世界を驚嘆させた純日本産ノイズ

デヴィッド・ノヴァック ジャパノイズ サーキュレーション終端の音楽 水声社(2019)

 本文執筆のBGMとしてレコード蔵の奥から久しぶりに取り出してきたのはメルツバウのCD50枚組ボックス・セット『メルツボックス』である。2000年にオーストラリアのエクストリームから出たまさにエクストリームなこの大箱を私は秋田昌美氏本人から買った(確か5万円)のだが、凶悪なノイズ作品だけで50枚組セットが作られるほど、当時既に秋田昌美/メルツバウは世界的名声を確立していた。90年代前半から、日本のノイズ・ミュージックはまったく独自な表現として欧米で注目され始め、あちらでは〈ジャパノイズ〉なる新タームも生まれていたが、秋田はそのアイコンとしてとりわけ高い人気を誇っていたのである。いわゆる普通のポップ・ミュージックと比べれば市場規模は小さいとはいえ、日本発の音楽がひとつの集合体あるいはムーヴメントとして欧米リスナーを熱狂させたのはそれが初めてだった。80年代後半から90年代初頭にかけて日本のノイズ・ミュージシャンたちが続々と欧米市場に進出していく過程は、今振り返っても胸が熱くなる。

 そんなジャパノイズについて、米国人の立場から考察したのが本書だ。現在カリフォルニア大学で教鞭を執る民族音楽学者の著者は89年の初来日時に日本のノイズ・シーンを知り、98年から10年以上にわたり本格的調査・研究を続け、博士論文として本書を書いた。いわば、ジャパノイズに関するエスノグラフィである。

 ノイズの本質とジャパノイズの特殊性について詳細に論じた巻頭章に続き、ジャパノイズの世界への伝播状況とその背景、戦後のメディア受容史におけるジャパノイズの出現とその意味などについて解説。ミュージシャンだけでなく当時の状況をよく知る周辺関係者(主に大阪や京都)の数々の証言は、リアルタイムで当時のシーンを体験していた日本人リスナーにとってもわかりやすく、かつ面白いはず。京都の伝説的フリー・スペース〈どらっぐすとぅあ〉の重要性に絡めては、「第五列で時々やっていたようなことをノイズということにしました。でもなんでもそれに入る」(JOJO広重)とか、「どらっぐすとぅあに持って行っていた変なレコードすべてについてノイズという言葉を使い始めたのは美川(俊治)でした」(F.M.N.サウンドファクトリーの石橋正二郎)といったジャパノイズの起源に関わる発言もあったり。あと、秋田昌美の表現の根幹にある思想に触れつつ機械文明や高度資本主義に対する人間主義からの批判としてのジャパノイズ考察とか、カセット・テープ文化が本質的に孕むノイズ性とか、随所で政治/社会的視点とノイズが激しくフィードバックしあう様もスリリングだ。