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小林弘幸(Hot-Cha)

オルタナティヴなシーンで〈J-Pop〉を奏でるエッジーさ

――賛否両論だったと。

高井「〈賛〉はあまり憶えていないな。今でこそ〈シティ・ポップ〉という言葉が流行ってますが、90年代末の自分が属しているシーンでは、一番盛り上がってなかった音楽、一番流行ってなかった所に転向した感じだったんです。

何故そんな作品を作ったかと言うと……当時、僕は〈逆にベットする(賭ける)〉なんて周りに言ってましたが、オルタナティヴ・シーンにいる自分が、ああいったポップス的な音楽を発表する、それが最もマッシヴでエッジーな行為なんじゃないかと、そう思ったんですね。まあ、若かった、というか。

でも、A.D.S.が解散して〈どうしようかなあ〉と思ってる時に小林から〈ソロで何か作ろうよ〉と言われて、僕が一人で出来ることって、今思えば『Abandoned...』のようなポップスしか無かった、というのが実情です。それを一生懸命やったのがああなった……というのが、20年経って思うことですね」

小林「A.D.S.と並行してAhh! Folly Jetは存在してたんです。『Abandoned...』をリリースする以前に、〈Pussyfoot Records〉というレーベルからリリースされたコンピレーション(97年作『Fish Smell Like Cat』)に、Ahh! Folly Jetとして“She Was Beautiful”という曲を提供してたんですね。それが、ちょっと変ちくりんなポップスみたいな内容で、この方向性をちゃんとしたプロダクションでやってみたらどうかな?という考えがHot-Chaとしてはあって。

だからA.D.S.の頃から既に、高井はいずれ〈歌モノ〉をやるだろうなっていう、布石というか期待感はありました。それと、高井のその(当時のシーンであえてポップスをやるという)逆張りがマッチしたのかなと」

97年作『Fish Smell Like Cat』収録曲“She Was Beautiful”

高井「当時は〈歌モノ〉とは言ってなかったですね。〈J-Pop〉という言葉が出てきたのが90年代半ばだったと思うんですけど、当時、僕らの間では〈あんなのJ-Popだろ~?〉みたいな、否定的な使い方をしてたんです。それで、『Abandoned...』の制作時には、ひねくれて〈俺は次はJ-Popをやる!〉なんて言ってたのを、今思い出しました。

当時、中原くんの暴力温泉芸者とか、BOREDOMSとか、A.D.S.もそうですけど、ポップス的ではない、実験的な音楽が仲間の間には溢れていて、何というか……過激さのインフレみたいな状態にはなっていた。これ以上変わった事はできないのでは?みたいな悩みもありました」

――高井さん自身が持っている資質やテクニック、そしてポップスではない音楽が当たり前のシーンにいた中で抱いた逆張りの気持ちが『Abandoned...』のような作品を生み出したと。

小林「A.D.S.でギターを弾けるのは高井しかいなかったしね」

高井「Ahh! Folly Jetは最後の渋谷系、なんていつの間にか言われるようになったんですけど、僕は渋谷系では無かった。渋谷系のシーンの真横にはいたんですけど……。その辺は今の若い人たちには伝わりづらいかも知れません」

――〈90年代=渋谷系〉みたいなイメージはありますよね。でも、Ahh! Folly Jetは渋谷系ではない、と。

「まあ、解釈次第とも言えますよね。今となってはなんでもいいです」