〈FUJI ROCK FESTIVAL ’24〉の初日のヘッドライナーとして昨日7月26日にパフォーマンスをおこなったザ・キラーズ。2004年以来、20年ぶりにフジロックのステージに登場した彼らのライブのオフィシャルレポートが到着した。また、当日のセットリストがプレイリストで公開されている。 *Mikiki編集部


 

ザ・キラーズのデビュー・アルバム『Hot Fuss』から20年。初来日から20年。その節目の年に彼らと日本の関係が大きく変わることを、ザ・キラーズと日本のファンが絆を強く結び直すことを確信させる、本当に素晴らしいステージだった。前任アクトのキャンセルによって急に回ってきた機会ではあったが、FUJI ROCK FESTIVALのヘッドライナーはザ・キラーズの真価を日本のオーディエンスが余すところなく体感するための絶対条件でもあった。その実力・実績からザ・キラーズが現代最高峰のライブバンドであることは知識として共有されていたかもしれないが、苗場のフィールドで、配信のスクリーンの前で、〈まさかここまでとは!〉と興奮した方も少なくなかったはずだ。ザ・キラーズは、いつだってそういうバンドだった。オーディエンスの期待に応えるために常に200%のパフォーマンスで臨み、結果として期待を遥かに上回るステージを繰り広げてきたのが彼らであり、〈ファビュラスなラスベガス〉からやってきたことを誇るザ・キラーズのショーマンシップが、20年にわたってそれを証明し続けてきたのだ。

開演時刻が迫り、待ちきれない観客の拍手が何度か巻き起こる中でついに暗転、キーボードのKの電飾が浮かび上がると拍手は大歓声に取って代わる。颯爽とステージに登場したブランドン・フラワーズはドレッシーな白のジャケット姿で、そのスターのオーラにさらにどよめきが広がった。1曲目は“Somebody Told Me”で、助走なしのトップスタートだ。現在のキラーズのツアーは『Hot Fuss』20周年を意識してか、初期の3作(『Hot Fuss』、『Sam’s Town』、『Day & Age』)のナンバーを中心に代表曲を惜しみなく披露する、フェスティバル向きのベストヒット的なセットとなっている。しかし、ショウが始まって早々に“When You Were Young”をド派手な花火の特効付きでやってしまう前のめりのセットリストは、自他共に認める〈何故か日本でのみブレイクできなかった〉彼らの、〈今度こそここで成功したい〉という、リベンジマッチにも似た意気込みを感じさせるものだった。

「20年もここ(フジロック)に来ることが出来なかったんだ。20年だよ! ……20年経つと何もかも変わってしまうよね。でも、一つだけ変わらないことがある。ロックンロールショーを見るのに相応しい場所は、ここだってことだよ」とブランドン。その言葉を裏付けるように、“Jenny Was A Friend Of Mine”はよりラウドでロック的なアレンジになっている。現在のザ・キラーズのライブにおけるオリジナルメンバーは、ブランドンとドラムのロニー・ヴァヌッチィのみだ。しかしツアーメンバーは彼らのエンターテイメントを理解した熟練のプレイヤー揃いで、特に2000年代から彼らと組んでいるテッド・サブレーは、ライブバンドとしてのザ・キラーズの要と言える存在だ。

3人の女性コーラスが効果的にフィーチャーされた“Running Towards A Place”ではスクリーンに客席が映し出され、黄金色のライトに照らされたオーディエンスのとびっきりの笑顔と大歓声に、彼らもオーディエンスもこの日のショウの成功を確信したのではないか。“Spaceman”は彼らのレパートリーの中でも特にライブ映えする一曲。バース、コーラス、大サビの全てにピークポイントがあり、倍々ゲームでクライマックスに至る同曲は、彼らの恐ろしくベタでキャッチーなシンセポップと、過剰なほどのサービス精神、そしてその過剰さを筋肉質な演奏できっちりコントロールできるロックバンドの技術、つまりキラーズの心技体を象徴するナンバーだ。飛び跳ねて熱狂するオーディエンスによって、最後にはフィールドが波打っているように見えたほどだ。

ステージの高所にひらりと飛び乗って、時には長い足で四股を踏むように、また時にはエルヴィス・プレスリーのような芝居がかったアクションで歌い、煽り、何度でもカタルシスの極みへとオーディエンスを導くブランドン・フラワーズという人は、正真正銘のグレイテストショーマンだ。ちなみに彼は観客に向かってこうしろ、ああしろと指示するタイプのショーマンではない。ザ・キラーズのライブアレンジは本当に良く練られていて、ブランドンの一瞬の合図や目線のみで、面白いほどあっさりと合唱や手拍子を誘発させる仕組みになっているのだ。百戦錬磨というか、世界中のフェスで多種多様なオーディエンスを相手にヘッドライナーをし続けてきた彼らの、まさに名人芸と呼ぶべきものだろう。