2024年に名門アルファミュージックからアルバム『イリュージョン』を発表し、その後も初のオールタイムベスト盤『Time Machine Love 2003-25 RYUSENKEI』をリリースするなど、充実した活動を続けている流線形改めRYUSENKEI。1970年代〜1980年代のメロウなサウンドを現代的なセンスのもとに再構築するプロジェクトとして、この間のシティポップリバイバルに先駆ける活動を繰り広げてきた同ユニットだが、今やその初期作品は、発売から長い時間を経て〈スタンダード〉と呼べる存在感を放つに至っている。中でも、2006年10月にリリースしたセカンドアルバム『TOKYO SNIPER』は、かねてよりYouTube等のネット上でも大きな支持を受けており、その人気度合いは、オリジナルシティポップの傑作たちに比べても勝るとも劣らないと言える。

リリースから20年を経た今、RYUSENKEI主宰のクニモンド瀧口に、この記念碑的作品が作られた当時の様子を振り返ってもらった。

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流線形 『TOKYO SNIPER』 Long Happiness(2006)

 

『TOKYO SNIPER』は21世紀型〈再解釈〉の代表作

――『TOKYO SNIPER』のリリースから20年ということですが、〈ようやく20年〉なのか、それとも〈あっという間の20年〉なのか、ご自身としてはどのように感じていますか?

「本当にあっという間ですね。流線形としてあまり活動していなかった時期もあったので、気がついたら20年経っていた、という感覚です。というのも、2000年以前は音楽がどんどん変化していった印象があるけど、2000年以降はそこまで大きく変わっていないようにも感じるんですよ。だから、2006年と2026年の距離がそんなに離れていないように思えるのかもしれないですね」

――確かに、一口に20年といっても、1970年からの20年と、2000年からの20年では、音楽を取り巻く環境と変化の速度が大きく違っていたように思います。翻って言えば、2000年代以降は、過去の音楽を新しい文脈で捉え直すこと自体が大きな創造の方法になったという印象もあって。そう考えると、『TOKYO SNIPER』こそが、まさに21世紀型の〈再解釈〉の代表作だと言えそうな気がします。

「そう言ってもらえるならありがたいのですが(笑)。……でも当時を振り返ると、自分では特に新しいことをやっているつもりはなかったんです。ファーストの『CITY MUSIC』も、過去の音楽へのオマージュというか、DJやトラックメイカーがサンプリングするような感覚で作った作品だったので。『TOKYO SNIPER』は、いわば、それをもっと徹底した作品だったんです。好きな古いレコードの〈この部分がいいな〉というものを、自分の曲に入れ込んでいく。そういう感覚が大きくありました」

流線形 『シティミュージック』 April(2003)

 

『CITY MUSIC』で学んだこと

――『CITY MUSIC』は林有三さんや押塚岳大さんとのバンドによる作品でしたが、『TOKYO SNIPER』では瀧口さんのソロプロジェクトになりました。この変化はサウンドにもはっきり表れていますね。

「そうですね。『CITY MUSIC』ではやっぱり林さんのアレンジの力もすごく大きかったし、参加したミュージシャンのアイデアも入っていました。でも『TOKYO SNIPER』は、曲の骨格が出来上がった段階では、僕が打ち込みでほとんど全部作っていたんです。実は『CITY MUSIC』が完成した頃には、〈次の作品の中身もだいたいこうしよう〉と決めていました。ファーストを作りながら、ミュージシャンに説明してもなかなか伝わらない部分があったので、まずは全部自分で形にして、そこから生演奏に置き換えていくことにしたんです」

――前作に比べると、サウンドの狙いが非常にシャープになった印象があります。各パートの役割が明確というか、設計図に沿って構築的に作られていると言いますか。

「例えば、ベースのパート一つをとってみても、前作ではプレイヤーの持っているフレーズのセンスや発想が入っていたけど、『TOKYO SNIPER』では〈このラインをそのまま弾いてください〉という感じでした。ただ、僕自身は音楽を専門的に勉強してきたわけじゃなくて、ずっと独学だったんです。だから林さんと『CITY MUSIC』を作った経験が、ものすごく勉強になった。そこで学んだことを自分なりに使って作り込んだ作品でもあるんですよね」

――その〈学んだこと〉というのは、たとえばどんなことでしょう?

「音を引くことですね。以前はデモを作るとき、つい音を詰め込みすぎてしまっていたんです。ストリングスなんかも、たくさん鳴らしたほうが迫力があると思って。でも林さんはCTIみたいなクロスオーバーのサウンドをよく理解している人だから、〈この音はいらないよ〉って、どんどん引いていく。そうすると、確かにそっちのほうがかっこいい。『TOKYO SNIPER』も、実際あまり音を入れすぎていないと思います。隙間のあるアンサンブルで、ちゃんと聴かせられるようになったというか」

――さきほどおっしゃった〈DJ感覚〉とか〈サンプリング感覚〉の話にも関連していると思うのですが、そうやって俯瞰してサウンド全体を捉えるやり方は、レアグルーヴやフリーソウルの文化を通過した感覚が大きく関連しているのかなと当時思っていたのですが。

「それは大きいです。90年代って、レアグルーヴ、フリーソウルがあって、アシッドジャズのムーブメントからもジャミロクワイなんかが出てきた時代じゃないですか。昔の音楽をそのまま演奏するんじゃなくて、自分のフィルターを通してやるという感覚が既に自然なものとしてあったんです。当時も、一部のニューミュージックを〈シティポップ〉と呼ぶ例はありましたけど、僕自身はそういうような呼称をことさら意識していたわけじゃなくて、あくまで好きで聴いてきた音楽が、リスナー〜DJ的な感覚を通じて自分の中で混ざって出てきたという感じですね」

――一方で、当時のアシッドジャズ以降の洗練されたポップスやクラブミュージックとは、あえて距離を置こうとしたところもあったんでしょうか?

「ありましたね。たとえば当時、すごく完成度の高い、都会的なサウンドを作る人たちがいたけど、現代的に整えられすぎているように感じるところもあって。リズムが打ち込みの16ビートになっていたりすると、余計に〈僕がやりたいのはそっちじゃない〉と感じてしまうんですよね。ちゃんと昔のレコードを聴いて、あの演奏の感じを生かしたかったんですよ」

――『TOKYO SNIPER』に参加したミュージシャンも、そうした感覚を共有できる人たちだったんでしょうか。

「そうですね。ドラムの北山ゆう子さんやギターの山之内俊夫君は、もともと別のバンドで演奏していた人たちで、僕がライブハウスの仕事をしていたときに見て、いいなと思って声をかけたんです。ベースの小山晃一君もそうですけど、みんなツーカーで音楽の話ができる。北山さんとなら、〈スティーヴ・ガッドのこのプレイがいいよね〉とか、山之内君となら、〈ジョン・トロペイのあのギターがいいよね〉とか。そういう話が共通言語として通じるので、〈この曲はこんな感じにしたい〉ということがスムーズに伝わるんですよ」

 

吉田美奈子の“レインボー・シー・ライン”が好きで……

――具体的な曲作りについても伺いたいのですが、たとえば“レインボー・シティ・ライン”は、吉田美奈子さんの“レインボー・シー・ライン”のオマージュですよね。他にも、タイトル曲が山下達郎さんの“SOLID SLIDER”を想起させるなど、随所にオマージュを感じます。

「はい。それはかなり意識的にやっています。他にも、“タイムマシーン・ラヴ”ではジェイ・P・モーガンを意識してみたり、“花びら”ではメリサ・マンチェスターを参照していたり。挙げてもらった“レインボー・シティ・ライン”に関しては、もう、吉田さんの“レインボー・シー・ライン”のブレイクが好きで、それをやりたいがために作ったようなところがあります(笑)」

――“レインボー・シティ・ライン”は、リズムがちょっとトリッキーに変化する箇所がありますよね。

「いかにも駆け出しの頃らしいエピソードなんですけど、あれは、自分で打ち込んでいたら、なぜか1か所だけ5拍子になっちゃったんですよ。だからああいう妙なリズムになっているんです(笑)。吉田さんの曲はちゃんと4拍子なんですけど。レコーディングで北山さんに〈なんでここだけ5拍子なんですか?〉って聞かれて、間違えたことに気づいて。〈じゃあ4拍子に直そうか〉って言ったら、〈いや、ここが面白いんだからこのままでやりましょう〉って。実際、一度直してみたら全然面白くなかったんです。それで残したんですけど、ライブで合わせるときはみんな大変で……(笑)」

――アルバムを貫くサウンドのイメージということでいうと、ローズやクラビネットなど、エレピがすごく重要な役割を担っているのが分かります。

「そこはかなりこだわった部分でした。当時既にデジタルの音源で似たような音を出すことはできたんですが、可能な限り生の楽器を使いたかったんです。ローズはSOIL&“PIMP”SESSIONSの丈青に弾いてもらいました。丈青はすごくタッチが強いんです。僕が好きな佐藤博さんやラムゼイ・ルイスなんかにも通じる、ああいう強いタッチのエレピが欲しかったので、ぴったりでした。

“恋のラストナンバー”の終盤のソロなんかは、きっちり譜面ができていたわけじゃなくて、彼がアドリブで弾いてくれています。彼から聞いた話なんですが、あのローズは日本のジャズ界の巨匠の持ち物を譲ってもらったものなんだそうです。しかも、前のオーナーはデューク・ピアソンだったという噂もあって」

――え! すごい話ですね。

「そう考えると、あの音には、かなりの歴史が刻まれているんです(笑)」

 

〈謎の美大生・江口ニカ〉の誕生

――『TOKYO SNIPER』を語るうえでは、全編で歌っている〈江口ニカ〉なる歌手、つまり一十三十一さんの存在を欠かすことはできません。改めて、どのような経緯で参加することになったのでしょう。

「元を辿ると、まず、『CITY MUSIC』がDJの人たちを中心に思った以上に好評で、次を作ろうという話になったんです。ただ、同じものは作りたくなかったので、レーベルを離れて、メジャーから出す話も進めていました。それでボーカリストのオーディションなんかもいろいろやったんですけど、なかなか決まらなくて、ずいぶん時間が経ってしまった。実は名古屋のバンドEttの西本さゆりさんにも、一度歌を入れてもらっていたんです。でも正式に録音をお願いしようとした頃には忙しくなっていて、どうしようかなと思っていたんですよ」

――そこで一十三さんと出会うわけですね。

「最初はテレビで見たんです。大貫妙子さんとシュガー・ベイブの“いつも通り”を歌っていて、すごくいい声だなと思った。それからしばらくして、偶然スペースシャワーTVの番組で会う機会があったので、〈流線形という音楽ユニットをやっていて、次のボーカリストを探しているんです〉と話して、『CITY MUSIC』を渡したんです。そうしたら、後日別のパーティーで会ったときに、〈あれ良かった。ボーカル探してるって言ってたけど、私やりたい!〉って。すごく驚きました」

――へえ、そうだったんですか! 一十三さんの側から申し出てくれたんですね。

「そうなんです。当時すでにメジャーで活動していたので、事務所の事情もあるだろうし、実現は難しいと思っていた。でも本人が〈もう話してあるから大丈夫〉と言ってくれて、事務所に伺ったらすんなり決まったんです」

――アルバムでは一十三十一という名前を使わず、江口ニカという匿名的なクレジットになっていますよね。あれはやっぱり対レコード会社の〈大人の事情〉的な何かで……?

「いや、あれは僕の発案でした。一十三ちゃんは流線形より断然知名度があったから、その名前を出すと〈一十三十一の別プロジェクト〉として聴かれてしまうんじゃないかと思ったんです。聴く人にそういう先入観を持ってほしくなかった。だから〈謎の美大生・江口ニカ〉という体にしよう、と(笑)。本人も面白がってくれて。もちろん声を聴けば分かる人には分かるけど、最初から名前を出すより〈これ、一十三十一じゃない?〉って気づいてもらうほうが面白いなと思ったんです」

――とても伸びやかな歌声ですが、一方で、整えすぎていない生々しさもありますよね。

「はい。実は録音はかなり厳しくやっているんです。ちゃんと歌い切れるまで何度もはじめから録るスタイルで。基本的にピッチを直したり、部分ごとに差し替えたりは、ほとんどしていないんですよ。だから曲の後半になると、高い音を出すのが少し苦しくなってくる感じもそのまま残っている。普通ならサビだけ録り直して、もっと綺麗にできるんでしょうけど、僕はそういう人間的なニュアンスがあったほうがいいと思うんです。今聴いても、そこが面白いですね」

――アルバム全体を通じて、一十三さんが歌う歌詞のイメージも統一されているようにも感じます。最初からトータルな構想があったのでしょうか。

「結果的にそうなった部分が大きいですね。ただ、『CITY MUSIC』を作った頃から、全部A面曲にするぞ、ぐらいの気持ちではいたんです。『TOKYO SNIPER』も全曲シングルカットできるぐらいのものにしたくて。もともとは〈新曲1〉〈新曲2〉みたいなタイトルのデモが16曲ぐらいあって、その中から特に光るものを選んでいきました。たとえば“タイムマシーン・ラヴ”の歌詞には、“時をかける少女”のイメージがあるんです。そういう自分の中のノスタルジーが、いろんな曲に滲み出てきたのかなと思います」

――当時のCDの帯にあった〈アーバンでクリスタル〉という表現も印象的でした。2006年頃には、そうした語彙は、田中康夫の作品に代表されるような80sの空気をまとった少し古めかしいものとして扱われていたように記憶しています。そこをあえて真正面に打ち出したのが、逆に新鮮でした。

「70年代後半から80年代にかけて、自分が若い頃を過ごした時代には、すごくキラキラしたイメージがあるんです。それを言葉でも表現したかった。〈アーバン〉とか〈クリスタル〉というと、なんとなく情景が伝わるじゃないですか。ただ、今同じことをするかと言われると、どうでしょうね(笑)」

――今だと、ちょっと使い古されている感が出てしまうかもしれないですよね。けど、重要なのは、そういう語彙を反転させて今に通じるようなヒップな意味をまとったものに変質させた存在としては、まさに流線形こそが先駆だったということですね。これは是非言っておきたい(笑)。

「ありがとうございます(笑)」

 

デオダート本人からメッセージが!

――反面、ジャケットに関しては、摩天楼の夜景のような分かりやすい〈都会的〉な図像ではないんですよね。駒沢公園を走る女性の写真という、少し意外な選択が、かえって強烈なアイコンになっている。これもすごく絶妙なバランスだと思いました。

「アートワークのイメージは僕が考えて、デザインは友人の鈴木モトフミくんに頼みました。最初はビルの屋上にプールを置いて、女性が日光浴をしているような、昔の化粧品の広告みたいな案もあったんです。でも鈴木くんやカメラマンの宗野歩くんとロケハンをしているうちに、駒沢公園がいいんじゃないかという話になった。当時は今ほど、おしゃれな格好でジョギングするような人も多くなかったんですよ。そこで、スタイリングを担当した岡部みな子さんと話す中で、ちょっと80年代っぽいアディダスのウェアがいいんじゃないかというアイデアも出てきて、実際にモデルの坂巻弓華さんに着てもらって……。そんな風に、みんなの協力で出来上がったものです」

――徒競走のイメージが喚起される疾走感や、カーブしている道と建物、鋭い光の感じまで、音楽のイメージにぴったり合っていますよね。その一方で、ブックレット中面の写真には生活感もあって、そのギャップが面白い(笑)。1ページ目に写っているのは、瀧口さんのお子さんですか?

「そうです。今はもう23歳になりました(笑)。中面の写真も宗野くんが撮ってくれたものです。僕がレコードを持っている写真がありますけど、並んでいるのはけっこうロック系のレコードなんです」

――ビートルズとか、グレイトフル・デッドとか、ピンク・フロイドとか……。今となってはちょっと意外な感じもします。

「あそこでジャズやソウルのレコードを見せたら普通すぎるでしょう? 少し外したほうが面白いと思って。そのあたりは狙っています(笑)」

――そうやって出来上がったこの作品が、後年、海外のリスナーに発見されていったというのも、当時は想像していなかった展開だったと思うのですが。

「反響の中で一番驚いたのはそれですね。2016年前後だったと思うんですけど、YouTubeにアルバムの全曲がアップされていて、気がついたらコメントがほとんど海外の人だった。僕としては〈何が起きているんだろう〉という感じでした。ちょうど海外でシティポップが話題になり始めていた頃で、『TOKYO SNIPER』もその文脈で聴かれるようになったんですよ」

――他のシティポップ名盤と並んでネット上でスタンダード化していったような印象があります。

「そんな感じでしたね。そうえいえば、ネット繋がりで特に面白かったことがあって。僕、昔Myspaceをやっていて、デオダートをフォローしていたんです。そうしたら、なんと本人からメッセージが来たことがあるんですよ。“DANCING INTO FANTASY”には彼の曲へのオマージュを入れ込んでいたので、それを聴いてくれたみたいで。しかも〈ここのコードはこうしたほうがいい〉みたいな、ものすごく具体的なアドバイスまでくれたんです」

――いい話ですねえ。一人のファンからのオマージュのつもりが、まさかのデオダート御大にまで届いてしまうという……。

「まさかそんなことになるとは思いませんでしたから、びっくりしました(笑)」

 

初期衝動が詰まっている

――最後に、20年経った今、改めてご自身で『TOKYO SNIPER』を聴いてみていかがですか。当時のインタビューでは「10年後にも聴けるものを作りたい」と話されていましたが、実際にはその倍の時間が経ちました。

「正直、アレンジに関しては、〈もうちょっとこうすれば良かったな〉と思うところもありますよ。でも、メロディの良さとか、当時の熱みたいなものは残っていると思うんです。一十三ちゃんの歌もそうだし、演奏してくれたミュージシャンも、ジャケットを作ってくれた友達も含めて、みんなで作ったものだから。僕が全部考えて形にした作品でもあるので、そういう意味では初期衝動がかなり詰まっているんですよね」

――単に70年代や80年代の音楽を精巧に再現するだけではない、作り手のパッションが感じられるところが、今も新鮮に響く理由なのかもしれません。

「今は雰囲気のいい音楽が本当にたくさんありますけど、僕はやっぱり昔から、メロディや歌そのものがいい音楽は長く残ると思っているんです。『TOKYO SNIPER』は、結果としてそういうものになってくれたのかなと……。これから聴く方がどう聴くのかは分からないけど、なるべく先入観を持たずに聴いて、気に入ってもらえたら嬉しいですね」

 


PROFILE: クニモンド瀧口
2001年にRYUSENKEI(ex-流線形)として音楽活動をスタート。近年の世界的なシティポップリバイバルの流れで、アルバム『TOKYO SNIPER』『Talio』が海外から注目される。2024年に、アルファミュージックから『イリュージョン』をリリース。古内東子、ナツ・サマー、一十三十一など、プロデュース、楽曲提供、アレンジで参加。NHKドラマ「タリオ復讐代行の2人」の劇伴を担当。また、選曲・監修したコンピレーションアルバム『CITY MUSIC TOKYO』シリーズを各レコード会社から発売中。CMT Productionとして、グラフィックデザイン、ブランディングなど、音楽を中心に多岐にわたり活動している。
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