驚きのハーゲンの、愛すべきブラームス。
ハーゲン・クァルテットはわからない。時節によっても、作品によってもバランスが変わり、そのときどきで流動的なかたちをとるから、いつも予測がつかない。颯爽とした若者たちが風格のある教授ふうの佇まいとなっても、彼らの演奏は固定された美観に向かわず、折々の感興にも率直だ。決めたことを反復しているようにはまずみえない。確信はもちながらも、迷うときは迷うし、そもそも正しさのために仕事をするのではなく、演奏のたびに音楽を実直に生きているように思える。いまでも素朴でやんちゃな魅力がナイーヴに保たれ、頑固なのだか柔軟なのだかよくわからないところも、さまざまに表れてくる。
HAGEN STRING QUARTET ブラームス: 弦楽四重奏曲第3番、ピアノ五重奏曲 Op.34 Myrios Classics(2019)
さて、ブラームスである。満を持しての、と言っていいだろう。弦楽四重奏曲第3番が前作のモーツァルトと同じ2014年12月、キリル・ゲルシュタインとのピアノ五重奏曲はその年の夏の終わりの録音となる。どちらも生き生きとしていて、なんど聴いても、ほんとうに愉しい。
手の内に入りながら、そこに安住してはいない、というのか、くつろいだなかに遊興が満ちている。もちろん、憂いにはこと欠かない。その憂いがなんだか酸っぱくも感じるのは、どこか線の細い長兄の第1ヴァイオリンを擁するこのクァルテットの音色はもちろん、声部のくっき りとしたテクスチュアの澄明感とも関係があるだろう。
ブラームス最後の四重奏曲が落ち着いた明朗さを宿す演奏なら、もっと若い時期に書かれたピアノ五重奏曲でも、弦とピアノの音色の混ざり合いがしっくりして、声部の内的な連繋が色濃く出ている。それでいて、5人それぞれの顔が、さりげなく表情豊かにみえる。聴きどころは随所にあるが、スケルツォでの独特の風合いとユーモアがとくに面白い。演奏のさなかにも、相互に楽しくアイディアを孵している様子がまざまざとみてとれる。なにより、すっごく人間臭いブラームスだ。綿密さとか重厚さとか、そういうことの前に、若い頃には酒場でピアノを弾いていた男の大きな懐を、温かく想わせる。