Photo by Misha Vladimirskiy
 

美麗なエレクトロニカ・サウンドで人気を博すティコ。彼が、2019年の前作『Wrather』とは双子の関係にあるというアルバム『Simulcast』をリリースした。歌ものの楽曲に取り組んだ『Weather』とは打って変わり、全編をインストゥルメンタルのトラックで統一した 『Simulcast』。生楽器とエレクトロニクスを柔らかなタッチで重ねた本作は、彼ならではの優美なチルさを堪能できるアルバムだ。では、ティコ・サウンドの研ぎ澄まされた心地よさとは、何に由来したものなのか。ライターの小野田雄による、デザイナーというバックグラウンドからのティコ論。*Mikiki編集部

TYCHO Simulcast Ninja Tune/BEAT (2020)

 

新たな響きを生み出すことを意図したリワーク・アルバム

2016年の『Epoch』と女性ヴォーカリストのセイント・シナーをフィーチャーした前作『Weather』が2作連続でグラミー賞にノミネートされたサンフランシスコ在住のスコット・ハンセンによるソロ・プロジェクト、ティコ。『Weather』と対を成す新作『Simulcast』では、前作収録のヴォーカル・トラック5曲をインストゥルメンタルにリワーク。さらにインストゥルメンタルだった『Weather』の3曲はそのまま収録されているが、曲順を大幅に変更することで、新たな音の流れや響きを生み出すことを意図したアルバムだ。

曲の順番やかけ方によって、聴こえ方が変わるというのはDJの醍醐味であり、また、リミックスというと多くの場合、クラブの現場でプレイされることを念頭に行われるものだ。しかし、ティコは頻繁にDJを行っているわけでもなければ、この作品もシンセサイザーやギターは加えられているもののダンス・ミュージック色を強めるために大幅なビートの改変は行われておらず、体裁としてはダブ・アルバムやリミックス・アルバムではなくリワーク・アルバムと形容すべき作品だ。

 

音楽家とデザイナー。スコット・ハンセンが持つ2つのぺルソナ

さらに付け加えるなら、これまで積極的にリミックスを手がけ、また、依頼もしてこなかったティコのキャリアを考えると、本作の発想はダンス・ミュージックのカルチャーに根ざしたものではなく、むしろ、スコット・ハンセンのもう一つの名義である〈ISO50〉に由来するものであるように推察される。ISO50というのは、2009年から音楽に専念するようになる以前のスコット・ハンセンが長らく生計を立ててきたデザイナーとしての名義だ。

ISO50のキャリアは、結果的に遅咲きとなった音楽制作をスタートさせる2001年以前から始まっている。大学でコンピューターサイエンスを学び、Photoshopと出会ったことでデザインに開眼。Adobeでの勤務経験もあるというフリーランスのデザイナーだった彼のポートフォリオには、親交があったというフランスの伝説的なデザイナー、アルノー・メルシエの影響が見て取れ、また、アナログ/デジタル・メディアを柔軟かつ繊細なタッチで行き来するインタラクティヴな作風は、ハイファイ、ローファイを混在せた彼の音楽作品にも通底するものだ。

ISO50としての作品を集めた映像
 

アーサー・C・クラークのSF小説「2001年宇宙の旅」に登場するモノリスから名前を取ったティコとカメラフィルムの〈フジクロームベルビアISO50〉から取ったISO50。スコット・ハンセンの広い意味での創作活動は、その2つの異なるペルソナが相互作用を及ぼしている。

 

音楽を音楽としてでなくデザインの観点から捉える

そうした彼のバックグラウンドをふまえると、配置の仕方によって、事象の見せ方、聴かせ方を変化させるという本作の表現アプローチは、音楽を音楽としてではなく、デザインの観点から捉えることで、新しいサウンドスケープを広げる。また、そのサウンドスケープは、DTMでの音楽制作がスタンダード化し、タイムライン上で可視化された音のレイヤーをデザインするように音楽を制作することが可能になった現代の、コラージュ的な音楽の在り方を象徴するものでもある。

そのコラージュを、ティコはどのように作り上げてきたのか。デジタル・ソフトウェアと巧みにミックスさせる形でヴィンテージ・シンセサイザーの丸みのあるサウンドを好んで用いていた初期から2011年のアルバム『Dive』以降は生音をふんだんに取り入れ、バンド編成でのライブを開始。そして、前作『Weather』で初めてヴォーカリストをフィーチャーするなど、作品を重ねるごとに人間的なあたたかみを盛り込んできたティコだが、逆にその音の響きはより解像度が高く、生活感を感じさせるローファイから非現実的なハイファイへ。『Simulcast』はインストゥルメンタル・アルバムということもあり、繊細なディティールへのこだわりを以前にも増して研ぎ澄ませていることが見て取れる。

 

イメージや過去の記憶が喚起する、聴き手の自由な想像力

また、その作風の変化は彼が一貫して手がけてきたアートワークにも如実に反映されている。幾何学的抽象を用いてきたこれまでの作品から一転して、前作『Weather』と本作『Simulcast』では具体性を持たせた人物写真を使用。さらに前作『Weather』は屋内の写真を通じて人間の内面が、本作『Simulcast』は屋外の写真によって人間と外界の一体感や解放感が表現されており、音とヴィジュアルの両面に対比的な要素を重層的に配置することで、多角的に楽しめる作品になっている。

そのドリーミーなサウンドスケープから、アンビエントやエレクトロニカ、ポストロックやバレアリックなど、様々な文脈で語られることが多いティコだが、彼の楽曲が多様な解釈を生み出しているのは、その音楽が特定のジャンルに向けて作られたものではなく、ヴィジュアル・イメージや過去の記憶と、それらが喚起する感情やムードに重きを置いているからこそ。そんな作品に対して聴き手も先入観を取り払い、自由に想像を膨らませながら向き合うことで、このアルバムは尽きることない豊かなイメージを乱反射させてくれるはずだ。