今年はタワーレコード渋谷店の移転30周年のメモリアルイヤー。90年代、ミリオンセラーのJ-POPが次々と生まれ、CDは〈街の空気〉を変えるほど売れていました。タワレコのショッパーを抱えて渋谷を歩く――そんな光景がまだまだフレッシュだったあの頃。
今回は、1995年のオープニングから店頭に立っていたという元渋谷店スタッフの高橋ヒゲさんこと高橋剛弘さん(現バーベイトロック株式会社代表取締役)に渋谷店でインタビューしました。CD黄金時代の記憶を、お店という〈現場〉から探ります!
WAVEのバイトから移転オープンしたタワレコ渋谷店へ
――高橋さんはタワーレコードに就職する前は、何をされていましたか?
「学生時代は、渋谷LOFTにあったWAVEでバイトしていました。CLUB QUATTROのCD即売を担当してたりしました」
――WAVEは西武系列のレコード屋で、80~90年代の東京カルチャーマップの話題では必ず名前に挙がりますね。CDも既に取り扱っていましたか?
「そうですね。当時CDは、輸入盤だと〈ロングボックス〉という箱に入って届くことが多かったです。レコード棚のサイズに合わせた箱で、売り場での陳列を想定した仕組みですね。WAVEでは箱から出して、普通にシュリンクし直して売っていましたが。
もちろん、レコードも並行して売っていました。当時はダンスミュージックが盛り上がり始めた時代なので、12インチコーナーは人気でしたね。そういったテクノもそうだし、フレンチポップやワールドミュージック、ソウルやR&Bなど、様々なジャンルを取り扱っていました。自分はもともとはメタルのバンドをやっていて、メタルしか聴いていなかったんですけど、店でいろいろな音楽を知っていきました」
――WAVEは他にない商品ラインナップが人気で、小山田圭吾さんや中原昌也さんも通っていたそうですね。
「いわゆる渋谷系のアーティストだったり、DJもよく来ていました。店員のほうも名物バイヤーのような人が多数いて、その内の一人であるCOMPUMAこと松永耕一さんは後々、タワーでも一緒に働くことになりました。タワー渋谷店では松永さんが通称〈松永コーナー〉という独自の展開をしていたのが有名ですね」
――タワレコに就職されたのはいつ頃ですか?
「95年の1月です。阪神・淡路大震災のすぐ後でした。だから最初の仕事は、神戸店から送られてきた商品を鮫洲の倉庫で仕分ける作業でしたね。地震でダメになってしまった商品、無事だった商品をひたすら選別していくんです。めちゃくちゃ大変でした(笑)」
――辛い仕事ですね……。ここ(タワーレコード渋谷店)がオープンするのが、その年の3月ですよね。
「そうですね。自分は渋谷店では、邦楽の担当になりました。そういえば、オープン日(1995年3月10日)に合わせてリリースされたのが、ZARDのアルバム『forever you』でした。いや~、いろいろ忘れていましたが、こうやって話していると思いだしてきますね(笑)」