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カルクブレンナー版〈第9〉を世界初録音の快挙

 パリを拠点に国際舞台で活躍する広瀬悦子は、演奏される機会に恵まれない珍しい作品で自身がその曲に共感できるものを演奏し、世界で高い評価を得ている。その彼女が2020年のベートーヴェン生誕250年に世に送り出した録音は、フリードリヒ・カルクブレンナー(1785~1849)がピアノ独奏用に編曲したベートーヴェンの交響曲第9番。ベートーヴェン好きのフランス王ルイ・フィリップに献呈された版で、音符がびっしり詰め込まれた難度の高い編曲となっている。

広瀬悦子 『ベートーヴェン(カルクブレンナー編):交響曲第9番「合唱」』 Mirare(2020)

 「カルクブレンナーはショパンが尊敬していたピアニストで、この編曲版ではもてる力をすべて出し切ったような音が詰まった仕上がりになっています。私は2019年にキングインターナショナルのMさんから楽譜をお借りして練習を始め、2020年1月のナントでの“ラ・フォル・ジュルネ”で演奏し、同時に録音を行いました。とてもタイトなスケジュールで、第4楽章は歌手とエカテリンブルグ・フィルハーモニー合唱団との共演になったのですが、リハーサルも少なくライブ2回分の収録。合唱の迫力に押され、こちらはピアノ1台なので死に物狂いで頑張り、第1楽章から第3楽章まではその合間を縫ってひとりで録音しました」

 この楽譜は20年前にMさんがミュンヘンの古本屋のカタログで見つけた初版で、長年日本で眠っていた。ようやくベートーヴェン・イヤーに蘇ったわけだが、広瀬悦子のテクニックと表現力と解釈、そして好奇心がなければ世に出なかったものである。彼女は〈第9〉のビジョンに関しては、こう語る。

 「第1楽章はベートーヴェンの人生が投影され、真理の探究が込められていると思います。人生の意味を問い正しているような……。第2楽章は死の舞踏のような趣で、はげしさと力強さが感じられます。第3楽章は天国的な音楽で、この世のものではないような、神に近づいたような美しさ。現世では得られなかったものを音楽に投影しているような感じがします。そして第4楽章は、すべての困難を乗り越えて頂上の世界を見るような、まさに勝利の音楽だと考えています」

 カルクブレンナー編では、第4楽章の〈合唱〉の歌詞はフランス語訳が用いられている。この世界初録音は、さまざまな面でベートーヴェン・イヤーに一石を投じており、ベートーヴェン好きにはたまらない魅力ではないだろうか。広瀬悦子は世界各地のマニアから難解な作品や埋もれた作品などの提供や紹介を受け、共鳴できる作品であれば果敢に挑戦する。その心意気がカルクブレンナー編でも爆発!! この第4楽章は鳥肌が立つような衝撃的で緊迫感にあふれた演奏。新たな〈第9〉が目の前にそびえ立つようだ。