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心身の健康から生まれる過去へのレクイエムと未来への希望――気鋭のクリエイターが往時のスタイルに回帰しながら創造した、現代人への癒しと内省のための空間とは?

 現代のエレクトロニカ/ポスト・ロック・シーンを牽引し、2度のグラミー賞ノミネートも果たしたティコことスコット・ハンセンが、2019年の『Weather』、2020年の『Simulcast』という姉妹作に続くアルバム『Infinite Health』を完成させた。テーマは〈未来への希望と過去へのレクイエム〉。グリズリー・ベアのクリス・テイラーを共同プロデューサーに迎え、電子音をベースにしたスタイルに回帰。ブレイク、ドラム、リズムの要素に重点が置かれ、それらを追うようにメロディーが加えられているのが大きな特徴だ。

 「今回は昔のやり方に戻ろうと思ったんだ。ブレイクビーツやサンプルを使ったり、シンセにフォーカスしたりね。ルーツに忠実でありながら、可能な限り異なるサウンドにしようというのが全体的なコンセプトだった。そういう意味で、今回のアルバムは『Dive』(2011年)の時代と『Awake』(2014年)以降の時代のハイブリッドだと思う」。

TYCHO 『Infinite Health』 Ninja Tune/BEAT(2024)

 リード曲“Phantom”は、スコットが作中でもっとも気に入っている曲だというほど、まばゆい輝きを放っている。トレードマークのエレクトロニカ・サウンドにイタロ・ディスコのエッセンスを取り入れた、メロディアスでアップビートなトラックだ。この曲をはじめ、全編におけるメロディーの美しさには目を見張るものがある。

 「僕にとってメロディーは常に重要で、常に前面に出てくるものなんだ。ヴォーカル・アルバムだった『Weather』だけはヴォーカルを際立たせるためのスペースを作る必要があるから例外だったけどね。今回、メロディーの要素が強くなったというのは確実にある。そういう意味でも初期に戻っていると思う」。

 メロディーを際立たせるサウンドメイクはプロデューサーの手腕によるところも大きい。

「自分のルーツに戻るという点で、カラフルで暖かみのある質感を意識したんだ。ノスタルジックな感じとハイファイを融合したかった。クリスを呼んだのはそれが理由で、彼は本当にそのタイプのサウンドを作るのが上手いんだ。それに僕が作ろうとしている音をよく理解してくれている。ここがいちばん重要なんだ」。

 メロディアスで感情豊かなインスト曲が立ち並ぶ一方、アルバム中盤に差し込まれたタイトル・トラックにのみ、コーシャス・クレイの歌をフィーチャー。

 「僕は彼の大ファンで、長い間一緒に仕事がしたいと思っていたんだ。だから、そのチャンスが巡ってきて本当に幸運だった。作業もすごく楽しかったしね。声の質感が特にマッチしていると思ったから、この曲に参加してもらったんだ」。

 また、グラフィック・デザイナーとしての側面も持つ彼だけに、毎回サウンドを具現化したアートワークが作品の世界観を理解する一助となっている。今回もお馴染みの球体モチーフが登場している。

 「アートワークの円はいつも太陽か月のどちらかを表しているんだ。僕はあの完璧な円が多くのことを表現しているように感じるんだよ。細胞とか、細胞内部の働きとか、生命の始まりとかね。今回は円を現実の世界に持ち込んで、空間に存在させたかった。平面に描かれたものではなくて、生命を吹き込み、リスナーがいる物理的な三次元の空間を占めるような存在にしたかったんだ」。

 〈生命〉といい、アルバム・タイトルの〈Health〉といい、どうやらこのあたりにも本作のテーマを見つけることができそうだ。

 「芸術的に自分を表現することも、愛する人や家族に自分を表現することも、どんな形であれ世界に良い影響を与えることも、そうしたことができるかどうかはすべて、身体的、そして感情的健康にかかっている。家族を持ちたいと思っていたけれど、その役割を果たすことができる最高の人間であるためには、より強く、より健康的な人間でいなければならない。3年前に娘が生まれ、1年前に息子が生まれ、今回のアルバムはその期間に作られたわけだけど、その旅は本当に素晴らしいものだった。このアルバム・タイトルには、僕の人生の現在地と、これからの10年をどんな人生にしたいかが込められていて、このアルバムは精神的、感情的、肉体的な癒しのためのマントラなんだ」。

ティコの作品を一部紹介。
左から、2011年作『Dive』、2014年作『Awake』、2016年作『Epoch』(すべてGhostly International)、2019年作『Weather』、2020年作『Simulcast』(共にNinja Tune)

左から、ティコの2022年のミックスCD『Back To Mine: Tycho』(Back To Mine)、グリズリー・ベアの2017年作『Painted Ruins』(RCA)、コーシャス・クレイの2023年作『Karpeh』(Blue Note)