実に10年という歳月をかけて丹念に育て上げられた豊潤な果実――〈何気ない日常のなかの人間のリアリズム〉が封じ込められた、色も形も異なる一粒一粒をじっくり味わってみると……

 サザンオールスターズの約10年ぶりのフル・アルバム『葡萄』が完成した。2013年のシングル“ピースとハイライト”以降に制作された全16曲が収録されていて、歌のテーマも登場人物も、実にヴァラエティーに富んでいる。そのどれもが色鮮やかで、メンバーの溢れんばかりの音楽への愛情も伝わってくる。まさに隅々まで聴きどころ満載の本作は、如何にして作られたのだろうか。桑田佳祐(ヴォーカル/ギター)がこんな話をしてくれた。

 「ここのところ、暇を見つけてはDVDでドラマを観たりしてたんだけど、こないだ向田邦子さんの〈阿修羅のごとく〉を久しぶりに観ましてね。一見、家族で仲良く食事をしたり表向きは円満だけど、みんなに秘密があったりするんですよ。そこに描かれるのは何気ない日常のなかの人間のリアリズムで、〈自分もそういうことが描けたら〉とは思っていたんですけど」。

サザンオールスターズ 『葡萄』 タイシタ/ビクター(2015)

 ではさっそく、房のようにたわわに実った音楽という果実の一粒一粒を、じっくり味わってみることにしよう。

 

常に誰かを演じて生きている

――まずアルバム・タイトルが新鮮ですね。

 「タイトルに関しては早い段階から決めてました。『葡萄』という、この文字の形からしていいなあと思ってたし、ここ最近、日本語の良さというのを改めて感じているのもあってのことです。せっかく歌詞を書くんだから起承転結を、とか、そこに物語を作らないと、といった思いも強くなってきていた。ただ、さっきの向田さんのドラマなら、電話番号の掛け間違いから話が広がって……なんてことも起こるけど、いまは携帯から自動で相手に繋がるし(笑)、物語も生まれにくい時代ですよね。だからなおさら、日常のなかにそれを見つけて歌にして、メンバーやファンの人たちと共有したくなったんですけどね」

――曲によって実にさまざまな主人公が登場しますね。

「〈物語を〉と言いつつ、実は曲から先に作るので、最初は歌詞がないわけです。その時点では何が出てくるのかわからない。ただ、例えば“彼氏になりたくて”だったら、〈この曲調で荒くれ者は出てこないな。きっとブロークン・ハートの情けないヤツなんだろう……〉とか、そうやってキャラクターも決まっていくんですよ」

――これは特に苦心した、という曲があれば、教えていただけますか?

 「最初から英語の文脈で作りはじめたものは、あとから日本語を充てるのが大変なんです。“Missing Persons”とかそうだけど、でもだからこそ、面倒がらず丁寧に作っていったし、アルバムのなかでも特に好きな曲になりました。それとは逆に、“イヤな事だらけの世の中で”は、最初から〈いや~なこ~と♪〉ってサビのところが出てきた。そうなると外せなくなって、さらに〈あ~るあ~さめ~ざめ~た♪〉も出てきて、ぼんやり画が浮かんできて、〈この歌の舞台は京都だったらいいなぁ〉ってことで、仕上げていきましたけどね」

――“アロエ”はよくこの曲調に〈勝負に行こう!〉という歌のテーマが乗りましたよね。

 「これはアドリブで作った部分もある曲です。僕はアドリブだと下ネタになる場合が多いけど、これはならなかった。頭から〈チャッチャッチャッデロ~♪〉ってサビが出てきて、ここに〈勝負 勝負〉という言葉が乗るまでにはずいぶん日にちを要してます。音数が少ないメロディーは大人も子供でも覚えやすくていいんだけど、そのぶん、言葉がなかなかハマらない」

――“青春番外地”は、タイトルからして昭和歌謡の雰囲気がありますけど。

 「この歌で描いたような〈酔いどれ人生〉というテーマは、最近なかったですね。特に自分が病気になって以来、やってない。でも若い頃はこうした世界観にも憧れてたし、その時の自分がフラッシュバックしたのかもしれない。一度そうなると、今度はそこから逃れられなくなっていったというか、まさに作品が〈降りてくる〉感覚でしたよ。曲調は2ビートのマイナーで、僕のなかの切り口としては、ポール・マッカートニーなんです。ビートルズ時代の“Your Mother Should Know”とか『Ram』(71年)の“Monkberry Moon Delight”のようなね。でも〈Monkberry〉の歌詞はけっこう荒くれてるし、どこかでそれもヒントになったのかもしれません」

――“天井棧敷の怪人”はキューバ音楽からの影響も感じますが、歌詞のなかの登場人物は、舞台に命を懸けるアクの強いキャラクターですね。

 「最初は『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』の映画に出てきたお爺さんのミュージシャンというか、ああいう人たちのプリミティヴな演奏のおもしろさをイメージしてまして、弘(松田弘、ドラムス/ヴォーカル)や毛ガニ(野沢秀行、パーカッション)とリズムを録った時も、小節の頭でちゃんと演奏が合うみたいな普通のコンボ演奏とは違う、ヨレヨレ感を演出したりもした。でもそれがぐしゃっとしたカオスなものにもなっていって、歌詞にはなんとなく乱暴なキャラクターが出てきた。この歌の主人公は妄想のなかの人物だろうし、でももしかしたら、自分がなりたかったキャラクターだったかもしれない。人間って極論すれば生きながらに誰かを演じているところがあるでしょ? ペルソナというか、特にこの歌の人物はその極致かもしれないです。でも妄想であっても自分から出てきたものだし、この歌の世界観のようなものも自分の一部ではあるんでしょうけど」

99年の映画「ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ」より“Chan Chan”

――アコギの淡々とした演奏が基調となりつつ、でも宇宙空間的な広がりをみせる“道”も印象深いですね。

 「“道”といえば〈フェリーニの映画からだろう〉と言った人がいましたけど、あの作品、観たことはあるんだけど直接は関係ないです。でもこの歌の主人公はなにがしかの芸事に携わりつつも女の人に養ってもらってるどうしようもない奴で、ただある時、スポットライトのもと、その人に愛を告白する時がやってくる……みたいな場面も浮かんでた。曲に関してはデヴィッド・ボウイというか、『The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars』(72年)を初めて聴いた時の印象なども入っているのかもしれない。70年代のボウイって、音楽をやりつつも自分と違う誰かを演じていく感覚があって、まさにそのあたりが」

デヴィッド・ボウイの72年作『The Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Mars』収録曲“Ziggy Stardust”