©Yuji Hori

僕らがやるべきは、借り物で魂を出すことだと思う

 清水靖晃のバッハが、バッハの清水靖晃が、遂に戻ってきた。それも、サックス4人にコントラバス4人を従えた計9人編成の最新型サキソフォネッツとして。

 清水のバッハといえば、“無伴奏チェロ組曲”をサックス・ソロで演奏した『CELLO SUITES 1, 2, 3』『CELLO SUITES 4, 5, 6』により、90年代にセンセーションを巻き起こした。その後彼は、東京芸大出身の若手サックス奏者4人(江川良子、林田祐和、東涼太、鈴木広志)を迎え入れて新たに21世紀版サキソフォネッツ(註:サキソフォネッツは80年代前半から始まった清水+αのプロジェクト)を編成し、エチオピア音楽へのシンパシーも露わな5音階音楽に挑戦、2007年には傑作アルバム『PENTATONICA』を発表した。その5人編成サキソフォネッツに、更にコントラパス奏者4人(佐々木大輔、倉持敦、中村尚子、宮坂典幸)を加えたのが、今回の最新型サキソフォネッツだ。

 そして、新たな演目は“ゴルトベルク変奏曲”である。主題の“アリア”と30の変奏曲、そしてラストの“アリア・ダ・カーポ”まで計32曲、約66分。“無伴奏チェロ組曲”の時とはまた趣の異なる、サックス&ベースのブリリアントなアンサンブル。当然、変化球もあちこちから飛んでくる。

清水靖晃&サキソフォネッツ 『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』 avex-CLASSICS(2015)

 

一神教じゃない、世界音楽としてのバッハ

――遂に“ゴルトベルク”ですね。90年代半にバッハ・プロジェクトが始動した時から、この曲が念頭にあったのでは?

 「いや、そういうわけでもない。今回の新作『ゴルトベルク・ヴァリエーションズ』の直接のきっかけは、2010年にすみだトリフォニーホールでこの曲をやったことですね。実はその時も、最初は“フーガの技法”をやろうと思っていた。それ以前から編曲し始めていたし、サキソフォネッツでのコンサートでも、その断片を入れたりしていた。“フーガの技法”は楽曲として“ゴルトベルク”や“音楽の捧げもの”などよりもすぐれていると僕は思っているし。でもトリフォニーからは“ゴルトベルク”でと依頼されて。今回、コントラバス4人も入れた9人編成サキソフォネッツで録音したのも、トリフォニーのコンサートの時と同じです」

――5人編成サキソフォネッツで『PENTATONICA』を作った経験も、この新作には着実につながってるんでしょうね。

 「それは間違いない。最初は“無伴奏チェロ組曲”を一人サキソフォネッツでやり、それを5人サキソフォネッツへと拡大してからは、5音階だけでなくバッハもやってきた。一人の世界を5人編成のフィルターで何回も濾過してゆく中、全員で音を作り上げてゆく面白さに目覚めた。だから“ゴルトベルク”に移るのもたやすかったし、今回の録音も“無伴奏チェロ組曲”のように一人でやろうとは全然思わなかった。なにしろ『PENTATONICA』の時、あれだけ全員でコブシの鍛錬をしたし、皆でやると絡みの面白さが更に出てくるわけです。だから『PENTATONICA』をやっていなかったら、今回もここまでうまくはいかなかったと思う。もう、四分音符の息の入れ方だけでも以前とは違うしね」

――今の4人の若手サックス奏者と組んでから9年になりますが、その間彼らも多くのことを清水さんから吸収したでしょう。

 「彼らを選んだのは、普通のクラシックの人よりも柔軟性があったから。それと、音楽だけじゃない、いろんな文化に対する感覚の鋭敏さも持っていた。共通のボキャブラリーを作り上げるため、出会った最初の頃は、よく一緒に映画を観たりもしました。ウディ・アレンを一緒に観て、こういうところがいいよね、みたいな。あと、海外で何週間か一緒に生活しながらコンサートをやった経験も、互いにいい影響を与えたと思う」

――清水さんの音楽は音符や言葉で伝えられない微妙なニュアンスも多いだろうし。

 「うん、口伝いで説明したり、各々に歌ってもらったりとかね(笑)。この5人で始める少し前、パリのコンサートでクラシック系のハバネラ・サクソフォン四重奏団と一緒にバッハや5音階ものをやったことがあったんだけど、やはり、どうしても難しい部分があって。彼らにとってはジャズの歌い方まではなんとかなっても、地唄的ニュアンスまでは無理なんです。それは、僕らが日本人だってこともあるだろうけど、結局ポイントは“世界音楽”ってことなんじゃないかなと。〈世界音楽〉に精神的軸があるのかどうか。言い方を変えれば、一神教じゃないって感じ」

――この新作も、バッハをやってるんだけど、まさにそういった“一神教じゃない”感じが随所に溢れています。清水さんが独自に付け足したメロディでは奇妙な半音がぶつけられたり、いつのまにかアフロ系ポリリズムになっていたり。

 「もう開き直っちゃってるし。要するに、僕のバッハはドイツ音楽の原理主義的、一神教的な態度じゃない。日本で生きてきて、いろんなものに興味を持ち、ジャズやラテンからロックや演歌までいろんな音楽を聴き、それらがぐしゃぐしゃになったまま巨大化したフィルターを通したバッハ。俺にはこう聴こえる、というバッハなんです。実は“ゴルトベルク”には、演奏していてたまにつまらなくなっちゃう曲もあるんだけど、僕は、どの曲も全部グッとくるようにしたかった。だから今回、編曲にはかなり力を入れた」