これさえあれば――シンプルを極めた歌と演奏をアナログテープの魔法でパッケージした、心を震わす極上のカヴァー・アルバム!

 「今回ひとつ壁を突き抜けたぞ、って確信が持てたんですよ。すべての作業がすう~っとうまく運んで、ほぼ迷いもなく、ベストなものを出せた自信がある。手前味噌だけど」(篠田智仁、ベース)。

 「歌っていても演奏していても、これ以上の幸せな瞬間はないな、と噛みしめることができました。私も手前味噌になるけど(笑)」(伊東妙子、ギター/ヴォーカル)。

T字路s 『COVER JUNGLE 1』 Mix Nuts/ユニバーサル(2022)

 二人がそう興奮気味に話すのは、T字路sにとって久々のカヴァー・アルバムとなる『COVER JUNGLE 1』の制作プロセスについて。伊豆のスタジオで初の合宿レコーディングを敢行したのだが、アナログテープを持ち込んでのフル・アナログ・スタイルで臨んだところ予想以上の成果が得られ、幸福感でいっぱいになったのだという。

 「テープの魔法を知っていたはずが、コロナ期間の宅録スタイルに馴れて、忘れかけていた。でも、これに敵うものはないわ、って痛感した」(伊東)、「エンジニアの内田(直之)くんとも話していたんですけど、昔のブルースのような古臭い音が欲しくてテープを使うわけじゃなく、あくまでも僕らがいちばん自然に聴こえる音を得るための手段だと。アナログ録音には不思議と透明感があるし、新しい音と出会えるんですよ」(篠田)と話す二人。アルバムの印象として、自分たちらしいやり方を徹底したら自信の塊がドスンと落ちてきた……といった確かな感触が得られるし、何よりもその選択が、T字路s史上最高値のグルーヴを手繰り寄せる結果を生んだのはめでたいというほかない。

 本企画のアイデアが生まれたのは、2021年に実施した〈ダブルサイダーツアー〉でカヴァーのレパートリーが増えたことがきっかけだそう。ただそれをスタジオに持ち込むだけでは物足りないと考えた二人は、ゲストの西内徹(サックス他)と黄啓傑(トランペット他)を迎えて二人だけでは表現不可能な曲にもアプローチ。例えば、幕開けの“三百六十五歩のマーチ”(水前寺清子)では西内のちんどんルーツを注入して魅惑のドンガラガッタ・リズムを奏でており、それがバツグンの開放感を生成している。この雑然とした路地感覚こそT字路s世界に不可分なものだと誰もが気付かされるだろう。それにTheピーズの“そばにいたい”やザ・クロマニヨンズの“ユウマヅメ”といった混じりけのないロック・カヴァーが違和感なく並ぶところがまた。

 「ザ・クロマニヨンズの曲はシンプルの極致。余計なものを削ぎ落としていったら、童謡のようなロックになった、そういうものを僕らも理想としていますから」(篠田)。

 CMソングで伊東が歌ったこともある小畑実“星影の小径”、小林旭の“熱き心に”や松崎しげる“愛のメモリー”、それにRCサクセションの“スローバラード”などの定番ナンバーがひしめき合うのも特徴のひとつ。ここで二人が考える〈スタンダード〉の定義について訊いてみた。

 「ジャズやブルースやジャマイカ音楽の名曲の多くは歌い継がれながらスタンダードになっていったけど、現在のシーンではそういう継承作業はあまり活発じゃないですよね。だから僕らは積極的にカヴァーをやろうとしているところもある」(篠田)。

 「基準になるものとして、言葉の〈やさしさ〉があると思う。スタンダード・ナンバーって誰もがわかる平易な言葉が使われていて、それに合わせてメロディーも入り組んだ方向にはいかず、シンプルでやさしいものになるというか。自分は歌うから余計そこが大事に思えるのかもしれないです」(伊東)。

 シンプルでやさしくて、思わず口ずさみたくなる、という点に関しては、本作唯一のセルフ・カヴァー“これさえあれば”(オリジナルは2013年)もまたそれらの魅力を備えた曲といっていい。そんなT字路sスタンダードが大ネタの数々と肩を並べても何ら遜色がないことも感動ポイントのひとつだ。なお、この曲はT字路sが初めて劇伴を担当した映画「メタモルフォーゼの縁側」の主題歌として、主演の芦田愛菜&宮本信子に歌われているのも大きな話題。映画本編では芦田の母親役で伊東が銀幕デビューも果たしており、そちらも必見だと言っておこう。ともあれ、いまはこれらの曲が6月11日からスタートするツアー〈COVER JUNGLE TOUR season1〉の舞台でどう表現されるのかが気になってしょうがない。

左から、T字路sの2020年作『BRAND NEW CARAVAN』(Mix Nuts)、水前寺清子のベスト盤『水前寺清子全曲集 ~真実一路のマーチ・三百六十五歩のマーチ~』(クラウン)、小畑実のベスト盤『決定版 小畑実 2022』(キング)、T字路sの2013年作『これさえあれば』(ギャラクティック)、小林旭のベスト盤『小林旭エッセンシャル・ベスト』(ユニバーサル)、The ピーズの89年作『グレイテスト・ヒッツ Vol.2』(ビクター)、RCサクセションの76年作『シングル・マン』(ポリドール)、松崎しげるのベスト盤『ゴールデン☆ベスト 松崎しげる』(ビクター)、ザ・クロマニヨンズの2017年作『ラッキー&ヘブン』(ARIOLA JAPAN)