インタビュー

ジャックス、早過ぎたロック・バンドの実像とは? ファンクラブ新旧会長が語る絶頂期

ジャックス『2nd Jacks Show, Jul. 24, 1968』

Photo by 高橋照幸

73年にジャックスのファンクラブが自主制作したとされるLP『LIVE ’68’7’24』。同作は、2003年にヨーロッパでブートレグLPが発売されるなど世界的レベルで見ても60年代後半におけるサイケデリック・ロックの最高水準の傑作ライブ・アルバムと評価されてきた。その内容の凄まじさから2枚のスタジオ・アルバムでは知ることのなかった真のジャックスの演奏を聴くことが出来る最高傑作として知られている。

今回、同作をCD『2nd Jacks Show, Jul. 24, 1968』として正式発売するにあたり、不明な点が多かった。しかし、ライナーノーツを制作するために取材したジャックスのベーシスト・谷野ひとし氏の証言、また、ジャケットを入稿する前日に連絡があった現ジャックス・ファンクラブ会長である深田政幸氏の助言により、少しずつ謎が解け始めた。そして遂には、68年に設立されたファンクラブの初代会長補佐役を務め二代目会長を受け継いだ、当時をよく知る金子磨矢子氏にコンタクトすることが出来た。

そこで、本作を納品した2021年8月13日(発売は8月25日)に、金子氏と深田氏、ファンクラブの新旧会長による対談を行った。

ジャックス 『2nd Jacks Show, Jul. 24, 1968』 SUPER FUJI(2021)

 

金子磨矢子(ジャックス・ファンクラブ初代会長補佐役/二代目会長)

ジャックスと出会って人生が一変しました

深田政幸「谷野(ひとし)さんから伺った話では、金子さんは当時、中学生だったとお聞きしたのですが」

金子磨矢子「そうです。“からっぽの世界”がラジオで初めて流れた日、それを偶然聴いたんです。すごい衝撃でした。それで居ても立っても居られず次の日、学校で〈昨日の聴いた!?〉って。友人たちも“からっぽの世界”を同じ時に聴いて感動していました。それが中学2年の終わり頃でした」

68年作『ジャックスの世界』収録曲“からっぽの世界”

深田「タクトから発売されたシングル盤(68年3月リリース)ですか?」

金子「そうです。〈こんな音楽があるなんて〉と、もうみんなびっくりでした。自分の中の言葉に出来ないような気持ちを歌にしてくれていました。

もっと聴きたいし会ってみたいね、ってニッポン放送に電話しました。昨夜の『オールナイトニッポン』でかかったジャックスのプロダクションを教えてくださいって。で、電話番号を教えてもらって電話したら〈ハイ、僕、早川(義夫)です〉って! 〈どうやったら会うことが出来ますか?〉と訊いたら〈あ、いいよ、今からおいでよ。秋葉原駅の昭和通り口を出てね〉って道順を教えてくれたんです。たぶんその日に(事務所へ)行ったんだと思います」

深田「事務所というのはどこにあったんですか?」

金子「神田佐久間町の早川さんの自宅、ご実家ですね。昔の木造の大きな家です。玄関を入って左の一室を事務所に使っていました。

それで、ラジオですっかりジャックス・ファンになった仲良しの同級生3人でちょくちょく通うようになったんです」

深田「みなさん中学生?」

金子「そう、学校の帰りにセーラー服で……。

この頃はグループ・サウンズ全盛期で(ライブハウスの)新宿ACBや池袋ドラム、ジャズ喫茶が流行っていました。元祖追っかけの世代ですね。私も誘われて付き合いで行ったことはあったんですけど、そんなに興味は持てなかったのです。

そんな時にジャックスと出会って、私の人生は一変しました。他人が作った曲を可愛らしく歌うんじゃなくて、自分たちの生の声で演っていることに感動したわけですね」

『2nd Jacks Show, Jul. 24, 1968』トレイラー

 

奇跡のように集まった4人

深田「ところで、遠藤賢司さんやあがた森魚さんが、最初期のジャックス・ファンクラブの会員だったと伺っていますが……」

金子「そうですね。ファンクラブにいたと思いますが、なにしろジャックスはすぐに解散してしまったので、現役の時の会員は300人くらいでした。彼らも最初はファンとして来ていました。エンケン(遠藤賢司)はジャックスのステージに出るようにもなっていきました」

深田「金子さんがファンクラブに参加されたのは、まだメンバーに水橋(春夫)さんがいる時ですが、この4人が和光(大学)でどんな感じで集まったのか、そのあたりについて何かお聞きになっていますか?」

金子「べつにその辺は聞いていません。既に4人が揃ってましたから。でも本当に奇跡のように、よくぞこの4人が集まったと思います。木田(高介)さんは和光高校からストレートで藝大(東京藝術大学)に入ってました。いろんな楽器が弾けるし、どんな曲も絶妙にアレンジしていて本当に天才ですよね。水橋さんのギターはとっても綺麗で上手かったし、谷野さんのウッド・ベースがまた最高です。私は特に谷野さんのファンでした。そしてなにより、早川さんの歌声が凄いのです。太くて透き通った低い声で、やっぱりジャックスは早川さんあってのジャックスでしたね」

67年7月30日に開催された〈第1回ジャックス・ショウ〉のポスター

深田「水橋さんが辞めたあとはどうでしたか?」

金子「水橋さんが突然辞めてしまってすごいショックでした。その後、角田(ひろ)さんが入りましたけれど、彼は既にプロのドラマーだったので何の問題もなくさすがでした。ドラムを任せた木田さんはヴィブラフォンとかサックスとかを思う存分やれていたのだと思います。他のバンドには真似できないサウンドになっていきましたね」