今年5月、2000年代の日本のロックシーンを〈下北系〉〈残響系〉と2つのキーワードに絞って振り返った特集記事を掲載した。米津玄師ら現在シーンの先頭を走る多くのアーティストに影響を与え、アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」のヒットなどにより再びスポットが当てられた2000年代のロックミュージックは、当然〈下北系〉〈残響系〉だけですべてを語りきれるものではない。
そこでMikikiでは、ライターの金子厚武に再度執筆を依頼。〈Back to 2000s J-ROCK〉と題して2000年代の日本のロックシーンをより俯瞰して振り返ってもらった。第1回では、Hi-STANDARDらインディーズ勢の隆盛、GOING STEADYと銀杏BOYZの登場、ロックフェスを席巻したDragon Ashの活躍などについて触れていく。 *Mikiki編集部
Hi-STANDARD、MONGOL800、GOING STEADY……インディーズブームの到来
2000年代の日本のロックシーンを振り返るにあたって、まずはHi-STANDARDと彼らが主催した〈AIR JAM〉を起点に考えてみよう。1997年にスタートした〈AIR JAM〉がお台場レインボーステージから翌年の東京ベイサイドスクエアへと会場規模を拡大する中、Hi-STANDARDは1999年に完全なインディーズレーベルとして独立したPIZZA OF DEATH RECORDSからアルバム『MAKING THE ROAD』を発表した。
同アルバムでHi-STANDARDが名実ともに日本のバンドシーンのトップへ浮上した翌年、〈AIR JAM 2000〉は千葉マリンスタジアムで開催され、BRAHMAN、HUSKING BEE、bloodthirsty butchersなど18組が参加。それまでの日本ではマイナーだったパンクやラウドのシーンのバンドたちによってスタジアムを埋めるという歴史的な1日となったが、Hi-STANDARDはその役目を終えるかのように、この日のステージで約10年の活動に区切りをつけ、活動休止となった。
Hi-STANDARDが起こした旋風はメロコアブーム/インディーズブームを呼び、SNAIL RAMP、10-FEET、B-DASHらが浮上して、中でも沖縄発のMONGOL800が2001年に発表した『MESSAGE』は大ヒットを記録。インディーズアルバムとして史上初のオリコン1位&ミリオンセラーを達成した。
2003年には同じく沖縄を拠点とするHYの『Street Story』がオリコンチャート4週連続1位という快挙を達成。さらにこのブームは〈青春パンク〉の盛り上がりとも結びついて、2003年にメジャーデビューした175Rがその象徴となったが、日本のロックシーンを語る上でより重要なのがGOING STEADYと銀杏BOYZの存在だろう。
90年代から活動していたGOING STEADYはUKプロジェクト傘下のLibra Recordsから2002年に発表した“童貞ソー・ヤング”がヒットし、〈青春パンク〉を代表する一組となったが、2003年に解散。しかし、峯田和伸を中心としてすぐに銀杏BOYZが結成されると、2005年の1月に2作同時に発表された『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』と『DOOR』が大きな話題に。峯田は2010年代になると俳優としても本格的に活躍するなど、〈青春パンク〉という言葉の範囲を越え、日本のロックアイコンの一人として後続に影響を与え続けている。