コラム

映画「蜜蜂と遠雷」恩田陸原作を映画化、音楽が密かに結ぶ出会いと再生の物語

©2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会

驟雨と黒馬

 音楽は音楽に、小説は小説にしかできないことをする。そして、映画がやってきた。「蜜蜂と遠雷」の話である。 音楽は世界に溢れている。それをもういちど見つけ出すための切なる季節がくる。互いを聴くことでそれは起こる。

石川慶,松岡茉優,松坂桃李,森崎ウィン,鈴鹿央士 蜜蜂と遠雷 東宝(2020)

 コンクールはまず、新しい他者の発見の機会だ。コンテスタントにとっては、経験を通じて、自分を見つけるための舞台でもある。恩田陸の小説が鮮明に描いたのは、そうした青春群像であり、共感と霊感に導かれた、回復の物語だった。映像はその息づかいを瑞々しく抽き出す。 それは、驟雨と黒い馬の心象によって拓かれていく光景となった。小説のなかで蜜蜂と遠雷が世界の音を告げるなら、そこに向かう心の動きは、本作の主人公の場合、水と馬の躍動に詩的な喚起を受ける。

 静かな映画である。音で埋め尽くされているはずのコンクールを舞台としているのに、若々しい登場人物たちの心の奥底を、やわらかく包み込むような光と静けさがある。自分と音楽を探して、個的に苦悩する若者たちのために、沈黙を解くその清新な優しさはなにより必要だったろう。

 長篇第2作となる石川慶監督が、脚本と編集も手がけ、撮影監督ピオトル・ニエミイスキとのコンビで、ゆったりと美しく静謐な映像を創り上げている。松岡茉優、松坂桃李、森崎ウィン、鈴鹿央士が繊細に役を生き、河村尚子、福間洸太朗、金子三勇士、藤田真央のピアノがそれぞれを相応しく色分ける。もうひとりの主人公は、藤倉大が書き下ろした課題曲“春と修羅”で、カデンツァも4様に描き分け、各自の求める志向を響きの形象に体現している。

 小説は大枠が4声のフーガで書かれ、周囲にも対位法が絡められている。映画では叙述の形式はシンプルになり、亜夜を介して4者が繋がり、麈の自然な恵みを受けて、それぞれの歌に向かっていくさまが、すっと描かれる。

 原作といちばん違うのは、亜夜が本選で弾くのがプロコフィエフの3番で、マサルの弾く2番と入れ替わっていること。しかし、映画の果て、亜夜が弾くハ長調協奏曲は光っている。結果ではなく、すべてはプロセス。音楽が密かに結ぶ、出会いと再生の物語である。

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