諧謔と反骨の音楽家、初の本人公認評伝

マーカス・オデア, 須川宗純 『ロバート・ワイアット』 国書刊行会(2025)

 日本中のファンが待ち望んでいたロバート・ワイアットの評伝(英本国では2014年刊行)の和訳書が遂に登場した。ワイアットの足跡をまとめた書籍の日本版としては、97年に「ロング・ムーヴメンツ」が出ているが、あれは英国での94年初版とそれに手を加えた翌95年のイタリア版を元にしたものだったので、その後のことは書かれていない。そして何よりも、「ロング…」がワイアットのファンジンに載った本人及び関係者の発言やコンサート記録などを断片的情報として年代順に並べたものだったのに対し、これは著者が本人以下関係者多数にインタヴューして書かれた初の本人公認評伝である。「ロング…」で羅列された膨大な情報の点と点の隙間を埋め、一本の太い線として結ばれた物語が、ここでようやく完成したと言っていい。簡潔な説明文付きのディスクグラフィや索引を含む約500ページの大著。

 デイヴィッド・アレン・トリオやワイルド・フラワーズなどソフト・マシーン以前のこと、マシーン解雇からマッチング・モウル結成の流れ、下半身不随となった椎骨損傷の転落事故、ラフ・トレイドとの密な関係など、80年代までのワイアットのおおまかなキャリアに関しては、ファン・レターの数がイタリアと並び最も多い(ワイアット言)という日本ではよく知られているだろうが、ひとつひとつの出来事の経緯や詳細な状況、そこにあった本人の感情などをつぶさに回想してゆく本書での率直な言葉からは、彼の人間性や資質――脆弱さ、ナイーヴさ、反骨ぶり、上品さ、誠実さ、知性、教養、ユーモアといったものがダイレクトに伝わってくる。そして我々は、その人間性や資質、哲学が両親から受け継がれたものだったこと、あるいは彼の声そのものに宿る複雑な哀しみの源であることを改めて理解するはずだ。

 80年代のラフ・トレイドとのつきあいに関するあれこれや、政治/社会思想に関する言葉は、特に刺激的だ。たとえば「僕は憎むべきとされる人たちの中に美を探している。ロシア人、中国人、アラブの人たち、誰でもね。(略)……価値があるとか倫理的だとかいうんじゃない、これはアヴァンギャルドの美学の延長でね。不快とされるものの中に美を探すんだ」とか。

 現在80才のワイアットが原書の発売と同時に音楽活動からの引退を宣言して既に11年経つが、世界は依然、ワイアットを求めている。