©Roberto Cifarelli

新たなパートナーを伴い、10年ぶりの来日公演が決定!

 エグベルト・ジスモンチが10年ぶりに来日する。

 ブラジルの広大な自然と多様な人々の生活が巨大な音楽の奔流となって溢れ出すようなジスモンチの音楽の現在は、驚くべきことにさらなる新しい姿をともなって繰り広げられることになりそうだ。

 10年前の来日では、デュオのパートナーとして共演が予定されていたナナ・ヴァスコンセロスが直前に他界してしまい、それを偲ぶ形でのソロ公演が多くの人々に共感と感動をもたらした。今回、ジスモンチの音楽のパートナーとして同行するのは、1981年生まれで、幼い頃からクラシックや現代音楽の表現を追求し、2015年のジスモンチ本人との出会い以後、それまでもレパートリーとしていたジスモンチ作品の解釈者としての活動をより深めることになったギタリスト、ダニエル・ムハイ。ジスモンチ自身のプロデュースによって、ジスモンチが主宰するレーベル〈Carmo〉からリリースされたギター・ソロによるジスモンチ作品集を聴けば、彼がいかにジスモンチの音楽を敬愛し、理解しているかを即座に納得できる。ムハイは早くからハダメス・ニャタリやアントニオ・カルロス・ジョビンなどの近代ブラジル音楽の象徴ともいえるアカデミズムと民衆の声の中間に位置する音楽を自在に演奏してきただけでなく、テープとコラボレーションした前衛的な作品をも録音するなど、ギターのフレット・ボード上に展開される広汎なモダン・アートとしての音楽を俯瞰してきた。だからこそ、ジスモンチの音楽が内包する様々な要素にも即座に対応することができる。

 二人の共演はECMレーベルの録音に使われることで有名なスイスはルガーノのオーディトリオ・ステリオ・モロRSIや、ロンドンから先鋭的な音楽を発信し続けているライヴ・ハウス〈Cafe OTO〉での公演の模様がYouTubeにアップロードされている。ここでのプログラムは、ジスモンチとムハイのギター・デュオ、またはジスモンチのピアノとムハイのギターのデュオで、“フレヴォ”“輝く水”“水とワイン”などを始めとする様々なジスモンチによるヒット・メドレーの他に、ジスモンチのピアノ・ソロで、エイトル・ヴィラ=ロボス、ジョビン、そしてピシンギーニャによる名作ショーロの“カリニョーソ”などブラジル音楽史を切り取るような曲目によって構成されている。

 ジスモンチの作品、そして自身による演奏の際立つ特徴として、それぞれの作品が、たとえ数々の─他のミュージシャンによるものも含めた─名演の歴史を持つスタンダードとなってしまっていても、まるでその日のその演奏の瞬間に創造されたように聴こえるという点が挙げられる。ジスモンチが以前に語っていたことによれば、それらの多くは即興的なものではなく、17世紀の吟遊詩人の奏でる器楽的なカデンツァのように、楽譜から離れてはいても、繰り返され、磨かれてきたパッセージを展開しているとのことだが、押し寄せるひとつ一つの音が音楽的アイデアの瞬発的なスパークのような速度でサウンドする。

 このスピードを同じように体感できるミュージシャンは多くはないが、ダニエル・ムハイは見事にそれを共有している。あるいは、ジスモンチ本人に対して、新たな冒険を促しているかのように挑発的に聴こえる場面すらある。ジスモンチは語る。

 「私たちは9〜10年前からの知り合いですが、音楽は私たちを南米やヨーロッパの様々な場所へと連れて行ってくれました。40歳前後の世代を生きるダニエルは、私が自分の子供達に見出した感覚の延長線上にいる存在で、敬意と思いやりに満ちた世界を求めて、より良いブラジルの未来を思い描いています」。

 YouTubeで聴くことのできるコンサートの中間部での、ジスモンチのピアノ・ソロによるブラジル音楽名曲集も、もし日本の公演で聞けるのであれば嬉しい。それらはスタンダード・ナンバーの模範的な解釈に落ち着くのではなく、ブラジル音楽の先人たちへの愛情がたくさん込められていて、知らず知らずのうちに心の奥底の郷愁を呼び覚まされて涙してしまうみたいな演奏だ。

 

©Roberto Cifarelli

 前回の来日時にインタヴューしたおり、「近年はできる限り若い世代のミュージシャンの音楽に耳を傾け、時に細かな感想を述べるんだ。私が彼らの音楽を聴いて思うことを伝えるのは、私がその音楽を好きか、嫌いか、ということとはまったく関係がない。音楽というのは、作曲されて、それが誰かの手によって演奏されて、そして聴かれて楽しまれるということで初めて人生の糧となる。だから、すべての音楽がかけがえのないものだ。あえて言うなら、音楽には二種類しかない。私が大好きで今日まで必要としている音楽、そして、私が明日から必要とするであろう音楽さ。」と語ったジスモンチによる若い世代への期待や、すべての音楽に満遍なく惜しみなく注がれる愛情が辿った10年の答えが、今回のムハイとのプログラムへとつながっている。

 レバノンからの移民を父に持つジスモンチは、ピアノの厳格な教育を受け、パリで名教師ナディア・ブーランジェの薫陶も受けた。母はイタリア人だったが、ピアノの音色は素敵だけど、セレナードがない、と息子に訴えた。そこでジスモンチはギターも習得することになった。ジスモンチにとってのギターは、通常の6弦ギターから、ピアノで可能なポリフォニックなアイデアを豊かにリアライズするために、多弦ギターへと進化した。最初はピアノの音楽がギターに影響を与え、その後はギターの音楽がピアノに反映されるようになり、ジスモンチは、どちらか一方のスペシャリストというよりはより広範な意味での音楽家、インストゥルメンタリストを目指し、それぞれの楽器にそれまで存在していない、想像だにしないような演奏法でも試してみようと思った、と語っていた。その音楽の変遷を辿ってみると、ブラジルで制作された初期の名盤の数々も、ECMレーベルからリリースされたナナ・ヴァスコンセロスやラルフ・タウナーとの共演を含むマスター・ピースたちも、そして近年の緊密な音楽仲間たちとの録音も、その時々のジスモンチの音楽への姿勢が、一貫していると共に柔軟に変化していることを伝えてくれていることがとても素敵だ。ロンドンのニッチなカフェで熱く繰り広げられるジスモンチとムハイによる演奏を動画で見ていると、近年は親密でやわらかなコミュニケーションを満喫するようになっているのかもしれない。自己の変化についてジスモンチは語る。

 「パンデミックがもたらした不安、初期段階での医療の不足、圧倒的な数の死者──それらは多くの人々の脆さをあらわにしました。この経験から私は、連帯の原則に身を捧げて生きているという決意をより強いものにしました。私たちが届ける音楽が、友情と自由──生き延びるために欠かせない基本的な原則──を感じていただけるものになることを願っています。音楽は何かを押しつける事のない、数少ない言語のひとつであるということを、皆さんに改めてお伝えしたいと思います。音楽は命令するのではなく、提案するのです」。

 今回の来日は、昨年9月に他界したブラジル音楽の重鎮、エルメート・パスコアルの告別式へ駆けつけた日本の知人にジスモンチが語った日本での体験の美しい思い出がきっかけとなったという。ジスモンチの音楽が、たくさんの人の心に、世代や国境によって断絶し、失われゆくのではなく、それを超えてうけつがれて行く生命の美しさと輝きを記憶させてくれるメモリー・プロセスであることを、私たちはもう一度今、確認し、体験する。

 


エグベルト・ジスモンチ(Egberto Gismonti)
1947年、ブラジル・リオデジャネイロ出身。作曲家、ピアノ、ピアノのポリフォニーを弦楽器で表現するために開発された多弦ギター、管楽器など様々な楽器を自由自在に操るマルチ・ミュージシャンとして、また優れた作曲家として知られ、その唯一無二の音世界で、世界中を魅了し続ける。ソロ、デュオ、オーケストラ作品に至るまで表現領域は極めて広く、ブラジル音楽の多様性と普遍性を同時に体現する現代音楽の巨匠である。

ダニエル・ムハイ(Daniel Murray)
1981年、ブラジル・リオデジャネイロ出身のギタリスト、作曲家。幼い頃からクラシックギターと作曲を学び、幅広い現代的表現を追求してきた。レパートリーにはエグベルト・ジスモンチ作品が古くから含まれており、2015年にリオでジスモンチ本人と出会ったことが大きな転機となった。この出会いがきっかけで彼はジスモンチの曲をソロ・ギター用に編曲・解釈する道を歩み始めた。

 


寄稿者プロフィール
鈴木大介(すずき・だいすけ)

1970年、横浜生まれ。ギタリスト。武満徹から「今までに聴いたことがないようなギタリスト」と評される。マリア・カナルス国際コンクール第3位、アレッサンドリア市国際ギター・コンクール優勝など数々受賞。斬新なレパートリーと新鮮な解釈によるアルバム制作は高い評価を受ける。洗足学園音楽大学客員教授。

 


LIVE INFORMATION
Egberto Gismonti & Daniel Murray Japan Tour 2026

2026年5月24日(日)青森・八戸市公民館
開場/開演:17:00/18:00

2026年5月26日(火)東京・渋谷さくらホール
開場/開演:18:00/19:00

2026年5月29日(金)福岡・福岡市立西市民センター
開場/開演:18:00/19:00

■出演
えぐベルト・ジスモンチ(ピアノ/ギター)、ダニエル・ムハイ(ギター)

https://www.shalala.co.jp/works/868