主演を人気フォークシンガーのドノヴァンが演じた、不思議なファンタジーメルヘン
誰もが知る中世ヨーロッパの不思議な物語。この不思議さを1971年の映画は解こうとはしない。笛吹きに名はなく、子どもたちをどこに連れて行ったのか、何のためだったのか、謎のまま。わかったようなふりをした解決などないままに。

自称吟遊楽師を、ドノヴァンが演じる。役者としてうまいかどうかは二の次。あいだに聖歌や舞曲もはさみこみつつ、中世・ルネッサンスを模したリコーダーのメロディ、背景としてひびくオーケストラ、つま弾かれるギターとうたが、1970年代のドノヴァンを中世と難なくつないでしまう。
ドノヴァン、いまどの程度の認知度があるのかわからない。映画の何年かあとには、つげ義春原作、佐々木昭一郎のTVドラマ「紅い花」で“The River Song”の、スコティッシュ・フォークの淡々としたうた/かたりくちが、印象的に。
監督ジャック・ドゥミ「ロバと王女」につづく作。グリム童話やブラウニングの詩を混ぜあわせ、ストーリーは変わらずとも、もうちょっと、大人の、大人たちの世界のきたなさを描きだす。市長や聖職者のカネをめぐるあれこれ。非科学的な宗教的教義。不具者、女性への横暴、錬金師たるユダヤ人への差別。
音楽は遠くから、門も壁も塀も乗り越えて、耳に届く。病の床に臥した娘が目を覚ますのは、この音だ。錬金術師メリウスは、音楽が古来から病を癒すと口にする。ねずみたちを川へと導くのも、眠っている子どもたちをつれだすのも笛の音。
映画で設定されているのは1349年。黒死病とねずみとを結びつけてだろう。ハメルンは、まさに疫病を恐れ、外界との門を閉じている。音は、音楽は、そんなものをものともしない。防音設備の整ったいまならともかく、中世では音は隙間をぬけてゆく。黒死病とも似て。
古いはなし、伝説、子どものはなしとおもいつつ、でも、そうなんだろうか。いまは違うのだろうか。「この街は正気じゃない」とよそから来たものが呟くところは、いま・ここかも。