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ミニマルハウスの洗礼から4つ打ちDJに傾倒

――面白い話ですね。一方で、カットアップなどの編集技法とともに、ビートも重要な要素だと思うんです。

有村​「中塚さんの気になるポイントがもう一つあって、セカンドから2ステップ/UKガラージ感のあるダンスミュージックのエッセンスが急に現れるんです。2000年にはMJ・コールをはじめとする2ステップのアーティストが既に流行っていたわけですが、中塚さんの場合はどこから来たんでしょう?」

中塚武の2006年作『GIRLS & BOYS』収録曲“Stars In Your Eyes”

中塚「鋭いね~! それは、DJをやりはじめたタイミングが大きいんです。

2004年頃にバンドでオーストリアのフェスに呼ばれて行ったことがあったのね。田舎のお城を借り切って、各部屋で演奏するすごいフェスだったんだけど、僕らはアジアのバンドだから〈エキゾチックだ〉〈PIZZICATO FIVEみたい〉って結構ウケたんです。僕らが終わったのは午前4時くらい。その後は、イギリスのミニマルハウスDJのティム・“ラヴ”・リーでした。〈えっ、今レコード替えたの?〉って思うようなミニマルハウスを彼は延々とかけていて、観客がいなくなっちゃったんだよね。僕らはライブが終わったあと遊びに出ていたんだけど、2時間後に楽器をピックアップしようと戻ってきたら、部屋がパンパンになっていたんです。かけている曲は、2時間前と変わらない〈ドッチッドッチッ〉っていうミニマルハウスなんだけど(笑)」

有村​「火を入れた状態をずっと保っていたわけですね」

中塚「そう! まさに炭火みたいな感じ(笑)。〈これはかっこいいな〉と思って、日本に帰ったらDJをやろうって決意したの」

有村​「そんな洗礼を受けたんですね。DJって、良い感じの7インチをかけていくセレクター的なDJと、ちゃんとミックスする4つ打ちマナーのDJがいるじゃないですか。当時、中塚さんが遊びに行っていた現場って、どっちが主流だったんですか?」

中塚「東京では、〈いかにレアなものを知っているか〉というセレクター的なDJが主流だった。オルガンバーが全盛期だったからね。僕のバンドもオルガンバーで定期イベントをやっていたし。

だけど、ティム・“ラヴ”・リーを見て帰ってきて、まずスペイン坂にできた直後のLA FABRIQUEというジャミロクワイがプロデュースした箱に行って、〈イベントをやりたい〉と掛け合ったんだよね。それから毎日練習して、4つ打ちだけをかけるDJを始めて」

――中塚さん史の転換点ですね。

中塚「ダフト・パンクがブレイクした時にフレンチエレクトロの萌芽は芽生えていたから、LA FABRIQUEでもおしゃれでライトなエレクトロやフレンチハウスのイベントをやっていたけど、当時はゴツい人たちが多くて、実は意外と怖いムードだったの。

そんなこんなで時代の流れとリンクしているように見えるかもしれないけど、僕はそれと関係なくミニマルハウスやトライバルハウスのDJをやっていたんです。僕がダンスミュージックに傾倒したのは、個人的な経験からなんだよね」

有村​「世間的な流れ、リアルタイムのムーブメントとシンクロしていたわけじゃないと。そういうことなんだ! 4つ打ちの懐の深さって、そういうところですよね。

フレンチエレクトロといえば、2010年作の『ROCK‘N’ROLL CIRCUS』でその要素が出て来るじゃないですか。あれもトレンドからズレていて、なんでなんだろうなと。ジャスティスがブレイクするのが2007年頃だから辛うじてその影響かな?とか、めちゃくちゃ考えていたんですが」

中塚武の2010年作『ROCK‘N’ROLL CIRCUS』収録曲“On and On”

中塚「あれはね、フレンチじゃないの。良いノコギリ波が入ってきたから、使い倒せるなと思って(笑)」

有村​「あ~! 機材的な更新があったんですね!」

中塚「そう。だから、自分の名義で出すものに関しては、世間的な流行とほぼ連動していない。全部、個人的な動機で作っているんだよね。僕は流行りものに対するアンテナは低いというか、むしろアンテナを出していない」

有村​「今、すべての謎が解けました」

中塚「有村くん、すごい分析能力だな~! 怖い(笑)」