京都のトラックメイカー、HALFBYが2021年で活動20周年を迎え、去る10月に〈ハワイ3部作完結編〉となるニューアルバム『Loco』をリリースしました。そんなHALFBYが20年のキャリアを振り返るのが当連載〈HALFBYのローカリズム 2001~2021 僕と京都とあちこちの20年〉。年を跨ぎ、21年目に突入してしまいましたが、2022年も順次公開していきます! ポップでユーモラスな文体で綴られた、HALFBYから見たポップ/インディー音楽20年史。なお、昨年末には新作についてのロングインタビューを掲載していますので、そちらも合わせてお楽しみいただけると幸いです。 *Mikiki編集部
★〈HALFBYのローカリズム 2001~2021 僕と京都とあちこちの20年〉記事一覧はこちら
人生で最も忙しかった2年間
こんにちは、HALFBYです。新年あけましておめでとうございます。こちらの連載、予定では年内に完結させる予定だったのですが、思い通りには進まないことって多いですよね! ってことで、本年も続きます。よろしくお願いいたします。
さて今回は、2007年のメジャーデビューアルバム『SIDE FARMERS』周辺のお話を。『GREEN HOURS』から2年が経ってますが、この2年の間に人生で最も濃厚な時間を過ごしたと言っても過言ではない目眩く体験でした。そう、10年以上経った今もこの時の余韻で暮らしている、と言っても過言ではない太短いレールの一人旅。そう、まるでドラゴンボールの精神と時の部屋にいた、と言っても過言ではない濃密なタイムトライアル。そう、過言が俺で、俺が過言で……人生で最も過言が付きがちだった(忙しかった)期間として今回もユルくお楽しみ頂ければと思います。
HALFBY 『SIDE FARMERS』 SECOND ROYAL/トイズファクトリー(2007)
謎にマンチェへと向かった”SCREW THE PLAN”
満を辞してトイズファクトリーからメジャーデビューが決まった僕は、4連続シングルの後にアルバムをリリースすることを前提に制作が始まります。1枚目のシングル曲は”SCREW THE PLAN”。翁長(良平)くんのレーベル、RIMEOUTから4年振りのアルバムをリリースしたばかりだったオリンピック・リフツ(Olympic Lifts)fromアイルランドをゲストボーカルに迎え、何故か迷いなくマッドチェスターっぽい曲に挑みます。90年前後にイギリスのマンチェスターで起こったマッドチェスタームーブメントにずっと憧れていた僕は、ダンサブルなビートとドラッグ文化を反映したロックサウンドを、HALFBYのサウンド上へ手繰り寄せようとしました。
脳内のイメージは、スキントから96年にデビューしたベントレー・リズム・エース(Bentley Rhythm Ace)が、EMFの前身であったポップ・ウィル・イート・イットセルフ(Pop Will Eat Itself)のリチャード・マーチも参加したユニットだと知ったときの衝撃で翌日作った曲、でした。何故メジャーデビューシングルがマンチェなのか、今思えば全く意味がわからないし無謀でしかないのですが、トイズとの話し合いの末、やりたいスタンスの調整は取れていたので、定期的にレイドバックしてネクストサマーオブラブする自分の気持ちが大切だったのだと思います。服装もストーン・ローゼス(The Stone Roses)のようにダボっとしていました。とにかくこの曲にOKを出した制作陣とトイズファクトリーに感謝しております。
ちなみにCDシングルと7インチに収録したセルフリミックスは〈dEAD deAD HALF gOOD REMIX〉というわかる人にはわかるリミックスタイトルで、スープ・ドラゴンズ(The Soup Dragons)後期を意識して作りました。あと、この曲の制作のタイミングで(橋本)竜樹くんが上京したので、当時竜樹くんが所属していた事務所の池尻大橋のスタジオを使用しての作業が超新鮮だったのを覚えています。
それから“SCREW THE PLAN”をはじめ、シングル4曲のMVをgroovisionsさんに作ってもらったんですが、同時期に発足したニコニコ動画をきっかけに、MVの映像を実写で再現するオフ会こと〈中曽根オフ〉として盛り上がり、DJツアーで各地に行った際、オフ会の方々から〈HALFBYさんのおかげで地味な人生が変わりました! ありがとうございます〉と言われまくり、ファットボーイ・スリム(Fatboy Slim)ことノーマン・クックも”Rockafeller Skank”リリース後はこんな感じだったのかな?と想像してぐっときました。