『adieu 4』で前へ進もうとする声に
こうした多様な作家の言葉をひとつの表現としてまとめ上げているのが、adieu特有のアンビエントな質感だ。歌だけが前に出るのではなく、声と楽器が同じ空気のなかに置かれ、感情が断定ではなく余韻として伝わってくる。そのバランスを支えているのが、デビュー以来ずっとサウンドの中核を担ってきたYaffleの編曲である。音の配置や響きによって、作家ごとの違いを保ちながらも、それぞれの曲をadieuというひとつの表現へとたぐり寄せていく。
上白石萌歌は「装苑」でのYaffleとの対談で、松任谷由実からadieuについて「すごくアンビエントな音楽ね」と言われたことが嬉しかったと振り返っているが、そのひと言はまさに核心を突いている。実際、上白石萌歌が敬愛してやまないスピッツの“楓”のカバーは、そのことをよく示している。原曲よりもミニマルな編成へと引き寄せながら、コーラスを付け加えるなどの工夫によりただの弾き語りにはせず、音の余白や響きまで含めて空間そのものをadieuの側へと設計し直している。だからこの曲は、カバーでありながら、adieuのライブで聴いても浮くことなく、自然に馴染む一曲として成立している。こうした、歌謡に対する真摯な眼差しと、感情をひとつに言い切らない余白を作り出す音響が、このプロジェクトの土台となっている。
だが、adieuの一貫性は音響的な統一だけで成り立っているわけではない。より本質的なのは、作品を重ねるにつれて彼女自身の成熟が声に刻まれ、その声が他者から託された感情を受け止めるだけのものから、自らの経験を通してそれに応答するものへと変わっていったことにある。『adieu 3』以降、その変化は少しずつ明確になる。ここで重要な曲が、塩入冬湖が手がけた“ひかりのはなし”だ。失う時が来てもこの運命だけでいい、神様も天国もいらない、あなたの悲しみを全部私にください。そうした強い言葉を、adieuはまっすぐに歌い切る。それまでが、他者から託された感情を壊さないように繊細に受け取ってきた歌い手だったとするならば、ここではその感情に自分の生を重ね、引き受ける覚悟を持った歌い手へと一歩踏み出している。
“旅立ち”もまた、betcover!!の柳瀬二郎が持つ色気や妖艶さをなぞるのではなく、その歌をあくまでadieuの呼吸へと置き換えることで、自分自身もまた等身大の大人としてそこに立っている。かつて揺れを抱えたまま歌っていた声が、ここで少しずつ意志の強さを含んだ声へと変わりはじめている。
その変化は『adieu 4』でさらに明確になる。とりわけ“心を探している”(作詞・作曲はchilldspotの比喩根)では、昨日さえうまく掴めず、〈もう戻らない〉と線を越えた先で、それでもなお〈心を探している〉と歌われる。ここで重要なのは、成熟が感情の揺れを消していないことだ。むしろ、揺れが消えないことを知ったうえで、それでもなお前へと進もうとする声へと変わっている。

