音研究の広大な領野を「音と耳から考える」

細川周平 『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』 アルテスパブリッシング(2021)

 音という現象をめぐって、それを捉える器官である耳を通じて考えることが、本書の一貫したテーマとなっている。祭祀芸能における音の霊力について、音から広がる、音に根ざした文化、また、それを聴く人間が形成する社会の中での音の機能、音がもたらす環境的問題、音による管理について考える。音を聴くための、記録するための環境の変化が聴覚体験をどう変えたのか、または、音響通信メディアの作る共同体や録音メディアによって形成されたアマチュア文化、あるいは、技術史からはみだした、ある種ニッチな試みを再考する。現実社会だけでなく、映画やゲームの中にも音は反響し続けている。さらには、日本におけるサウンド・アートや即興音楽という、(あらゆる音がそうだと言われればそうですが)その場にいなければ体験できない、その場に生起する音そのものや、聴くこと主体にした表現の受容史などなど。この一冊で、「音と耳から考える」ことの広がりが、さまざまな領域に浸透していることがよくわかる。本書に掲げられた「音故知新」とは、古き時代から音というものが現在まで、多種多様な領域に分野を超えて反響していたこと、その反響を聞き取り、音が壁を超えて伝播していくように、学問的な境界を越えていくことで、新たな思考の契機が生まれることを感じさせる。

 現象としての音は、これまでも視覚によらない体験や、そこからの思考を導いてきたものでもある。そうした、音をめぐる異分野の研究領域との接続を試みる「音研究 Sound Studies」は、聴く耳という身体と、記録再生装置、あるいは放送などのメディアおよびテクノロジーとの歴史を紐解き、思考し、問題を投げかけるものであるだろう。本書は、音楽学者・細川周平が主宰し、2017年度から三年間組織された、国際日本文化研究センターでの共同研究班「音と聴覚の文化史」の報告書として刊行された。先に挙げたような(これも一部です)、幅広い研究分野からの「音研究」の論考とエッセイが網羅された、現在において聴くことをめぐる思索と実践には、どれだけの領域が広がっているのだろうか、ということを知る格好の書物である。

 「音響と聴覚」はひとつの対応関係をもつものであることはたしかだが、本書の序文でも触れられているように、その関係は聴くことにとどまるものではない。聴こえない音の存在、あるいは、聴くことの中にもさまざまな階調があることなど、聴こえることの拡張は人間の聴覚の領域を逸脱するものでもある。今後のデジタルによる現実世界の複製がもたらす社会では、音を聴く耳は、人間による耳だけではないかもしれないということも想起させた。