『線の音楽』、初CD化! そして書籍が同時期に待望の復刊!!
近藤譲の『線の音楽』は、かつてLPレコードとしてリリースされ、さらに書籍として刊行された。おなじタイトルでありつつ、一方は音楽作品の録音であり、もう一方はその当時の作曲についての思考を言語化したものである。この列島の音楽界に、音楽そのものとして、また音楽について思考することについて、二つの『線の音楽』は大きな衝撃を与えた。
re-issue(s)
あらためて世に出る『線の音楽』
――コジマ録音とアルテスパブリッシングから、これまであまりおこなわなかったようなかたちで、CDと本が、あらためて世にでます。30数年ぶり、になりますか。
「本が35年でレコード/CDが40年。もちろん昔やった仕事に未だに関心を持ってもらえるのは嬉しいです。でも一方で、いま通用するのかな、っていう不安がなくもない。特に本はひじょうに若いときに書いたものですし。いま読むと、これは乱暴じゃないか、とか、ここはこう言い切っちゃうのはちょっと、とかはあるんです。ただ、いましている仕事の基になっている、というか、つながりがないわけではない、と。あの段階で、最初の方向性が決まったということがありますし。出発点みたいなところと、いまのものを(併せて)みてくれれば、何をやりたいと思い、どうやってきたかがわかってくれるかな、と思います」
――モノとして、かつてはLPだったものがCDになり、書籍のかたち(判型その他)も変わっています。
「モノの形が違うとずいぶんイメージが違いますね。特に本の最初のヴァージョンはエピステーメー叢書の1冊です。『エピステーメー』という雑誌/叢書が発行されていたのは、たとえ読者がいなくても、思想をめぐって本をたくさん出し、とにかく勢いをつけようという時代のものです。だから、『線の音楽』という本が単独で出た、というイメージより、エピステーメー叢書が作っていた思想的な空気のなかの、動きのなかのひとつ、というイメージがすごくあるんです。違った装幀で新しく出てくると、今度は単体で出てくるってことになります。ずいぶんコンテクストが違う、と感じられますね」
――エピステーメー叢書には音楽の本が多くなかったですし。
「エピステーメー叢書は、雑誌の『エピステーメー』がもとになっています。この編集長だった中野幹隆さんは、思想を哲学の世界のなかに閉じこめるのではなく、あらゆる人がクリティカルなものの考え方になじんでほしい、との意図を持っていましたよね。ですから、思想の人、学者だけじゃなくて、作曲家にも執筆依頼したし、雑誌でも音楽の特集を二度やっています」
――わたし自身は、もう時効だから明かしてしまいますが、本そのものはなかなか買い求めずに長らく、雑誌のコピーを自己製本していました。そしてLP『線の音楽』も持っていなくて、知人にカセットにダビングしてもらったものでした。どちらも〈複製〉(笑)。手持ちのカセットはレコードと曲順が違うのです。そのため、いまあらためてCDを聴くと、奇妙な感覚があります。
「LPとCDの違いっていうのは面白いですね。LPってほとんど抵抗なく頭から聴くんです。もちろんA面だけ聴くとかB面だけとかはあるけれども。CDにはA面、B面がないし、頭からかならずしも聴かない、っていうことは大きいですね」
――〈何曲めが、何楽章が聴きたいな〉と思っていても、最初から聴いたりするのがLP。すごくリニアな、あるいは、アナログ的な側面です。逆に、いまのネットからダウンロードというようなことになると、(曲順の持つ)コンテクストがなくなってしまう。このあたり、現在の聴取の問題とかかわってきます。
「CDを作るときはまだLPの癖が残っている――というか、どういう順番でどう聴いてもらうか、っていうのをすごく真剣に考えている。A面、B面はないにしろ、ね。で、ダウンロードになるとCDのそういうものさえない。だから、単体で聴く、っていうのは、もちろんそれが単独の作品なのだから当たり前なんだけれど、音楽って聴くコンテクストにかならず影響されるでしょ、聴く方の。そうすると、ある順番で聴くとか、すくなくともCDはそういう風に並んでいるので、全部聴かないにせよ、何かの前にあるとか後にあるとかっていうのと、単体だけダウンロードして聴く、というのは、全然体験が違ってきますよね」
――聴く側もそうですし、弾く側も同様に。
「今回久しぶりに聴いてみて、復刻されたものに入っている曲のほとんどは、アンサンブル・ノマドの演奏でCDに収められている。するとね、ほかのCDで聴くのと全然印象が違うんです。演奏が違うというのはある。でも、それだけじゃなく、あれをまとめてああいう順番でとおして聴く。そうすると1曲のイメージじゃなく、全体としてこういう音楽、とのイメージがひじょうに強くなる。こういう形で復刻する意味があるな、と思ったのはそういうところにもあります」
――ジャケットの見え方というのもあります。(コンドウ)マサコさんの大きな作品がほとんど美術作品のようにばーんと30センチ四方でみえるのと、CDとでは全然見え方は違います。