常田大希にとって石若駿とは、フライローでいうサンダーキャット―この2人だからこそ開かれる、聴いたことのない音楽の扉
Daiki Tsuneta Millenium Parade 『http://』
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- 2016.08.03

何なんだ、この音楽は?――それが最初の素直な感想。音楽的な振り幅の広さは〈ジャンルレス〉などという単純な言葉に収まりきるレヴェルではなく、ありとあらゆる要素が凄まじいスピードで目まぐるしく交差し、ブツかり合い、ひとつに溶け合っている。ここに広がっているのは、明らかに過去誰も聴いたことのない音楽である。
そんな衝撃作『http://』を作り上げたのは、異端ポップ・バンド、Srv.Vinciのメンバーとして活動する一方、映画音楽やファッション・ムーヴィーの制作も手掛ける常田大希のソロ・プロジェクト=Daiki Tsuneta Millennium Parade(以下、DTMP)。また、常田と二人三脚でこの作品を作り上げたのは、新世代のジャズ・ドラマーとして多忙を極め、いまや時代の寵児となりつつある石若駿だ。東京芸術大学の同級生にして、共に92年生まれ。ジャンルも国も時代も軽々と飛び越え、いまここにしかない音楽を作り上げてしまった常田大希と石若駿の同級生対談をお届けしよう。

Daiki Tsuneta Millennium Parade http:// PERIMETRON/APOLLO SOUNDS(2016)
時代の壁も、ジャンルの壁もない音楽的な嗜好
――2人が最初に会ったのはいつ頃ですか?
石若駿「大学1年の頃だから、2011年だと思いますね」
常田大希「(石若)駿が誘ってくれたんですよ。〈今度ライヴがあるから来ない?〉って。それが五十嵐一生さんや坪口昌恭さんとのライヴで」
石若「ウチの大学はクラシックをやってる人がほとんどだから、(常田を指して)こういう格好をしてる人はまったくいないんですよ(笑)。それで声をかけたんだと思う。聴いてる音楽についてもすぐ話が合ったし、そういう人は周りにあまりいなかったんです」
――2人ともご両親が音楽に関わっていて、常に自宅で音楽が鳴っていたりと、育った環境が比較的近いですよね。そういうことが後に音楽の世界に入っていく際に影響していますか?
石若「それはありますよね。家の中にはいろんな音楽が溢れていたし、大希の家もそうだと思う。覚えてるのは、両親が車の中でビートルズのボックス・セットをよくかけていて……」
常田「ウチもかけてた(笑)。その頃にボックスがリリースされたんだろうね。でも、俺はあんまり好きじゃなかったな」
石若「ホント? 僕は大好きだったな」
常田「子供の頃からもっと歪んたものが好きだったから、俺にとってビートルズはちょっと綺麗すぎたんじゃないかな。ジミ・ヘンドリクスやレッド・ツェッペリンが好きだったから」
――ジミヘンやツェッペリンがど真ん中というのは常田さんよりもだいぶ上の世代ですよね。それこそご両親よりも上の世代というか。
常田「インターネットにはなんでも転がってるし、あんまり時代で括って聴いてないんでしょうね。それはいまも同じだし、この世代の特徴なんだと思う。昔のものでも新鮮さを感じられる」
石若「僕もそうですね。小学生の頃はX JAPANとか完全に日本のロックばかり聴いてましたけど、家で父親が観てるビデオをきっかけにキッスが好きになったりして。僕は周りにロック好きの友人がいなかったからジャズを演奏するようになったけど、弟はその影響でハード・ロックのほうに行って、いまはハード・ロック・バンドでギターを弾いてるんですよ」
――常田さんが最初に始めたのもロック・バンドだったんですか。
常田「そうですね。中学生の頃はブランキー・ジェット・シティとかミッシェル・ガン・エレファントも好きだったので、そういうノイジーなロックをやっていて。でも高校ぐらいから、どうやったら新しい音を作れるんだろう?と考えるようになりました。ラウドで緻密なことをやりたい、と」
――東京芸術大学ではチェロを専攻されてたんですよね?
常田「近所にチェロを教えてる人がいたんですよ。そこからチェロの音が好きになって」
――でも、ロックのノイジーな部分に惹かれていた常田さんは、なぜチェロの音を好きになったんでしょう。ある意味では正反対の音のようにも思えるんですけど。
常田「音楽ってバランスだと思うんですよ。すごく綺麗な要素があったほうがノイジーなものが映える。お互いがブツかり合ったり対比がはっきりしているほうがいいと思うし、だから俺はどっちも好きなんです。ノイジーなものだけが好きならノイズをやればいいと思うんだけど、それだと俺的にはちょっと違っていて」
――その後、石若さんと出会って一緒に活動するようになりますよね。
常田「大学1、2年の頃にはもう一緒にやってたよね。レコーディングする機会があって、2人でやってみようと」
――それはどういうレコーディングだったんですか。
常田「いまもやってるSrv.Vinciというバンドの前身ですね。当時は適当な名前を付けてやっていました。音源も制作したんだけど、格好良かったんですよ」
石若「そうそう。いまは筋力的にできない演奏というか(笑)。サウンドはロックなんですけど、やってることは超高速のスウィング。バンド・コンテストに出たこともあるんですけど、あの音源で優勝してたらどうなってたんだろうな」
常田「ねえ(笑)? 駿のライヴを初めて観たとき、マイルス(・デイヴィス)の“Directions”をやってたんですよ。ものすごいスウィングをバッコンバッコン叩いてて、俺がそれまで考えていたジャズとはまったく違ってた。ロックでありパンクだったんですよ。そういう曲をやりたくて、その高速スウィングの曲を作りました」
石若「コンテストのとき、審査員の前で演奏もしたんですよ。でも、みんな引いちゃって(笑)」
――そのときは2人だけでやったんですか?
常田「いや、サポートが1人入って3人で。制作は完全に2人ですね」
石若「あらゆる楽器を自分たちでやったんですよ。でも、いま聴いても格好いいと思う。10代最後の録音だったんですけど……」
常田「〈この10代、ヤバイ〉っていう録音(笑)」

――常田さんは石若さんの演奏にロックでありパンクを感じたとおっしゃいましたけど、そういうジャンル的な壁のなさもまた2人の共通点ですよね。
常田「そうですね。ジャズの人にとってはそれがジャズであり、パンクの人にとってはパンクであって、ジャンルは違えども、それぞれが求めるものってわりと近い気もするんですよね」
石若「クラシックのオーケストラにいても同じことを感じることがありますしね。あと、大希はそれぞれの表現を行き来できる人なんですよ」
常田「駿は大学を首席で卒業したけど、俺は早々にドロップアウトして。自分自身アウトロー的な道を歩いてきたところもあって、ジャンルとかシーンに属したことがないんです」
――ところで、そのバンドはその後Srv.Vinciへと発展していくわけですけど、その過程のなかで石若さんはバンドから離れますよね。それはどうして?
常田「単純にスケジュールの問題ですよね。俺はバンドとして動きたかったし、Srv.Vinciに重点を置いて活動できる人じゃないと続けられなかったこともあって」
石若「Srv.Vinciのファースト(2015年作『Mad me more softly』)のレコーディングが全部終わって、来年の予定を話し合ったんですね。大希はフェスにもどんどん出ていきたいということだったんだけど、俺はその時点で翌年のスケジュールが決まっちゃってて。そんななかでも俺はやりたかったんだけど……(常田のほうを見ながら)ねえ(笑)?」
常田「ハハハハ(笑)」
石若「もちろんそこで人間関係がおかしくなったわけじゃなくて、大希も自分の音楽活動を理解してくれたんですよね。それで今回も声をかけてもらったという」
――Srv.Vinciは常田さんと石若さんの2人編成のときからどんどん歌モノ的な方向に変わっていくわけですよね。
常田「そうですね。ポップネスを追求するバンドに近付いていった感じ。俺自身、ポップなものは基本的に大好きだし、〈日本のシーンにおいてポップなものを追求する〉というのがSrv.Vinciのひとつの方向性になってますね」
若い世代で価値観を変えていく
――では、今回のDaiki Tsuneta Millennium Paradeというソロ・プロジェクトはどのような方向性?
常田「俺は、日本のシーンや音楽の様式が窮屈に思うことがよくあるんですけど、そういうことは一切関係なく、これまで聴いたことのないものを、世界のトップランナーたちと同じ志でやろう、そういうプロジェクトですね。ただ、今回のアルバム自体はすごく〈日本〉を意識しました。世界を意識するとなおさら自分が〈東京で生活している日本人〉であることを意識したところもあって、東京の街並みにだいぶインスピレーションを受けています」
――なるほど。そこはとてもおもしろい話なので後でじっくりお訊きするとして、その前に石若さん、アルバム『http://』全体を聴いてみていかがでした?
石若「いやあ……(常田のほうを見ながら)あっぱれ!」
常田「あざす(笑)」
石若「いろんなミュージシャンが参加していますけど、その前の土台の段階ですごくこだわって作り上げていたのは凄いなと思って。あと作曲面も、ちょっとしたところの作り込みが凄くて、その辛抱強さに驚かされました」
常田「このアルバムを象徴しているのが(冒頭曲の)“Angya”なんですが、この曲なんか相当カオスだと思うんですよ。駿のラウドなドラムがそのままパッケージされてるけど、書き譜では緻密に作り込んだ部分もあって、粗さと緻密さが混在してる」
――“Angya”の構造はちょっと複雑ですよね。この曲はどうやって作ったんですか?
常田「(オリヴィエ・)メシアンのワンフレーズをモチーフにして、そこから発展させていった感じですね。このプロジェクトにおいては駿のドラムが重要なんです。昔、駿がオーケストラに参加していたとき、エルヴィン・ジョーンズ※みたいにティンパニを叩いて怒られたという事件があって(笑)」
※1950年代から活躍したジャズ・ドラマー。60年代にはジョン・コルトレーンのグループで活動したほか、マイルス・デイヴィスやウェイン・ショーター、グラント・グリーンなどの作品に参加。夫人が日本人だったこともあり、来日公演をたびたび行っている。2004年没
石若「あったね(笑)」
常田「〈オーケストラmeetsエルヴィン・ジョーンズ〉じゃないですけど、“Angya”にはその感覚がちょっと入ってる。オーケストレーションにひとつ暴れ馬の要素を入れる、そういうバランスが俺は好きなんですよ。フライング・ロータスでいえばサンダーキャットの役割を駿がやっている」
――“Angya”もそうですけど、他の曲も〈これ、どうやって作ったんだろう?〉っていうものばかりですよね。
常田「単純に1曲に対して50通りくらいの構成を考えるんですよ。そのために尋常じゃない籠り方をして……去年の12月ぐらいから作りはじめたんですけど、ちょっと浮世離れした生活をしていました(笑)。ただ、ここ2年ぐらいソロ・プロジェクトとして駿とちょこちょこライヴをやっていて、そこで追求してきたものでもあるので、今回のアルバムはリリースのために急いで考えたものではないんです」
――浮世離れした生活をしながら作ったことが影響しているのか、確かに密室感がある作りですよね。でも、その一方ではライヴ感や生演奏のスリルがあって、そのバランスがとてもおもしろく感じました。
常田「そこは駿が持ち込んでくれたものが大きいですね。他のミュージシャンにも基本的に自由にやってもらったし、プレイヤーにやってもらうんだったら自由にやってもらうことが前提だと思うんですよ。機械的に演奏してもらうんだったら打ち込みでいいわけで。各々が最高だと思うことをやってもらって、それをまとめて形にするのが俺の役目」
――参加しているアーティストの顔ぶれも幅広いですよね。個人的には上海のアンダーグラウンド・クラブ・シーンで活動する女性シンガー、チャチャが参加していて驚きました。
常田「今回はいろんな言語が混ざり合った内容にしたくて、中国語をどこかに入れたかったんですよ。チャチャは国際感覚を持ったアーティストでもあるし、大前提として声がいい。それで友達に紹介してもらったんです」
――多言語であることがこのアルバムを広いものにしてますよね。ヨーロッパなどでは多言語の作品ってジャンルを問わず多いですけど、なぜか日本には少なくて。
常田「そうですよね、確かに。こんなに世界中の人たちが集まる国なのに」
――さっき東京をモチーフにしたとおっしゃっていましたけど、僕もいまの東京っぽい音だと思ったんですよ。多言語だし、多音色。
常田「そうそう、そういう意識で作ったんです。東京は街並みにしてもある種の美的感覚が圧倒的に足りていなくて。例えばテンプレート的なコンクリートのビルばかり建っているかと思えばその横にヨーロッパっぽい建物を平気で建てちゃったりする。日本のそういうところは昔から好きじゃないんですけど、そこにアジアらしいエネルギーがある気もしていて。このアルバムにもそういうエネルギーを入れたかったんです」
――チャチャの他にも、さまざまなジャンルの方々が参加していますよね。
常田「基本的には仲間内で集めました。今回も駿にいろいろ協力してもらいながら進めていったんで、駿に紹介してもらった人も結構いますね」
石若「ラッパーのJua、トラックメイカーのエルムホイは僕経由ですね」
常田「だから、今回のアルバムは駿がいないと成り立たなかったんですよ」
石若「俺がGarageBandで作ったものもちょっと入ってますし(笑)」
――へえ、そうなんですか?
常田「まだ世の中に出てない石若駿の打ち込みのトラックが山ほどあるんですけど、結構ヤバイんです。すげえサイケで、異常に歪んでて……インフルエンザで寝込んでるときに作ったらしいんですけど、ちょっと頭おかしい感じ(笑)」
石若「時間があるときじゃないと、打ち込みってできないじゃないですか。お医者さんから〈1週間は外に出たらダメです〉と言われたので、久々に打ち込みでもやるか、と。タミフルを飲んでいた影響が出てるのかもしれない(笑)」

――ところで、石若さんは国外のミュージシャンも含めてさまざまな方々と共演されてますけど、そんな石若さんにとって常田さんと演奏するおもしろさとはどんなところにあります?
石若「見たことのない世界に連れていってくれるところですかね。〈俺たち、これからどんな音楽を作れるんだろう? こんなの聴いたことないよ!〉っていうワクワク感がある。世界中の人たちが〈なんだこれ、よくわかんないけどスゲエ!〉って思ってくれたらいいんですけどね。いまは世界中どこで活動していようともヤバイ音楽はヤバイし、可能性あると思うんですよね」
常田「そこをめざして日々やっている感じですね。駿とは大学時代からいろんな形で一緒にやってきたけど、このノリのままでもっとフィールドを広げていけたら最高なんですけどね」
――こう言っちゃナンですけど、ヨーロッパですごくウケそうな気がするんですよ。
常田「うん、自分でもそんな気がしています」
――今回参加しているKoki Nakanoさんのように、海外に拠点を移すことは考えていない?
常田「そういうこともあるかもしれないけど、今回のアルバムがまずは第一歩ですよね。Kokiくんは兄貴みたいな存在だし、いろいろアドヴァイスをもらっています」
――今回の参加ミュージシャンは90年代前半生まれの人たちが多いんですよね。
常田「そうですね。92年生まれあたりが中心ですけど、Juaはまだ10代だし、エンジニアの染ちゃん(Hiraku Someno)も俺より2つぐらい年下。今回自分のなかでは〈若い世代で変えていくぞ〉という意識はありましたね、確かに」
――では、その世代で共有してるものがあるとすれば、それはどういうものでしょう?
石若「よく思うのは、少し上の世代だと大きな会社やプロダクションに引っ張られた経験のある人は多いと思うんですけど、僕らの世代は何かに頼ることなく、ネットなどを使って自分の力だけでもポンと(世に出て)行けるんじゃないか、というヴィジョンを持ってる人が多いと思うんですよ。ジャスティン・ビーバーにしたって自分の弾き語り動画をきっかけにブレイクしたし、最近だとジェイコブ・コリアーもそう。そういう可能性をみんなどこかしらで夢見てるんじゃないですかね」
常田「バブリーな業界の恩恵はまったく受けてないですからね。個人の腕や技量で勝負できる人も多いし、いい意味で現実を見てる人が多いんだと思う。そりゃ高級車にも乗りたいし、いい生活もしたいけど……いい車に乗りたいよな(笑)?」
石若「そうやねえ、乗りたいねえ(笑)」