「初めはフリージャズをやるつもりだった」
祝! コジマ録音50周年、音楽に没頭できる音を求め続けて

 コジマ録音が50周年。40周年では近藤譲『線の音楽』が、50周年はおなじく近藤譲『ブルームフィールド氏の間化』と『時の形』がCD化。どちらもLPレコードがリリースされた時点では、作曲家がレコードというメディアで音楽作品を届ける新しい試みだった。インディーズということばもない時代、現代作品を積極的にリリースしてきた社主・小島幸雄さん。わたしにとっては近藤譲、佐藤聰明、長与寿恵子、あるいは高橋悠治といった名とともに、阿部薫があり、土取利行+坂本龍一、スティーヴ・レイシーといった名と切り離せない名だ。

 「ジャズやるつもりだったんですよ。フリーの。阿部薫をね。阿部さんが亡くなって、しぼんじゃったんだ、こっちもね。70年代は、いまやっているクラシック、特にロマン派は射程にはいっていなかった。好きで、バロック関係はあったんだけれども。だからカルト・レーベルと誰かに書かれて、近藤譲に愚痴ったら、そうだよ、って(笑)。そのころからフリージャズのシーンが解体していった。自由になりすぎてね。社会に抵抗するようなかたちがなくなったようでね」

 1970年代、「いま」のことをやっている、「いま」の音楽にじかにふれているところ、という印象がコジマ録音にはあった。

 「はじめは高円寺。パンクスとか、いてね。けっこう手伝ったんです。雑誌『ロック・マガジン』を阿木譲さんがやっていて、何枚かつくった。Phewのアルバムもありましたよ。1000枚限定とかでね。その後、代々木に拠点をおいたりして、ここ阿佐ヶ谷に来ました。24年です。ほぼ社歴の半分です」

 「アルバムをつくる、のと、録音をする、のと両建てです。関西系フォークも録音したし、山岡重治さんのリコーダー、小林道夫さんのチェンバロ――当時はまだ楽器があまりなかったし、調律する人がいるかいないかというくらい――で古楽もやった」

 録音のコンセプト、ポリシーといったもの。

 「なるべくその人のいい演奏をとろうとおもってはいます。鼻にぬけるような音がいいな、と録音していますけどね。ぬけのいい、飽きない、音楽に没頭できるような音……。やはりアコースティックな音、人間がやるそのもの(の音)がいいですね。演奏するときは、録音する側、演奏するときの場所も、共演者だとおもっているんです。録音が悪いと、共演者が悪いみたいになってしまう。部屋でもおなじようにね。音はかえってきますよね。共演者にどうきこえているのか、(共演者が)どうきいているのか。音がかえってくるというふうにきくひとは、やっぱりうまいですよ。きかないひともいますけどね(笑)」

 LPからCDへ。

 「CDをつくるようになって、LPとCDを両方だすというのはしてきませんでしたね。LPが売れなくなったときは1トンくらい捨てました。もったいないはなしだけど……。気持ちとしては、全部、アナログからつくりたいとおもいますよ。おなじ音源をべつに聴くと、レコードはもちろんばちばちしたりします。喧しいんですけど、なぜか、ほっとするんです。古いレコードをきくとほっとする。いい音とは違うかもしれないけど……。そういうCDがあったらとおもいますね。まあ、知らないと気づくこともないわけですけど(笑)。あの差はなんなんでしょう……。でも、現代曲やっているとディジタルはうれしかったんです。間が多いでしょう? アナログは喧しいんです。これはいいなあ、とおもいましたね。現代曲ではいいですよ。まあ、ほっとしたものはいらないかもしれないし――」

 これからの予定・展望について。

 「誰も知らない作曲家、人の影に隠れているけど、でも、というのをちゃんと残してあげたいとおもいますね。だんだん集中力がなくなってきたけど、そういうことならできるかもしれないな(笑)。作曲というのはロマンじゃないですか。残すってことですよね。譜面だけじゃわからない。同世代、いい作曲家がいる、いたというのが残せれば。だから『線の音楽』をつくったとき、こんなふうに考えている作曲家がいるんだ、とおもいましたね。近藤譲は近藤譲、佐藤聰明は佐藤聰明で、みなそれぞれ違っていてね」