上白石萌歌の等身大の思いがにじむ『adieu 5』
そのうえで新作の『adieu 5』では、『adieu 3』『adieu 4』を通じて育まれてきた主体性が、よりひらかれたかたちで表現されている。EPのジャケット写真が、それまでよりもはっきりと彼女の顔の輪郭を映しているのも偶然ではないように思う。『adieu 5』では、風景のなかに佇むだけではなく、ままならなさやあわいを抱きしめたまま、さらに外へ向かっていこうとする彼女の今の実感が、これまで以上に主体性をもって表現されているような気がする。
“植物園”(作詞・作曲はスカートの澤部渡)は、このEPのなかでもとりわけ今の上白石萌歌の等身大が表れている曲だと思う。〈ナイーヴな子供が みんな/ナイーヴなまま大人になるわけではなかった〉という一節には、自分はなおナイーヴさを抱えたままでいる一方で、そうではない仕方で大人になっていく人たちもいる、という実感がにじむ。繊細さを失わずにいることのさびしさと、それでもなおそれを手放したくない気持ち。その両方が、この曲には静かに宿っている。
luvisが手がけた“ブルーアワー”では〈切なさと愛しさの/あわいを紡いで過ごしてる〉と、まさに〈あわい〉そのものが歌われている。そして〈色づき出したこの夜の向こうに〉とサビに入る瞬間、視界がふっとひらける。そこでは、単に感傷に沈むのではなく、切なさや未練を抱えたままでも、次の景色へと身体ごと連れていってくれるような解放感が生まれている。
比喩根による“ナイトバード”もまた、サビに入った瞬間に空間が持ち上がるような解放感を持つが、そこで歌われるのは無邪気な自由ではない。〈厚い雲を突き破って欲しい〉〈何千層にもなった/しがらみも警戒さえも抜けて〉という言葉が示すように、自分を縛ってきたしがらみや警戒心を抱えたまま、それでも未知へと踏み出していこうとする切実な解放が響いている。
こうして5枚のEPを辿っていくと、adieuの作品を通底しているのは、やはりadieuの歌詞に繰り返し現れる〈夜〉と〈さようなら〉という主題である。サン=テグジュペリが「人間の土地」で描いた、遠くの灯りに人の気配を感じ取る夜間飛行のように、adieuの歌詞に頻出する夜もまた、孤独のなかでなお遠くの他者に思いを向け、過去の傷を抱え直しながら、それでもこの先の進路について思索するための時間として描かれている。そこでは夜は単なる感情の背景ではなく、人との距離を測り直し、自分の進むべき方向を確かめるための内省的な時間として機能している。
また、adieuにおいて別れは単なる喪失の確認ではない。別れの瞬間にこそ、その関係が自分にとってどれほど深かったのかが明らかになる。彼女の楽曲は、関係がほどける瞬間と、そのあとに残る感情のかたちまでを一貫して歌ってきた。だからこそ、やさしさと痛みがつねに同時にある。手放したはずのものをなお思い続けてしまうこと、その未練や祈りのような感情までも、歌のなかに留めておこうとする。