Photo by 松本和幸

「古楽はモダンの感覚でいう〈完璧〉ではありませんが、それでも〈完璧〉を目指したい」

 最近、日本にはちょっとしたファビオ・ビオンディ(ヴァイオリン/指揮)旋風が吹き荒れている。一昨年10月に神奈川県立音楽堂で日本初演されたヘンデルのオペラ「シッラ」は佐川吉男音楽賞(奨励賞)を受賞するなど絶賛され、この2月にはバッハの“無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ”を横浜、東京などで披露。ピリオド楽器ならではの繊細な表情、多彩な音色、融通無碍な装飾など、個性的な演奏で聴衆を魅了した。“無伴奏”は2021年にCD化されている。

 「バッハの“無伴奏”は、コロナ禍のおかげで録音できました。仕事が減って時間ができたし。笑。“無伴奏”は一生勉強し続けなければならない作品ですが、若い頃に録音していたら、いずれ満足できなくなって3、4回録音し直すことになったでしょう。時機を待って正解でした」

 不滅の作曲家と位置付けられがちなバッハだが、彼もやはり「時代の子」だという。

 「バッハは畏怖の念を起こさせる作曲家なので楽譜の通りに弾かなければならないと思いがちですが、彼も18世紀前半の人ですから、リピートの時は当然装飾や即興を入れていたはずです。とはいえバッハは厳格でアルカイックな作曲家なので、ヴィヴァルディやコレッリのような同時代人に比べて細心の注意が必要ですが……。

 面白いのは、バッハ自身が装飾を入れるよう指示している箇所があって、そこは演奏家の解釈を許さないことが明らかなんですね」

 “無伴奏”はどんな目的で書かれたかがわからない作品だ。ビオンディは、そもそも演奏することを想定していない作品だと考えている。

 「私が思うに“無伴奏”は、バッハ自身や他の誰かが演奏するためではなく、宇宙とか人類とか調和とか、そういうもののために作曲した作品です。というのも、演奏不可能な箇所がたくさんあるのです。とくにフーガは音価が長く、同時代の人が演奏できたとは思えません」

 ビオンディといえばバロック・オペラ。「シッラ」以前も神奈川県立音楽堂でヴィヴァルディのオペラを上演してきたが、今後は初期ロマン派の作品も視野に入れていきたいという。

 「古典派から初期ロマン派にかけてのレパートリーも大好きなんです。イタリアのロマン派オペラはレパートリーも演奏もルーティンになっているので、それを変えたい。19世紀前半のオペラを、当時の楽器で、当時の楽譜をちゃんと読み込んで演奏することは価値があるし、マンネリの打破になるはずです。

 19世紀のオペラを指揮する時にも、バロック・オペラと同じように弾き振りしています。〈指揮者〉が誕生するのは1840-50年代。その前は第一ヴァイオリン奏者が指揮もしていました。19世紀の劇場は今よりずっと小さく、作曲家も現場についてからオーケストレーションを仕上げたりしています。オーケストラも今よりずっとコンパクトで、室内楽のような響きがしたのではないでしょうか。音楽は毎日変わるもの、日々の活動だったのです。それを実現するには、自分のオーケストラ(エウローパ・ガランテ)でなければ無理ですが……」

 最近は指揮のオファーが増え、モダンのオーケストラにも招かれている。昨年12月には“メサイア”でニューヨーク・フィルにデビューした。

 「モダンのオーケストラを指揮するのはスリリングな体験です。特に18世紀のレパートリーを弾き振りするのはフレキシブルにやれるし、オーケストラのメンバーにも気に入ってもらえます。ニューヨーク・フィルのようなオーケストラだと、技術的には完璧ですからね。古楽オーケストラの場合は、調律の問題もあるし、モダンのオーケストラのような正確性を求めるのは難しい。古楽は、モダンの感覚でいう〈完璧〉なものではないのです。それを承知の上で、古楽における〈完璧〉を目指したい」

 最新のCDは、5月にリリース予定のルーマンの無伴奏作品集。ルーマンは「スウェーデンのヘンデル」と称される後期バロックの作曲家だ。

 「ルーマンは一般にはあまり知られていませんが、ヴァイオリン奏者の間では有名です。演奏会のアンコールとして彼の作品を取り上げることが多く、お客様の反応もよいので、今回録音することにしました。知られていない作曲家や作品の紹介は重要です」

 今後の日本でのプロジェクトの計画も進んでいる様子。新境地を楽しみに待ちたい。

 


ファビオ・ビオンディ(Fabio Biondi)
イタリア、パレルモ出身。1990年、〈エウローパ・ガランテ〉を結成し活動を始める。ソリスト、指揮者として、サンタ・チェチーリア管弦楽団、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団、ハレ歌劇場管弦楽団、ノルウェー室内管弦楽団、モンペリエ国立交響楽団、マーラー室内管弦楽団など数多くのオーケストラと共演。エウローパ・ガランテを率いて、2006年にヴィヴァルディ「バヤゼット」、2015年にヴィヴァルディ「メッセニアの神託」、2022年にヘンデル「シッラ」(いずれも日本初演)を神奈川県立音楽堂にて成功させている。