ティルザは、エセックス州ブレインツリーで生まれたシンガー・ソングライターだ。10年近くイギリスの音楽シーンで活動するなかで、さまざまな素晴らしい作品を残してきた。『Devotion』(2018年)と『Colourgrade』(2021年)という2枚のオリジナル・アルバムでは、R&Bやエレクトロニック・ミュージックを折衷した前衛的なサウンドで注目を集めた。その才能は多くのアーティストたちからも認められ、トリッキー、ムラ・マサ、クウェズなどさまざまな才人とコラボレーションをしている。
そんなティルザのサード・アルバムが『trip9love...???』だ。本作は幼馴染にして長年のコラボレーターであるミカチューことミカ・リーヴァイとの共同制作。互いのスタジオを行き来しながらレコーディングを進めたという。ピアノとドラムマシンを中心に作られた音は、とてもシンプルに聴こえる。そのように筆者の耳に響きわたるのは、収録曲のほとんどで同じビートが使われている影響も少なからずあるだろう。多くの音楽的な引き出しを持ちながら、それをあえて使わず、挑戦的な手法を選んだ創造性は称賛に値する。
もちろん、その創造性から生み出された音も秀逸だ。先述したように、デルロイ・エドワーズといったロウ・テクノの香りも嗅ぎ取れるインダストリアル・トラップと形容可能なビートは、同一のパターンを繰り返す。しかし、ミキシングやエフェクトによって、アルバムとしての起伏をうまく作り上げている。ゆえにビートの変化はほとんどないにもかかわらず、描かれている音世界は非常に多彩だ。物哀しい響きを放つピアノ・ループにティルザの親密な歌声が乗る“F22”、神々しさが滲むビートレスの“their Love”、ゴスの雰囲気を漂わせる“No Limit”など、全曲にわたって多くの要素を綿密に絡めている。
なかでも“2 D I C U V”はおもしろい曲だ。ディストーションの海でビートとティルザのヴォーカルが漂流しているようなプロダクションは、『Loveless』期のマイ・ブラッディ・ヴァレンタインを想起させる。一方で、空間や無音を活かしたミニマルなポップソングという側面に触れると、ヤング・マーブル・ジャイアンツも脳裏に浮かぶ。筆者からすると、こうした点は70年代後半から80年代前半のオリジナル・ポスト・パンク的感性を見い出せるものだ。
『trip9love...???』は歌詞も魅力と言える。対象がはっきりせず、抽象度高めの散文詩みたいな言葉は聴き手の想像力を極限にまで高めてくれる。現実と幻想それぞれの愛をテーマにした歌詞は、ひとつの物語を描くよりも、物語の中で生じた瞬間的な情動を歌っているように聞こえる。そうしたこともあり、本作の言葉は聴き手の状態によって姿を変える、多面的なものと評せるだろう。
本作は、ビートと同じく愛の言葉を繰り返すアルバムだ。1曲の中で同一のフレーズを反復することが多く、明確な言葉も少ない歌は、〈愛〉について断定しないまま終える。それをよくわからないと感じる者もいるだろう。だが、このわからないという気持ちこそ、本作の〈愛〉に対する答えかもしれない。そう気づいたら、本作の歌がよりリアルに感じ、親密な空気が周りに立ちこめるはずだ。どれだけ考えても、他者の気持ちを完全に把握するのは不可能で、文字通りわからない。そのような現実を突きつける『trip9love...???』は、これまで幾多も作られてきたフィクションのラヴストーリーが見せる出来合いの答えよりも、断然生々しく、人間的だ。
ティルザ
英エセックス州ブレインツリー出身のシンガー・ソングライター。2013年の“I’m Not Dancing”を皮切りにグレコローマンからリリースを重ね、並行してクウェズ&ミカチューやトリッキー、バウアーらの楽曲に客演して注目を集めていく。ドミノと契約して2018年にファースト・アルバム『Devotion』を、2021年に2作目『Colourgrade』をリリース。ムラ・マサやラファウンダ、オーヴァーモノらとの共演も話題を集めるなか、このたびサード・アルバム『trip9love...???』(Domino)をリリースしたばかり。