外に開けた活動の大切さを認識し始めた『柴田聡子』
――サードアルバム『柴田聡子』(2015年)では、山本精一さんをプロデュースに迎え、豊かなバンドサウンドを交えた作品になりました。
「山本さんは昔から憧れの方だったし、決まったときはめちゃめちゃ嬉しかったですね。けど、その頃はまだ自分の中で気負いのようなものがあって、制作の現場でもどうしても内向きに考えてしまって。今考えれば、もっと山本さんからいろんなものを学んで、もっとぶつかっていくような姿勢だったら良かったのにな……とか思ったり。
他のアーティストやプロデューサーと一緒に作っていくっていうことのスタートラインにこのアルバムでようやく立った、っていうイメージです」
――メロディーやアレンジを含め、それまでに比べて格段ポップになった印象でした。アーティスト写真やジャケット写真もすごくストレート。
「今見ると〈えっ!?〉って感じではあるんですけど(笑)。このあたりから、外に開けた活動をしていくことがどれだけ大切かを認識し始めたんだと思います。作る曲の本質の部分は変わってはいなかったとは思うんですけど、〈一部の人が聴いてくれればいいや〉とか〈別に売れなくても気にしない〉みたいなのが自分にはあまり合わないのかもな、と思うようになって。
それまでの自分って、〈特殊枠〉みたいな感じで〈まあ、柴田さんは『あっち側』の人だから、頑張って売れなくてもね〉みたいに見られていたところもあったと思っているんですけど、それって普通に寂しいことだよなと考えるようになって。
でも、実際に〈ポップになる〉っていうのをやってみると、その難しさも痛感するんですけどね」
凄すぎる音楽家たちと作り上げた『愛の休日』『がんばれ!メロディー』
――次作『愛の休日』(2017年)では、山本精一さんに加えて、くるりの岸田繁さんや、伊藤大地さん、石橋英子さんなどを迎え、よりバラエティー豊かかつポップなサウンドが開花しています。
「今の事務所に所属してから初めてのアルバムが『愛の休日』でした。サンフジンズのライブに呼んでもらったり、活動の幅が広がっていった時期で、一度予算の規模感とかをとっぱらって考えてみようと思って、純粋にご一緒したい人たちに集まってもらった感じです。わがままを許してもらえる環境で思い切り作ってみよう、って。
それまでは自分で請求書を処理したり、予算を管理したり……そうすると、アルバム作りでも夢を見れないっていうか、どうしてもこじんまりした発想になってしまうんですよね(笑)。
けど、実際に集まってもらってセッションを始めたら、最初は戸惑いと緊張で熱を出したりとか(笑)。参加してもらった皆さん、本当に音楽家として凄すぎて……。これは私ももういちど曲作りから頑張らないと!と思って、それが『がんばれ!メロディー』に繋がっていった感じです」
――今に続く盤石の〈in FIRE〉のメンバーが『がんばれ!メロディー』で揃いました。
「このバンドもみなさんの力量が凄すぎるから、音楽面に関しても〈どうしても違う〉ってこと以外メンバーに任せていく感じになりました。私だけが他の惑星から来た人って感じで、音楽的な語彙じゃなくて、絵を提示して〈この曲はこういう感じで〉と伝えたり。大喜利のお題を出すみたいな(笑)。で、みんなその答えがめちゃめちゃ的確なんです」