©Jörgen Axelvall

 オペラといわれると身構える。正確には、からだがちょっとこわばる。ましてや現代のオペラ、となると。ステージ上でひとが歌い、演戯する。うた芝居は世界中にあるし、大抵はそういうものかとすっとはいっていけるのだが。

 近藤譲のプロフィールにオペラがあると気づいたのはいつだったか。いつのことかは忘れたが、そのときの違和感はおぼえている。この作曲家の書法から、劇場、さらにオペラはほど遠いとおもったからだ。ダンスの音楽があるのは知っていた。でも、声が、テクストがある、しかも〈オペラ〉だという。ほんとうに? プロフィールにはあっても、ふれたことはない。ふれる機会がない。この列島でやらないような、封印された作品なんじゃないか。勝手にそんなことをおもわないでもなかった。ようやくそんなことなく、演奏される機会が訪れる。ほんとうにあるんだ、聴けるんだ……

 舞台にふれているわけではない。オペラの映像・録音でふれた。かなりの推測や想像がはいっている。そのうえで。

 オペラ、ゆえのこわばりは、始まってしばらくするととけていった。音楽が、音が、発される前の空気、ステージのうえのひとの姿、うごき。発される声、ことば、静寂=沈黙、そしてオーケストラの、フルート・ソロの、ひびきのなか。これは近藤譲の音楽だ。近藤譲が書きつけた音、音たち、がかさなってゆく。ストーリーが織りなしてゆくドラマではなく、視覚的要素の変化がステージでは進行する。明滅する光。ひと(びと)の移動、身ぶり。

 「羽衣」、という。おそらく、この列島なら誰もが知っている高名な伝説。リブレットは日本語。ナレーションの声は女性。文語体で、能の、能の謡のように、語られる。語られる? 語られるが、そこにはこの言語のイントネーションがある。平坦で跳躍はなく、それでいて、〈うた〉〈ふし〉でもあるような。ふつうの発音・発話と〈うた・ふし〉とのあいだを揺れるのが能の時空間のありかただった。しばらくして登場するメゾ・ソプラノ。天女、なのだろう。こちらは装飾を多用した、それでいて過度に技巧的でないフィギュレーションでうたう。こちらも日本語。もとより発されることばの意味を聴きとろうなどとはおもっていないが、文語体ゆえのことばのしまりは感じとれる。ここはちいさくない、このオペラの意味のはず。オーケストラの各楽器は、かさなったりはずれたり、入れ替わったりしながら、音色の持続をつくりだす。

 オペラは、さしはさまれる、というよりは、ふと、おかれる、長い休止(静寂=沈黙)とともに。大きく起伏が、ドラマがあるわけではない。個々の音、発音と発声、ひとつとひとつの音とのつながりと切れ。1時間弱のなか、音が発され、のび、かさねられるのを、観衆・聴衆は体感してゆく。それは、天女と漁師がそれぞれどういうふうに時間を過ごしていたかを、ことば(の含意としての意味)ではなく、時間のながれとして、刻々に、音の状態の変化として(ステージ上の歌い手、語り手、舞い手、演奏家、とともに)の体験。天女と漁師の〈内面〉や〈こころのうごき〉などにははいりこむことなく、ただその時間を、この空間のなかで過ごしている、そのことをそこにいるすべてのひとともに。

 どこででも演奏可能なように、いわゆる歌劇場でスタンダードなことばが、普遍性の名のもとにつくられる、どれもあまり変わりないオペラの数々と、「羽衣」はそうしたものとはまったくべつのところでできている。ドラマから遠いぶん、ステージ上に配置した歌い手やダンサーを配置した演出をとおしてこそ、体感されるべき作品であるようにもおもう。たまたま資料としてみた演出のゆえだったかもしれないけれど。

 「羽衣」、フィレンツェ五月音楽祭(フィレンツェ市立歌劇場)の委嘱で作曲、ロバート・ウィルソンの演出で、1994年に初演。

 第55回サントリー音楽賞を近藤譲が受賞してこそなった公演だが、もしそういう記念がなかったとしたら、とおもうと、いささか穏やかでない。わたしだけのおもいではないのでは。

 


近藤 譲(Jo Kondo)
1947年生まれ。東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。ロックフェラー財団やブリティッシュ・カウンシルの招きで米国、英国に滞在。ハーバード大学、イーストマン音楽院、ケルン大学、ハンブルク音楽大学ほか、欧米の多数の大学で講演や講師、客員教授などを務め、ガウデアムス国際作曲コンクール、芥川作曲賞、武満徹作曲賞などの作曲コンクールの審査員も務めた。パリの秋、ハダースフィールド国際音楽祭、タングルウッド音楽祭、コンポージアム(東京)など、国内外の音楽祭で特集が組まれている。1980~1991年、現代音楽アンサンブル〈ムジカ・プラクティカ〉音楽監督。作品は、オペラ、オーケストラ、室内楽、独奏曲、合唱、電子音楽など広範におよび、作品の楽譜は主に英国のヨーク大学音楽出版局(UYMP)から出版されている。1991年尾高賞、2005年中島健蔵音楽賞、2018年芸術選奨文部科学大臣賞、2024年サントリー音楽賞を受賞。2012年アメリカ芸術・文学アカデミー外国人名誉会員(終身)に、2024年文化功労者に選ばれた。エリザベト音楽大学、お茶の水女子大学、東京藝術大学などで教鞭をとり、現在は昭和音楽大学教授、お茶の水女子大学名誉教授。日本現代音楽協会理事長。主な著書に、「線の音楽」、「聴く人」、「ものがたり西洋音楽史」(毎日出版文化賞特別賞)がある。

 


LIVE INFORMATION
第55回サントリー音楽賞受賞記念コンサート
近藤 譲(作曲)オペラ『羽衣』
Commemorative Concert of the 55th Suntory Music Award
Jo Kondo, Composer

2025年8月28日(木)東京・サントリーホール 大ホール
開場/開演:18:50/19:30 *休憩なし

■出演
ピエール=アンドレ・ヴァラド(指揮)
加納悦子(メゾ・ソプラノ)
厚木三杏(舞踊)
塩田朋子(ナレーター)
多久潤一朗(フルート)
読売日本交響楽団 女声合唱団 暁
西川竜太(合唱指揮)

■曲目
近藤譲:“接骨木(にわとこ)の3つの歌”
近藤譲:オペラ「羽衣」 *日本初演・演奏会形式(舞踊付)

併催企画 近藤譲のドキュメンタリー映画上映
「A SHAPE OF TIME -the composer Jo Kondo」(2016年)

2025年8月28日(木)東京・サントリーホール ブルーローズ(小ホール)
開場/開映/終了予定:16:30/17:00/18:50

https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20250828_M_3.html