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深田政幸(ジャックス・ファンクラブ現会長)

早過ぎたロック・バンド

深田「ファンクラブとしての活動はどのようにされていたのですか?」

金子「会長の大江(長二郎)さんは自分のことを〈会長兼小間使い〉といつも謙遜して言っていましたが、実際には営業からスケジュール調整まで全てを取り仕切る敏腕マネージャーでした。

会報は2号までは大学の友人が立派なものを作っていましたが、そこでストップしてしまったので3号からは手作りのガリ版刷りになり、私たちが中心で作ることになりました。ファンクラブの集いも開いたし、ライブもけっこう自分たちで作っていたんですね」

68年7月24日に開催された〈第2回ジャックスショウ〉のポスター。『2nd Jacks Show, Jul. 24, 1968』に収録されているライブはこの時のもの

深田「最後の〈第5回ジャックスショウ〉(69年7月25日)もファンクラブ主催だったんですか?」

金子「そうです。同級生に関係者がいたので、お願いして天風会館を貸してもらいました。ライブハウスなんてない時代ですからね。日仏会館とか共立講堂なんかもよく借りられたなあ、って今では思いますね。

それから、テレビにも何度か出ましたね。『ヤング720』ってTBSの朝の番組、それを観てから学校に行ってました」

深田「僕は当時、名古屋の高校2年生だったんですが、演奏しているジャックスを唯一観られたのがその『ヤング720』という番組です。今でも覚えていますが69年の8月8日で、この日は朝から気合いを入れて観てました。この時は“墮天使ロック”をやっていましたね。木田さんはテナー・サックスではなく、ソプラノ・サックスを吹いてました。早川さんはギターを持たないで、ヴォーカル・マイクを握りしめて歌ってました」

金子「早川さんがヴォーカル・マイクだけだったなんて珍しいですよね。朝からジャックスというのは似合わないのですけど、TBSの女性プロデューサーが先駆的だったようです。何回も呼んでくれてました。

でもそのあと(ジャックスは)解散しちゃったんですね。音楽性が早過ぎたんでしょうね」

深田「中津川のステージ(〈第1回全日本フォークジャンボリー〉、69年8月9日)は観に行かれたのですか? あれが最後のステージだったのですよね」

金子「〈中津川フォークジャンボリー〉には行けませんでした。(出演が)急に決まったし、とても遠くて。私が行ったのは翌年の第2回の時です。東京フォークキャンプの人たちとも仲良くなっていたのでURCのバスに往復で乗せてもらいました」

 

野坂昭如が早川義夫のソロ作を絶賛

深田「高石事務所に移ってからのジャックスはどうでしたか?」

※編集部注 秦政明が設立した高石ともやの事務所で、岡林信康、中川五郎、五つの赤い風船ら関西フォークのアーティストや東京の高田渡、遠藤賢司らが所属。高石事務所は69年にレーベル、URCを設立

金子「高石事務所は表参道のマンションにありました。事務机が縦に並んでいて、そこに小倉エージさん、早川さん、大江さんも座っていました。最初はファンクラブ専用の机もあったんですよね。

関西の人たちが泊まれるように畳の部屋がついていて、私たちはそこで会報を作ったりしていたのですが、すぐに解散してしまったものですから、そのあと大江さんは残務整理で大変でした。私たちも手伝いましたが、大江さんからは〈もう僕も辞めるから、これからはマヤが会長をやりなさい〉と言われて名簿などを渡されたのです。今考えると〈大江さん、大変お疲れさまでした〉と思いますね」

深田「URCレコードの社員の方で、大瀧(和子)さんは御存知ですか?」

金子「大瀧さん! 明るくて気さくな優しいけどしっかり者のおばちゃんでした。関西から転勤されてきた方ですよね?」

深田「大瀧さんは、(現在の)ジャックス・ファンクラブが関西で集会をやった時にご出席いただいて、当時の貴重な話を色々と聞かせてくれました。69年、早川さんがLP『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』を作った時、〈この人とこの人に送ってほしい〉というリストを大瀧さんが預かったのですが、その中に野坂昭如さんがいて。ある時、事務所に直接、野坂さんから電話があり〈と、とても良かったです〉と電話口でおっしゃって、それを聞いた早川さんがとても喜んだとか。大瀧さんは、その頃の話をまとめて、本にしたいとおっしゃってました」

金子「わー! ぜひ本を出してほしいですね!」

 

ジャックスは恩師

深田「金子さんにとって、ジャックスの4人というのは、どんな感じだったのでしょうか?」

金子「当時はですね、とにかく憧れの人たちでした。今日のインタビューのことを話したら、一緒に(ファンクラブに)行ってたSAEちゃんは〈私たちの原点だものね!〉と言ってましたが、本当にそう思います。どんな大先生よりも、ジャックスは最初に出会った一番の恩師でした。向こうは向こうで私たちのことを子どもだと思って面白がってたんじゃないでしょうか。

早川さんは本を貸してくれるんです。一番最初に貸してくれたのは澁澤龍彦の『エロティシズム』で、みんなで交代で読みました。グリム童話も実は原作はこんなに残酷なんだよ、みたいな内容の本です。早川さんは私たちが驚くのを楽しんでいたのだと思います。谷野さんと休みの国の高橋(照幸)さんは学生運動に関わっていたこともあり、私はその辺の影響も受けたかもしれません。

そうそう、今日はコレを持ってきたんですよ。〈ジャックスの鐘〉。“われた鏡の中から”に因んで、当時、会員証の代わりにファンクラブで作ったものです。今でもいい音が鳴るでしょ」

※編集部注 高橋照幸のユニット。高橋は谷野ひとしらジャックスのメンバーと親交が深く、バンドの運転手も担当した。休みの国のレコーディングにはジャックスのメンバーが参加

68年作『ジャックスの世界』収録曲“われた鏡の中から”。歌詞に〈鐘をならして駆けてゆく〉というフレーズがある

深田「ほんとだ、いい音ですね。あ、〈JACKS〉と書いてありますね! 遠藤賢司のデビュー・シングル“ほんとだよ”のB面“猫が眠ってる”(69年)で早川さんが鳴らした鐘ですよね」

 

*2021年9月7日追記
本記事の初出時、本文中の日付に誤りがございました。謹んでお詫びし、訂正させていただきます。 *Mikiki編集部

 


RELEASE INFORMATION

ジャックス 『2nd Jacks Show, Jul. 24, 1968』 SUPER FUJI(2021)

リリース日:2021年8月25日
品番:FJSP434
フォーマット:CD
価格:2,915円(税込)
編集・マスタリング:中村宗一郎(ピースミュージック)
デザイン:ダダオ   
解説:湯浅学(谷野ひとし最新インタビューを含む)
タワレコ オリジナル特典:ポストカード2枚セット

TRACKLIST
1. マリアンヌ
2. お前はひな菊
3. この道
4. 時計をとめて
5. いい娘だね
6. 由美子はいない
7. 敵は遠くに
8. Dm 4-50
9. 薔薇卍
10. どこへ
11. 裏切りの季節
12. ラブ・ジェネレーション
13. われた鏡の中から
14. からっぽの世界

■メンバー
早川義夫:ヴォーカル/サイド・ギター
水橋春夫:ヴォーカル/リード・ギター
谷野ひとし:ウッド・ベース/ベース・ギター
木田高介:ドラムス/フルート/ヴィブラフォン
1968年7月24日 東京・お茶の水 日仏会館〈第2回ジャックス・ショウ〉

 


PROFILE: ジャックス
68年、“からっぽの世界”(タクト)でデビュー。同年、アルバム『ジャックスの世界』(東芝)を発表。解散後、ニュー・ロックの先駆として再評価を受けた。メンバーは早川義夫、水橋春夫、谷野ひとし、木田高介、角田ひろ他。

PROFILE: 金子磨矢子
1953年、東京生まれ。69年、ジャックスの解散後にジャックス・ファンクラブ初代会長の大江長二郎氏より二代目会長を受け継ぐ。2010年より東京・西早稲田でNeccoカフェを運営。
https://neccocafe.com/

PROFILE: 深田政幸
1952年、愛知・名古屋生まれ。92年、浪江茂樹氏から引き継ぎ、ジャックス・ファンクラブ現会長となる。千葉・流山在住、印刷会社を経営。