
GREAT3のフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても知られる片寄明人が、パートナーのショコラをフィーチャーして2000年にリリースしたソロデビュー曲“Veranda”が、タワーレコード渋谷店30周年を記念し初の7インチアナログ盤として復刻される。〈渋谷系の名曲〉としても語り継がれる本作のリリースを機に、片寄がその誕生の背景を語った本インタビューでは、ジョン・マッケンタイアらとの交流やソロ作『HEY MISTER GIRL!』の制作エピソード、さらにGREAT3がメジャーデビューを果たした1995年当時の渋谷の〈空気〉までが生き生きと回想される。時代の移ろいと共に色褪せるどころか、むしろいま新鮮に響く“Veranda”。この楽曲の魅力に、あらためて迫った。
GREAT3で封印したポップな曲を書いてみよう
――今回“Veranda”が、25年を経て7インチでアナログリリースされることになりました。まずは、そのことについて率直な感想をお聞かせいただけますか?
「まさかこのタイミングで、しかもシングルとしてリリースされるとは思っていなかったので嬉しいサプライズでした。タワーレコード渋谷店の30周年企画で選んでいただいたと聞いて、本当に光栄です」
――片寄さんのソロデビュー曲“Veranda”は、どのような経緯で作られたのでしょうか。
「もともとはCMソングの依頼がきっかけでした。1999年、GREAT3が東芝EMI内に〈BODICIOUS〉というレーベルを立ち上げ、通算5枚目のアルバム『May and December』制作に向けて動き出した直後、ベースの高桑圭(現・Curly Giraffe)が突然入院して、1年近く活動が止まってしまったんです。〈このままではまずい〉と思ったんでしょうね。一念発起して〈1日1曲書こう〉と決め、20曲ほど書きためました。
GREAT3のレコーディングでは、1998年の『WITHOUT ONION』からPro Toolsを導入していたのですが、自分ひとりで作る時はずっとカセットの4チャンネルレコーダーを使っていました。今でも時々使っているのは、〈リズムボックスとギターと歌だけ〉みたいなラフなスタイルが好きだからですね。まず曲の骨格だけスタジオに持ち込み、スタッフやメンバーのイマジネーションに委ねたいという思いもあります。
とにかく、その時期が人生で一番多作だったかもしれません。ちょうどそのタイミングで、ニッカ シードルのCMソングの話をいただいたんです」
――ショコラさんと共演されたCMですね。
「そこで、すでに書いていた20曲のデモを広告代理店の方にすべて聴いてもらいました。〈この中から使えそうなものがあればぜひ〉と言ったのですが、全部ダメだと(笑)。GREAT3は、それまでクライアントワーク的なことをまったくやってこなかったし、レコード会社からはリクエストこそあっても、最終的には〈自由にやっていい〉と言われていたんです。なので、全曲NGというのは衝撃でした。
でも、逆にそれで火がついたんでしょうね。〈もう一度仕切り直して、ポップな曲を書いてみよう〉と一晩で書いたのが“Veranda”なんですよ。あのボツがなければ“Veranda”は生まれていなかった。なので、その時の広告代理店の方には感謝しています。しかもこの曲、ROTTEN HATSからGREAT3になる時に自分自身が封印していた部分を、久々に出したような曲でもあるんです」
――それは、どんな部分でしょう?
「シャッフルビートのポップスです。もちろんGREAT3にもそういう曲はあるのですが、“Veranda”のように明るくて切なく、少し甘い雰囲気のあるポップスはあまりやってこなかった。だから、ROTTEN HATSでやり残したことを詰め込んだような感覚がこの曲にはあって。〈雪辱戦〉というと大げさですが、自分の中で一区切りつけたい気持ちもあって、ROTTEN HATSのプロデューサーだった〈佐橋(佳幸)さんともう一度やってみよう〉と思ったんでしょうね」
――片寄さんにとって、佐橋さんはどんな存在ですか?
「メジャー音楽シーンの中枢にいて、なおかつ僕と深い接点を持ってくれる、数少ないヒットメーカーです。そして、自分の音楽性をちゃんと理解してくれる人でもある。CMソングということもあって、〈もう一度、佐橋さんとやってみよう〉と思えたし、どこかで〈ヒット曲を作りたい〉という気持ちもあったのかもしれません。
ちなみにエンジニアは、コーネリアスやくるりの作品でも知られる高山徹さん。B面の“Tears of Enamel”は、佐橋さんとROTTEN HATS時代から一緒にやっていた山口州治さんにお願いしました。THE YELLOW MONKEYやTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTなども手がけてきた、とても頼もしい存在です」