トニー・ライスの名作に敬意を込めた新作は創造的な伝承

 四次元の世界では過去もムカデの脚のように消えずに残って見える――そんな話を何かの本で読んだことがある。パンチ・ブラザーズを聴くたびその説を思い出す。彼らの演奏からアメリカのポピュラー音楽の歩みだけでなく、イギリスやアイルランド民謡の歴史のこだままで聴こえてくるからだ。

PUNCH BROTHERS 『Hell On Church Street』 Nonesuch(2022)

 このアルバムはブルーグラス畑で活躍したトニー・ライスの1983年の名作『チャーチ・ストリート・ブルース』に敬意を表して作られた。そのアルバムのトニーは、さまざまな伝承曲やシンガー・ソングライターの曲を鋭い生ギターと端正な歌だけで見事に聴かせていた。ジャンルはちがうが、彼の手法はジョアン・ジルベルトが歌謡サンバからギター弾き語りのボサノヴァを抽出したのに似ていなくはなかった。

 パンチ・ブラザーズはこの新作では、トニーが『チャーチ・ストリート・ブルース』でたどった道のりを多様な音楽的素養を伴侶にさかのぼっている。その演奏は復元ではなく創造的な伝承とでも言うべきものだ。

 たとえば悪魔に誘惑される大工の妻の歌“ハウス・カーペンター”は、半世紀前にはボブ・ディランやペンタングルらに幅広くうたわれていた。17世紀から伝わるこのスコットランド民謡を彼らは今風の劇的なアクースティック音楽に仕上げている。60年代のトム・パクストンのフォーク・バラードはオルタナティヴなブルーグラスに変貌。1世紀近く前のジミー・ロジャーズのジャズ・カントリー“エニー・オールド・タイム”は全盛期のザ・バンドのようだ。

 トニーから直接ギターを教わったクリス・エルドリッチは、張り切って速弾きしていたら、演奏を止められた。そして「耳に心地よい演奏を作り出すには、仲間のミュージシャンと呼吸を合わせることが大事なんだよ」とさとされた。その教訓は、パンチ・ブラザーズの弾きすぎない凄腕の演奏に生かされている。制作中の20年末に遠くへ旅立ったトニーだが、このアルバムを聴けば、さぞかし喜んだことだろう。