ユイミナコによるソロ・ユニット、MINAKEKKEがニュー・シングル“Last Summer”を10月16日にデジタル・リリースした。

アシッド・フォークやゴシック、ニューウェイヴ、シューゲイザーなどを取り込んだファースト・アルバム『TINGLES』(2017年)の世界観に、2019年にリリースしたファーストEP『OBLIVION e.p.』(2019年)ではエレクトロやインダストリアルの要素を大々的に導入し、さらなる進化を遂げた彼女。本作はその路線から一転、アコースティック・ギターの弾き語りを中心に儚くも美しいコーラスをちりばめた、静謐なサウンドスケープを展開している。〈夏の閉じ込めておきたい一瞬〉を詰め込んだという歌詞は、コロナ禍で〈夏〉を奪われ、次第に平坦化していく私たちの感情に寄り添い、そっと彩りを与えてくれる。

もともと映画や文学など、音楽以外の要素からインスピレーションを得て作品作りをしてきたMINAKEKKE。自粛期間中は、これまで自分があまり触れてこなかった分野にも、敢えてコミットしながら音を紡いでいたという。そんな彼女に、コロナ禍で考えていたことや、先日開催された無料配信ライブに込めた想いなど、じっくりと訊いた。

MINAKEKKE 『Last Summer』 IDEAL MUSIC LLC.(2020)

 

時間は同じスピードで流れないのかも

――新型コロナウイルスの感染拡大は、ミナコさんの活動にどのような影響を与えましたか?

「コロナ前は、毎月何本かコンスタントにライブを行っていたのですが、それが急にバッサリ無くなったまま半年くらい経ってしまって。最近になって、ようやく少しずつライブも復活してきてはいるけれど、最初は不安が大きかったですね。自分はライブをすることによって、〈音楽と繋がれている〉という感覚があったので、直接的な表現の場がなくなってしまったのは辛かった。曲を作るにしても、部屋でパソコンやギターを触るくらいで、すごく閉鎖的になってしまった気がしました」

――もともとMINAKEKKEの作品は、人間のダークな部分に焦点を当てて、そこに光を見出すようなものが多かったと思うのですが、世の中がこういう状況になったことで、そのテーマ性がより大きな意味を持ったり、あるいは新たな意味合いを帯びたりしているような感覚は、ご自身にもありますか?

「これはコロナ禍だからというわけではなく、自分の作り出す音楽や歌詞が、後々になって〈今の状況にすごく当てはまる〉と思うことが不思議とあるんです。そのときは全く違う意味で書いていたものが、後になってまた新たな意味を持って響いてくることとか」

――最近も“Luminous”(『OBLIVION e.p.』収録)の歌詞で引用している「カラマーゾフの兄弟」の一節〈I can see the sun, but even if I cannot see the sun, I know that it exists. And to know that the sun is there – that is living.(太陽がみえる。 たとえ太陽がみえなくても太陽の存在することを知っている。 それこそがすなわち生きることなんだ)〉をTwitterに上げていたじゃないですか。ちょうど著名人の訃報が続いていた時期だったので、何か思うところがあったのかなと想像したんです。

「誰かが抱えている辛さは、他者には分からないじゃないですか。側から見たらとても幸せそうに見える人が、実は大きな闇を抱えていることもあるわけで。そういう人たちに対して、音楽が間接的にでも、ちょっとでも救いになってくれたらいいなという気持ちでいましたね」

――コロナ禍では本をたくさん読んだそうですね。

「読書量は増えましたね。自分が昔書いていたレポートや論文を、ふと見つけて読み始めたら、他の人の論文も読んでみたくなって(笑)。普段、あまり触れない分野のテキストを読んでいるうちに、そこから派生してマーシャル・マクルーハンの『メディア論』(64年)とかを読んでいました。ちょうどその頃、有名人のセンセーショナルな報道がメディアから立て続けに発信されていて、それに対してみんなが憶測を言い合っている状況に違和感を覚えていたのもあり、『メディア論』の〈ホットなメディア〉〈クールなメディア〉という定義づけが興味深く感じました」

――映画好きとしても知られるミナコさんですが、この期間は結構観ました?

「色々観ましたね、NetflixだけでなくU-NEXTも登録して(笑)。ジャンルを問わず、暇な時間にTwitterやネットでよく人がオススメしている作品を片っ端から鑑賞していました。もちろん、自分が好きな映画も観続けていますけど、なんていうか、いろんなものに触れたかったんです。自分にとってのインスピレーションが、どこに転がっているか分からないじゃないですか。きっと、違う分野の本を積極的に読んでいたのも同じ動機だと思います」

――クリストファー・ノーランの新作「TENET テネット」(2020年)も観ました?

「凄かったですね(笑)。後から解説を読んであらかた理解できたのですが、1回目をもし色々考えながら観ていたら脳味噌が破裂しただろうなと思いました(笑)。『TENET テネット』のように全く新しい刺激的な作品は、今のこの世の中にものすごく貴重だなと思います」

――確かに。作品世界に否応なく引き摺り込まれて、ただただ没頭する時間がコロナ禍になってほとんど失われてしまいましたからね。僕はIMAXで観たのですけど、空気の振動を体全体で浴びるという意味では、ある意味ライブを擬似体験している気分もありました。

「確かにそうかも知れない。『TENET テネット』の前に、『インターステラー』(2014年)のIMAX再上映を見てきたのですが、あれも音を浴びる感じがありました。

そうそう、そのあとで有料オンライン授業〈映画「インターステラー」を100倍楽しむ物理学入門〉に参加したんですよ。物理学者で東工大助教の山崎詩郎さんが登壇されて、『インターステラー 』を物理的に解説してくれる内容だったんですけど、とても興味深かったです。『インターステラー 』も難解な作品ですが、山崎助教曰く、〈重力は時間を変える〉ということさえ押さえていれば理解できると。映画の中に登場する、それぞれの天体の持つ重力が違うから、それぞれ時間の流れ方も違っているのだということを分かりやすく説明してくれて」

――それは面白そうですね。

「その話を聞いたときに、〈重力が時間を変えるなら、日常にとっての重力ってなんだろう?〉と考えたんです。結果、〈興味〉や〈集中力〉が強ければ強いほど、時間を動かすことができるんじゃないかと思ったんですよ。例えばこのオンライン授業って2時間くらいあったんですけど、本当に一瞬だったんです。それって、私が久しぶりに頭を働かせて、興味と集中力で観ていたからだと思うんですよね。コロナになり、すべての時間がのっぺりとしてしまった今、そういう時間って本当に大事だなと思いました」

――ミナコさんにとって、〈時間〉の概念は重要な位置を占めていますか?

「ノーラン先生ほどじゃないけど(笑)、そうかもしれないです。時間って、例えば同じ1時間でも、音楽を作っている1時間、ボーッとしている1時間、単調な作業をしている1時間、こうやって誰かと話している1時間、全て体感が違うし、思い出したときのカラーというか鮮やかさも全て違うなって。音楽を作っていて、ちょっとノってきたときの時間は、すごく鮮やかなんです。そう思うと、時間の過ごし方は記憶にも関係しているのかなと」