時の流れを急いでいては
花は咲くことしか考えていない。いや、そう思ってすらいない。咲こうというのではなく、それはただひらく、のである、それだけを定められているかのように。
2006年の12月がいま、どれほど遠くに思えることか。それでもこの春、15年近い歳月をわたって、ここに響き出したレコーディングを聴いて実感するのは、一回かぎりの生である。それこそが音楽のありようでもある。
それは水戸芸術館で生まれ、ピアニストの暮らすパリを経由して、ミュンヘンへと渡った。小澤征爾と水戸室内管弦楽団とのコンサートは、そうしてECMから児玉桃の3枚目のCDとして開花した。モーツァルトのイ長調協奏曲K.488に先立ち、細川俊夫の“月夜の蓮”の日本初演を収めた充実作である。
児玉桃, 小澤征爾, 水戸室内管弦楽団 『細川俊夫:月夜の蓮 -モーツァルトへのオマージュ-/モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 イ長調 K.488』 ECM New Series/ユニバーサル(2021)
「エディットされて皆OKを出していたのがストップしてしまって、ずっと気にしていたのですけれど、3年前にお掃除しているときにマスターテープが出てきて。久しぶりに聴いて、とてもいい録音だと思って、マンフレート・アイヒャーに送ったら、ぜひと言ってくださった。コロナのことで後押しになりましたが、いま出たことにすごく感謝しています」と児玉桃は言う。「ほんとうに気に入っています、全体のプログラムとライヴの熱と、いろいろな意味での新鮮さと。小澤さんの音楽に対する熱と追求と、あの深さと喜びと厳しさに、近くで触れることは特別ですし、素晴らしいオーケストラに囲まれて演奏できましたから」
モーツァルト生誕250年を記念した北ドイツ放送の委嘱に臨み、細川俊夫が選んだのがイ長調協奏曲K.488と、児玉桃のピアノだった。「モーツァルトのコンチェルトはすべてミラクルだと思いますが、K.488は第1楽章と第3楽章が楽観的で、オペラティックで、しあわせな音楽。第2楽章はとてもシンプルな歌で、短いなかに、すごく深い悲しみがあって、希望がみえて。一人の人間の感情が言っていることで、世界中に訴えかけるわけでもなく、それがほんとうに飾り気なく、真実味をもって心を打ちます」
細川俊夫とはルツェルン音楽祭で知り合い、そのとき彼女が弾いたメシアンにちなみ四重奏“時の花”、さらにはエテュードも書くが、最初に実ったのが協奏曲“月夜の蓮”だった。「細川さんが、というかロータスの花が、いろいろなことを通過した後に、最後にちょっとだけ出てくるモーツァルトのテーマに向かってお辞儀をする。そのアイディア自体がとても美しいと思いましたし、それが音楽に出る表現が素晴らしくて。時の流れを急いでいたら弾けないと思います(笑)。ほんとうに時のない時というか、自然の時というのか、響きがゆったりとした世界に入って、自然と一体となってということがある世界ですので」
LIVE INFORMATION
第571回定期演奏会
2021年9月18日(土)群馬 高崎芸術劇場 大劇場
開場/開演:15:00/16:00
出演:ユベール・スダーン(指揮)/児玉桃(ピアノ)*
曲目:ウェーバー:歌劇《オベロン》作品306 序曲/シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 作品54*/シューベルト:交響曲 第8番 ハ長調 D. 944「グレート」
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