かねてからベスト盤が出るんじゃないかという噂はありましたけど、一方で林檎さんは過去に「ベスト盤は出さない」とも発言されていましたよね。

「そうなんですよね。たしかに噂はありましたけど、にわかに信じてはいなくて、〈まさかまさか〉って感じでした。でもいよいよ本当に出るって発表があった時は〈本当に本当なんですね!?〉って思いました」

――出さないと思ってました?

「もちろんです。でも来年はオリンピックもありますし、これで弾みをつけて……っていうことですよね。今回はベスト盤ということで、椎名さんの楽曲に初めて触れる方も多くいらっしゃると思うので、店舗の展開でもそれはすごく気を付けました」

――今回もすごく愛のある展開ですよね。

「皆様のおかげです。優しい世界で生きてます」

――(笑)。吉野さん的には、林檎さんのベスト盤が出るというのはどういう感じですか?

「〈まさか本当に!?〉って思ったし、何ならまだ実感が湧いてないくらいで。常日頃から曲を書いてらっしゃるわけだから、オリジナル・アルバムだったら出すべきタイミングは来るでしょうけど、いきなりベスト盤を出しますって言われても、〈ほえ~、本当に?〉みたいな上の空の感じです。『三毒史』の時は〈こんな作品がついにこの世に産み落とされた……〉って思って、自分で作った展開を見ても〈うっ〉って来るものがあったんですけど、今回は本当にリリースされるっていう実感がなくて、入荷日もなんだかぼんやりしてたら終わっちゃいました(笑)。〈え、本当にリリースされてる!?〉みたいな」

――でも、ご自身のもとにも届いてるんですよね(笑)?

「はい。実際に現物として新しくなった曲たちがそこにあるので、ようやくだんだんと腑に落ちてきたところです。でもベストが出たというよりは、新しい曲を聴いてるような感じですね。“ここでキスして。”なんて何度も聴いたことのある曲だし、特別思い入れがあったわけでもないのに、今回のヴァージョンを聴いたらなぜか泣いてしまって」

――え、なんで!?

「音の粒がすごくキラキラしていて、よく知ってるけどまったく新しくって、新鮮だし、ビックリもするし、とても不思議な気持ちになったんです。なぜでしょうね……。最初に聴いたのが10代で、もう少しこもった音で、そのなかでキラキラしてる印象だったんですけど、新しい音はもっとクリアーになってキラキラしていて。新しくなった音に心打たれて、なんだか泣けてきました(と言って本当に泣き出す)」

――泣かないでください(笑)。井上雨迩さんによるアップデートミックスですよね。しかもただのミックスじゃなくて、例えば“ギブス”の1回目のサビに入るところでは原曲では鳴ってないドラムが鳴っていたりとか、全体的にミックス以上のことが施されていて。

「鳴ってました。でも再録したわけじゃないから、ゼロまで絞ってた音を出したのか、どういうことなんでしょうかね。本当不思議です」

――ビートルズの『Love』のように、雨迩さんが単純なミックスだけじゃなく切ったり貼ったりをしてるんじゃないかなって思いました。

「そうなのかもしれないですね。ああ、もっと一秒一秒ちゃんと聴こう」

――林檎さんの原曲のパワーもすごいし、さらにキラキラして見えるようにした雨迩さんもすごい。

「どちらもすごいし、どっちのヴァージョンも聴いてる人にはその当時の思い出があって、昔の原曲を聴いてた自分がいなかったらいまの感情は起こりえないし、もうすべてが素晴らしいですよね(泣)。過去からいままでの全部を肯定してもらえた気分です」

――先日、林檎さんご本人が新宿店に来店されて、吉野さん作のポップを写真に収めてましたけど、あのポップに書いてある〈ずっと私たちの一番近くて最も遠くから声を届けてくれた〉っていう言葉に通じることですよね。

「そうです(泣)。すべて肯定してくれている」

――あのポップですごく共感できたのが、〈どの曲もいつも、人の命、生きること、について描かれていることが多くて、嬉しいことがあった時、辛くてこの世に自分がひとりぼっちに思えて仕方がない時に、彼女の歌を思い出すと、まるで自分がその歌の主人公であるかのような気がしてしまうんですよ〉っていうところで。デビューからしばらくは、失礼かもしれないですけど〈ちょっとイタい女子〉みたいなイメージがあったと思うんですけど、個人的にいちばん好きな“虚言症”っていう曲の歌詞を読んだ時に、すごく生きることの尊さを歌ってるような印象を持って。でも世間にはあまりそれが伝わってなくて、まあ恋愛の曲もあったし、服装や外見からのイメージとかもあったと思うんですけど。

「はい。なので、最近はそういうところをとても多くの方に理解していただけてるなという感じがしますね。それこそ〈違いの分かる人は居ます〉だと思います」

――それが来年、オリンピック・パラリンピックのプランニングチームの一員になって、いわば日本の音楽の代表みたいなことになる。違いの分かる人、めっちゃいるじゃんって。

「そうなんです、本当に誇らしいです。最高の世界に住んでると思います」

――ポップでは毎回、全曲解説をされていて、そのどれもおもしろくって。そういえば今回“正しい街”のところで、〈ライブでやってほしすぎる曲トップ5〉って書いてましたね。

毎回恒例、密度の濃すぎる全曲解説

「トップ5というか、1位ですね。そしたら今度ミュージックステーションで“正しい街”を歌われるみたいで、その話を聞いた時は半笑いの表情のまま泣きました(笑)」

――そこまでの愛好家もなかなかいないだろうなと思います。

「いや、私は自分のことをワンオブゼムだと思ってます。たしかにこんな展開をやらせていただけるのはすごく光栄なことですし、誇りに思ってますけど。皆様のおかげです、優しい世界」

――ベスト盤の曲順についてはどう思いますか?

「正直言うと、一曲ごとに聴くと〈えっ!?〉って新たな発見があってまたその曲をリピートしたくなっちゃうので、まだあんまり曲順については意識できていないんです」

――いちばん繰り返し聴いてるのはどの曲ですか?

「やっぱり“ここでキスして。”を聴き返しちゃいます。なんでなのかは分からないですけど、聴いてた当時のキラキラした思い出とか、昔の自分が引っかかったところとかを思い出してるんだと思います。当時は思春期で恋愛に敏感だったし、街も飛び出してなかったし、歌も歌詞も音もすべてが感じたことのないものだったんです。〈大人ってすごい……〉って」

――そのキラキラがいまクリアーになって蘇った。

「そう、思い出した。そして泣いちゃった(笑)。今回聴かなかったら、そういうことって死ぬまで思い出さなかったんじゃないかなって思いました」

――ベスト盤に感謝ですね。

「本当に感謝です。昔の友達と昔のことを懐かしんだりはしますけど、思春期のそういう感情までは恥ずかしいし、いちいち口にしたりはしないから、一人でずっと抱えてた気持ちなんだと思います。みんな違う曲で違う景色かもしれないけど、一人一人にそういうものがあるんです。最高だな……尊い。すべてが尊いです」

林檎さんがご来店した際のメッセージとサイン

――欲を言えば、ベスト盤にこの曲も入れてほしかったっていう曲はありますか?

「ううーーーーん……。ベスト盤が出るという発表があった時、いろんな人に〈吉野的ベストは何なの?〉って言われたんです。でも正直、そんなことを決めさせないでほしいって思いましたよ。だって何かを選ぶということは何かを外すっていうことだから。だから〈私は決めません〉って言って逃げてきました」

――いいんですか? 大好きな“眩暈”が入ってなくても。前回のインタヴュー時に一番好きな曲に“眩暈”を挙げていたので

「あ、それはちょっと入れたいです……(笑)。あえて言えば、“眩暈”か“宗教”かで悩みますね。“眩暈”も大好きなんですけど、いままで生きてきたなかでいちばん衝撃的だったのが“宗教”なんです。あの曲をまだ知らない人に〈ビクッ!〉ってなってほしい気持ちはあります」

――たしかに『加爾基 精液 栗ノ花』を初めて聴いた当時の衝撃は大きかったです。

「『加爾基 精液 栗ノ花』を買ってきて宿題の前に聴こうと思って、CDコンポの前に座って再生したら、鳥肌が立ちすぎてその場から動けなくなって。お母さんが部屋に入ってきて、全然宿題やってないのがバレました(笑)」

――(笑)。でもベスト盤のなかに“宗教”だけポツンと入っていても……。

「そう、だからダメなんです、入れません。『加爾基』は流れがあるので切り取れないです。曲単位で分けるのは本当につらい……。あ、あと周囲の意見で聞くのが〈“月に負け犬”が入ってない〉っていう意見ですね。私も大好きなんですけど、それこそ〈好きな人や物が多過ぎて〉ですよ(笑)」

――すごくよくわかります。個人的にはやっぱり“虚言症”を入れたくて、それこそ林檎さんが〈処女作をお聴きください〉って言って歌ったライヴもあるくらいだし、あの曲は林檎さんの根底にあってずっと歌い続けているテーマだと思うので。あと、『絶頂集』から1曲も入ってないし……。

「そうなんですそうなんです。10代の時“メロウ”がすごく好きで。いやーーー、無理、決められません! 難しすぎるし、曲名見てるだけでニヤニヤしちゃってダメだ」

エスカレーターホールにも吉野さん私物の雑誌類、新聞の切り抜き、そして林檎さんとお揃いの私服が……

――また2曲の新曲がすごすぎて。去年は“人生は夢だらけ”の〈きっと違いの分かる人は居ます/そう信じて丁寧に拵えて居ましょう〉という歌詞に救われたんですが、今年は“浪漫と算盤 LDN ver.”の歌詞にすごく救われて。

「同じことを思ってますね(笑)。(すごい早口で)〈主義を以って利益を成した場合は商いが食い扶持以上の意味を宿す〉んですよね。私はあのMVを電車で見て嗚咽しました」

――ちょうど理想と現実とか、やりたいこととやれることのギャップに悩んでる時に、あのMVが発表されて、胸を撃ち抜かれて。

「わかりみが深いです。店着日の朝もあれを聴いて来ました。ロンドン・ヴァージョンっていうことは日本ヴァージョンもいつかどこかでいただけるってことなんですかね」

――いただけるって(笑)。“公然の秘密”はどうでしたか?

「すごく匂いがする楽曲で、曲が香っておりました」

――林檎にまつわる食材の味や香りがたくさん出てきましたね。それにしても、今回の新宿店の展開が香りのする展開だったのは驚きでした。MVも印象的で。

アダルトな林檎の香りがするCDショップの展開棚……。初めての体験です

「曲調だけでなくヴィジュアルも最高だし、ああいう我儘なお顔をしている時が本当に好きで、何百枚スクショを撮ったことか……」

――そんな方と先日TVで同じ画面に映られていて。

「本当に光栄なことですけど、本当につらい。15キロ痩せたい。“公然の秘密”の椎名さんのように、整ったヴィジュアルになりたい」

――(笑)。ベスト盤のダイジェスト・ムービーも公開されましたね。

「あの映像、たくさんのモニターが出てきますけど、TVをたくさん使うとそわそわしませんか。ほら、東京事変のアルバム名が全部TV番組から来てるから……。だからTVは使わないでほしい、そわそわします。だってもうすぐ2020年じゃないですか。閏年じゃないですか、心によくない」

――これまでずっと林檎さんを応援してきて、その愛を展開にもぶつけてきているわけですけど、林檎さんへの愛が薄まったりすることはないですか?

「ないですね。いまでも後悔しているのが、大学生の時にやることが多すぎて椎名さんの曲を聴く時間とか考える時間が取れなかったことで。でも、ある時〈私のいちばん大事なものは何だ?〉って思って、それからは友達と遊ぶとか、学校に行く、バイトする以外に、〈椎名さんのことを考える〉っていう時間をちゃんと作るようにしたんです」

――〈この曲は違うな、私のほうを向いてない〉みたいなことはないですか?

「ないです。大前提として、田舎で暮らしてきた普通の家の一人娘のことなんて知りえないですから、私に向かって何かをされているのではなくて、私を含め〈椎名さんのことが好き〉って思ってるすべての人に向けているわけで、それでいいんです。握手会みたいな推しと仲良くなるイヴェントがあるわけでもないし」

――でもついにこの度、新宿店の愛好家スタッフとして認識されてしまって、TVにも出られて。

「ああ信じられない、邪魔すぎる。みなさんも〈林檎さんの顔が見たいよ〉って思いますよね。けど、誰よりも私がそれを思ってます……。どうしたらいいんだろう……。うれしいというより光栄ではあるんですけど」

――林檎さんに会うという夢があって、それが叶ってしまって、吉野さんの今後の夢とか、どうなりたいとかはありますか?

「自分が思っているよりも事がすごい速さで進んでいるので、正直まだ気持ちが追い付いてないんです。なので次にどうなりたいか全然想像ができないんです」

――タワーレコードのスタッフは続けますよね? じゃあ目指すは店長か。名誉店長と店長のコンビで。

「それいい響きですね(笑)。目指しますか(笑)」

 


INFORMATION
『ニュートンの林檎 ~初めてのベスト盤~』発売記念展示

場所:タワーレコード新宿店7F
日時:2019年11月25日(月)まで
展示内容:
●衣裳展示
・“浪漫と算盤”椎名林檎と宇多田ヒカル Music Video衣裳 ※椎名林檎、宇多田ヒカルの衣裳2着を展示
・“公然の秘密”TV出演(Mステ)衣裳 ※椎名林檎、ダンサーの衣裳2着を展示
・“獣ゆく細道”Music Video衣裳
・“目抜き通り”Music Video衣裳 ※“獣ゆく細道”、“目抜き通り”は、椎名林檎の衣裳のみ展示
●オリジナル・クリスマス・ツリー
●ポスター掲示