(左から)谷野ひとし、つのだ☆ひろ

ジャックスを母体に生まれた、高橋照幸を中心とする伝説のバンド、休みの国。その75年の貴重なライブが、CD『休みの国コンサート1975』として発売された。

2021年9月、つのだ☆ひろ氏の事務所に伺うと、2016年に亡くなった高橋氏から預かったという幾つもの段ボール箱があった。中を覗かせていただいたところ、2インチのマルチを始め多くのテープが入っていたのだが、その中に〈1975年4月19日、日仏会館ホール〉と記された7インチのオープンリールテープがあった。それが、12月にCDとして発売された音源だ。

『休みの国コンサート1975』のソースになった7インチオープンリールテープ

これを機に、ライブの演奏メンバーであり、リーダーの高橋照幸と66年から行動を共にしていたジャックスの谷野ひとし氏と、68年のジャックスへの加入時より亡くなる直前までの高橋氏をよく知るつのだ☆ひろ氏に、当時の話を訊いた(2021年12月13日、多摩センターで)。

休みの国 『休みの国コンサート1975』 SUPER FUJI(2021)

 

カイゾク=高橋照幸との出会い

――谷野さんとつのださんは、今回久しぶりにお会いになったんですよね。

つのだ☆ひろ「谷野君、もうメチャクチャなんだから。カイゾク(高橋照幸)と学生運動をやってたから、〈お前、明日何時に来い〉って、俺がジャックスに加入してすぐ突然言われて(笑)」

谷野ひとし「そうだっけ?」

つのだ「そうだよ。新宿へ行って、新宿騒乱(68年10月21日)の時に俺、石を割って投げてたの。それで機動隊が入って来て、すぐ逃げて。谷野君からは〈ヘルメットを捨てて、喫茶店に入ってコーヒーを飲んでればいいから〉って指示されて」

谷野「新宿駅の東口だっけ、〈グリーンハウス〉って呼ばれてた植え込みの芝生のとこ。あそこでやってたら機動隊がウワーッと来て、みんな倒れて折り重なっちゃったんだよね」

――さて、本題に入ります。まず、和光大学に入学して、谷野さんとカイゾクさんが知り合います。和光大はこの年(66年)に出来たんですよね。どうして和光に行こうと思われたのですか?

谷野「他は受かんなかったから」

つのだ「カッコいい! 潔いなぁ」

――谷野さん、高校は市川学園ですよね、名門校じゃないですか。その頃から学生運動をやっていたんですか?

谷野「制服・学帽廃止とかの集会をやって、色んな校内改革運動をやってたわけよ」

――カイゾクさんと出会ったのは?

谷野「和光の寮に入って、そこでだね。俺は高校の頃からハワイアンをやってて、部屋でウクレレを弾いてたら、カイゾクが入って来て、〈上手いもんだねー〉って言うの。〈こんなのすぐ覚えられるよ〉って言ったら、次の日に〈ギターを買いに行く〉って言うんだよ。そしたら、オモチャみたいな変なギターを買ったんだよね。

それでウクレレとギターの2人でやってたら、あの人フォーク出身だから、CとかAmとかEmとかしか弾けなくて。それで〈こう(フレットを押さえたまま)移動するんだよ〉って言ったら、〈ええー!?〉ってビックリしてた」

つのだ「でも、カイゾクがそこからすごく勉強してギターが上手になった、なんてことはないよね」

谷野「夏休みが終わって、ちょっと上手くなったくらい」

つのだ「あの人は最後まで素人に毛が生えたようなもんだから」

谷野「つのだが嫌がったのは、カウントがメチャクチャだったことだよね」

つのだ「いつもドキドキしてたよ。絶対的な流れというのがカイゾクの中には無いから、最後の方になると(カウントが)だんだん遅くなったりして。すごく面倒臭かったね、あれは」

谷野「それで、つのだがカウントをやることになったんだよね」

つのだ「〈いい加減にしてくれ!〉って」

谷野「ジャックスの時もそう。最初は早川(義夫)がやってたけど、そのうち木田(高介)がやるようになった」

つのだ「その頃のカイゾクは何をやってたの? ただの学生?」

谷野「そうだよ。浜松から来て、ビートルズが大好きで。で、〈これだけ教えればビートルズのコードぐらい取れるだろう〉って、〈ビートルズのキーだけ言っとくけど〉って言ったら、アイツ〈キーってなんだよ?〉って」

69年の高橋照幸のインタビュー記事