(左から)SOA、島裕介

リーダー・プロジェクト〈SilentJazzCase〉はもちろん、数多くのアーティストのサポート、さらにはテニス世界大会〈楽天オープン2019〉決勝での国歌トランペット独奏など、さまざまな活躍で知られるトランペッターの島裕介。以前、ビートメイカー・re:plusとのコラボレーション・アルバム『Prayer』についてのインタビューをお届けしたように、その活動はとにかく幅広い。

そんな島が主宰する等々力ジャズレコーズは、自身のヒット・シリーズ〈名曲を吹く〉も発表しているが、一方で橋本芳『GENESIS』(2017年)や渚まいこの『Seasons』(2016年)など、新たな才能をシーンに届ける場にもなっている。そんな等々力ジャズレコーズが送り出す新星が、大阪のシンガー・SOAだ。

歌においても音楽性にもおいても貪欲なチャレンジを続けてきたSOA。そんな彼女の魅力が大きく開花したファースト・フル・アルバム『Voice of Buoy』が、6月3日(水)にCDでリリースされる(デジタル配信は5月20日から)。プロデューサーを務めたのは島。東西の若手演奏家たちと作り上げた本作の音楽性は実に幅広く、静謐なピアノとのデュエットからネオ・ソウル、エレクトロニックなビート・ナンバーまで、単に〈ジャズ・ヴォーカリストのアルバム〉と一言で片づけられない多彩な挑戦とみずみずしさにあふれている。

今回は、その『Voice of Buoy』についてSOAと島に話を訊いた。ふたりの出会い、SOAのルーツからこの力強い作品に至るまで、あますことなく語ってくれた。 *Mikiki編集部

SOA 『Voice of Buoy』 等々力ジャズレコーズ(2020)

 

SOAさんは総合力が素晴らしい。こういうシンガーはなかなかいない

――まず、おふたりの出会いについて教えてください。

SOA「2016年の夏に開かれたジャズ・フェスティヴァル〈UENO JAZZ INN’16〉で友人のサックス奏者・石井裕太くんから島さんを紹介してもらいました。私は2015年の〈第35回浅草JAZZコンテスト〉のヴォーカル部門グランプリ副賞のオープニング・アクトとして、島さんは他のバンドのメンバーとして出演していたんですよ」

島裕介「彼女はその後に僕の主催するSilent Jazz Caseのライブも観に来てくれて、そこでSOA ORBITAL ARCHITECTS名義の音源を聴かせてもらいました。それが良くて〈何か一緒にやろう〉と話したのが3年前くらい。それから一緒に演奏するようになったんです」

――島さんから見て、SOAさんの魅力とは?

「彼女は今どきのアプローチだけでなく、トラディショナルなものも歌えるジャズ・ヴォーカリストです。かつ弾き語りや作曲、アレンジもできる。作ってくる譜面も丁寧で、総合力が素晴らしい。こういう人はなかなかいないんですよ。ジャズ歌手は〈私は乗っかって歌うだけ〉という人のほうが多いので(笑)」

SOA「長年活動されているジャズ・ヴォーカリストの方がたくさんいるので、そのなかで〈とりあえず目立たないと〉とは思っていました。あとピアノを長くやっていたのもあってか、サウンドを作っていくことには興味がありましたね。

ジャズを始めてからの5年間で広く音楽に触れるようになりましたが、以前から色々なジャンルの曲を歌ったり、作曲したりしてきた経験が今に活きています」

 

音楽の教育者でもあるSOA

――SOAさんのジャズを歌う前の活動について、もう少し詳しく教えてください。大阪芸術大学を卒業されていますが、何を学ばれましたか?

SOA「ポピュラー音楽コースを専攻して、楽器のアンサンブルや理論を勉強しました。定期演奏会では弾き語りもしていましたね。スティーヴィー・ワンダーなどの洋楽を歌うことが多かったです。

卒業の年に当時やっていたヴォーカルとギターのアコースティック・デュオを解散して、ジャズを歌い始めました。音楽的な環境を変えたいと思った時に、今まで近くにありながら挑戦してこなかったのがジャズだったんですよ。

今でも定期的に渡米してニューヨークのシンシア・スコット(Cynthia Scott)さんのレッスンを受けています。彼女は歌い方のレッスンだけでなく〈ストーリーを大事にしなさい〉と言語で曲を伝えることを教えてくれました。

ライブをしていると、だんだんアウトプットが多くなるので、レッスンを受けたりライブを観たりする時間は大切です」

SOAがスティーヴィー・ワンダーの“To Feel The Fire”をアカペラでカヴァーしたパフォーマンス映像

――現在はPRABHA MUSIC SCHOOL(プラバー音楽教室)を主宰し、ご自身でも指導されているそうですね。

SOA「実家が大阪・南堀江のお寺で、元教師の母が寺子屋をやっていたんですよ。一度は辞めていたのですが、ここ10年で近隣にお子さんがいる家庭が増えたこともあり、復活させたんです。私はそこで地域の子どもたちや主婦の方々に音楽を教えてます。

人が集まるところに良い形で音楽がある、という空間がもっと日常にあるといいですね。母の影響か教育には興味があって、小学校の教師として音楽を教えていたこともあります」