いま振り返ると、東京を拠点に活動するロック・バンド、フジロッ久(仮)がよりポップな方向に向かおうとしている兆候は、とっくの昔からあったように思う。小西康陽や峯田和伸をはじめ、ジャンルも世代も異なる多方面のミュージシャン、全国各地のリスナーからの熱烈な支持も得ながら、フジロッ久(仮)らしさを狂おしくも真っ直ぐに貫き、ライヴの現場では熱狂を起こしながら、来るべき爆発の時を待っていた。
2016年の彼らはスタートから痛快だった。まず1月に、2015年のライヴを収めた2枚の自主CD-R『ライブインジャパン』『リブインジャパン』を同時リリース。そして、3月にはアルバムの先行シングル“ワナワナ!”と大傑作サード・アルバム『超ライブ』を発表し、全国9か所を回るリリース・ツアーを行った。さらに6月には、アニメ「宇宙パトロールルル子」のオープニング・テーマになったシングル“CRYまっくすド平日”、7月にライヴDVD「おはようございます! vol.03 -超ライブツアー2016」のリリースと、まさに怒涛にして絶好調のフジロッ久(仮)だった……はずなのだが、なんとこのタイミングで、〈フジロッ久(仮)、3人になっちゃいました!〉との発表が! 残念ながら、この充実しまくった2016年前半の作品群は、6人組フジロッ久(仮)の、帰ってこない黄金の日々の記録となってしまった。
だが、頼もしくもすでに新体制になったこのバンドは、悔しいくらいに堂々と前を向いている。新たなサポート・メンバーを迎えてライヴを始動させたばかり、次に起こることへの予感で最高にムズムズとしているこのタイミングに、バンドのツートップであり〈おかしなふたり〉そのものとも言えるヴォーカルの藤原亮、〈パッションモンスター〉の高橋元希にロング・インタヴューを行った。
そもそもフジロッ久(仮)ってどういうバンドで、なんでこんなにおもしろいの?
僕らは結果的にバラバラになっていくバンド
――3月にリリースされたサード・アルバム『超ライブ』は、フジロッ久(仮)の最高傑作だったと思うんです。
藤原亮「自分では〈総決算的になってきている〉とは思っていました。20代が終わって30歳で作った作品だったので、楽曲も20代を総決算する感じになっていたし。震災後からバンドの音楽性がちょっとシフトされていったんですけど、それ以降でいちばん手応えのある作品が初めてちゃんと出来た感覚があった」
――2015年にリリースされた3曲入りのシングル“おかしなふたり”を聴いたとき、〈胸キュンでポップな方向に振り切れたな〉と思いました。あのシングルの時点で、ひとつギアを踏み込んでいたんでしょうね。
藤原「そうですね。“おかしなふたり”くらいから、〈リズム音楽〉ということをすごく意識したように思います。それまではパンク・バンドだと名乗ってもいたし、やっていることもパンクという意識だったんですけど、だんだんとダンス・ミュージックの身体を動かすグルーヴみたいなものが、いかに人の心象風景に作用するかということを会得してきていたんです。そこで自分たちなりのダンス・ミュージックをやろうとした。ただ、あくまで歌詞やメッセージ、パッションがしっかりと乗ったダンス・ミュージックを作ろうと思っていました。それが、ここ最近の主流ではないスカ的な裏打ちのビートなのもフジ久らしいなと」
――セカンド・アルバムの『ニューユタカ』(2013年)にも、ポップ化した指向性はあったと思うんです。でも、“おかしなふたり”と比べて聴くと、やっぱりそこには違いがある。ポール・ウェラーで言えばジャムの後期とスタイル・カウンシルの違いみたいなもので(笑)。
藤原「僕の声ってあんまりパンク・サウンドに合わないことに気付いたんです(笑)。そこで、全曲ちゃんとメロディーがあったほうがいいなと。それまでは〈がなる〉感じの曲にしがちだったんですけど、自分たちの声質なんかを考えると、もっとポップス的なところを掘り下げて、そこにメッセージを込めるほうがいいと思ったんです。だから“おかしなふたり”のときは、ポップソングの範囲で全部を込めていこうとすごく意識していました。叫ぶことやギターのディストーションを禁じた反面、身体の動きやダンス・ミュージックに寄っていく部分があった気がします」
――そういうふうにポップ化、ダンス化していくとき、高橋くんのMCというかアジテーションが、サウンドに上手くハマるんだろうかという不安もちょっとあったんですよ。でも、結果的には見事にハマったというか『超ライブ』では、さらにポエジーになって意味も広がったし、音楽的に見てもすごく広範囲へアピールできるものになった。
高橋元希「自分も変わったんですけど、藤原の歌詞もすごく変わったんですよね。大きい言い方をすると〈パンク・バンドがラヴソングを歌う〉という意識が芽生えたんです。現状へのカウンター的な気持ちを、誰にでもわかりやすい言葉で音楽へと着地させるときに、ラヴソングや近くにいる人への気持ちを込めた曲を作る。そのやり方がすごく腑に落ちたというか、バンドの曲がすごくポップ化していくのと同時進行的に、自分のなかでも合点がいくようになったんです」
藤原「そうだね、思い出した! “おかしなふたり”は〈ラヴソングを作るんだ!〉と言って作った! それまでは、パンク・バンドがラヴソングを歌うのはルール違反というか、あったとしてもルーザー目線でなくちゃいけないという気持ちを持っていて」
――少なくともラブコメみたいなものはあり得ないですよね。
藤原「そこには〈震災後〉というテーマも関わってきたんです。2012年、2013年に発表されたいろんなアルバムに震災後感が出ていたと思うんですけど、うちらはそれがやっと作品に出たんです。最初は、状況に対するメッセージ・ソングやプロテスト・ソングみたいなものを考えたんですけど、やっぱりメロディーやコード進行があるものだと、〈世相を斬る!〉みたいな感じがあんまりしっくりこない感じがして。歌詞においても、ズバリ社会的な表現だと〈それは良い曲じゃないぞ〉という感じが自分のなかにあって、自分の内情と社会性のどちらもちゃんと兼ね備えられる音楽というのは、果たして何なんだろう?と考えていったときに、それはきっとラヴソングなんだ、と思うようになったんです」
高橋「そもそも僕らがやろうとしてきたパンクというものも、そうだったと思うんです。世間一般的なイメージの、モヒカンで速くてうるさくて、みたいなものじゃなく、いろんなローカルのなかで生活に深く根差していて、〈自分たちで自分たちのことをやっていくんだ〉という土壌を持っているパンク。僕らにとってのラヴソングも、生活に根差していて、近くの人を思っていて、これからどう生きていくかを歌うことだった。そのときに、僕が若かった頃にポップスの象徴だった小沢健二と、パンクの象徴だったブルーハーツが自分のなかで繋がったんです」
――バンドとしては、2人のめざす方向にすんなり進んでいけました?
藤原「特に全員でコンセプトを共有することもなく進んでいましたね。自然にそうできるならば共有したほうがいいのかもしれないけど、無理矢理押し付けるものでもないし、こっちが遠慮するものでもない。例えば、僕は歌詞を書きますけど、ドラムの所(晃広)くんはフジロッ久(仮)のなかでいちばん音楽を歌詞で聴かない人なんですよ。このインタヴューもたぶんあんまり興味ないと思う(笑)。でも、バンドにそういう人がいることは、すごくいいことだと思っているんです。一枚岩じゃないというか。かつ、それが現実社会の縮図であればいいというか、コンセプトに興味がない人もバンドにいるというのがリアルじゃないですか。そもそもこの2人の間でも特に相談をしていないので、誰がコンセプトに気付いていたのかはわからないですね」
――いま〈バンドは一枚岩じゃなくていい〉という発言が出ましたけど、まさに『超ライブ』までのフジロッ久(仮)の魅力の一つは、バラバラな個性を持ったメンバーが集まっていたことだと思うんですよ。〈人種のるつぼ感〉というか。形態としてはパンク・バンドなのかもしれないけど、ひとりも同じような格好やスタイルの人がいない(笑)。
藤原「最近気付いたんですけど、フジロッ久(仮)の曲を演奏していると、〈その人らしさ〉がより出るようになるんですよ。別にバラバラな人を集めたわけでも、本当にバラバラすぎるわけでもなく、〈ひとりひとりが別々のままでいい〉ということが音楽の纏う空気に入っているので、自然とそうなっていく」
高橋「7月末から始動した新編成での練習でも、日に日に演奏するみんながフジロッ久(仮)の顔になっていくんですよね(笑)。フジロッ久(仮)の曲をちゃんと向き合ってやろうとすると、自分の我をしっかり出して、音楽的にも全裸になっていくしかない。それが結果的にそれぞれの個性を引き立たせて、バラバラになっていくんだと思います」
藤原「〈結果、バラバラになっていく〉って、すごいね(笑)」
――完成に近付くことが、結果、バラバラになることでもある!
藤原「うん、すごく不思議なんですけど、フジロッ久(仮)ってそんなバンドだって気がします」
新しいしラヴだしパンクだし、すごいものを作ったと思う
――いまこの状況でこそ頼もしく聞こえますけど、〈この6人でなくちゃダメ〉という気持ちが強い時期もあったんですか?
藤原「はい。最強の6人だと思ってましたし、れっきとした〈チーム〉だった。でも、あのバラバラな6人全員をメンバーとして尊重していくのにも限界があったと思うんです。いまは3人しかいないからすごくシンプルで、バンドの主軸は自分だなって強く自覚するようになった。音楽には力があるから、ただただ自分の思う良い音楽をちゃんと残す、刻み付けることがしたいと思っています。結成当初まで遡れば、〈ロック・バンド・ロマンス〉みたいなものはすごく強かったんですけど、もう〈みんなで1個の想いを共有しようぜ〉といった感じではなくなりましたね」
高橋「初期のバンド・ロマンスで言うと、僕にとっては『ニューユタカ』までキーボードをやってくれていた森川あづささん(2014年4月に脱退)の存在がすごく象徴的でした。そういう土台を作ってくれた大事なメンバーが抜けて、それでもフジロッ久(仮)を続けるという決断をバンドがしたときに、ここから先はもうどうなろうと受け止めていく覚悟が必要だと思ったんです。そうやって続けることにした以上はいろんな変化があるだろうし、それを楽しんでいくことがフジロッ久(仮)。その変化をいい方向に転がしていくのが、フジロッ久(仮)のあり方なのかなと思います」
――とはいえ、7月にリリースされたツアーDVD「おはようございます! vol.03 -超ライブツアー2016」を観ると、この6人での演奏がいちいちすごくエモーショナルなんですよね。なおかつ、ブックレットを埋め尽くしている所くんが書いたツアー日記を読むと、いちいち〈マジかよ〉と思うくらいグっとくる。しかも、その日記の最後にろっきーくん(ベース)の脱退のことが書かれていて、この作品がバンドのラスト・デイズの記録になってしまうという結末のびっくり感というか、オチというか。率直に言いにくいことかもしれないですけど、多忙になってきたこともあって〈全部に参加できないのに正式メンバーと名乗るのは違う〉という意思表明をしていたシマダボーイや、ツアー・ファイナルの渋谷WWWがラスト・ライヴになると決まっていた鮎子さんと比べても、オリジナル・メンバーであり、長年の苦労を共にしてきたろっきーくんがツアー後にバンドを去る決断をしたというのは、ショッキングな出来事だったんじゃないですか?
藤原「そうですね……ショックではありました。ただ、経験を踏まえた、すごくフラットな意見として言うと、フジロッ久(仮)って安定が似合わないチームなんですよ。だから、ショックではありましたけど、むしろこれを機に、また何か更新が始まるなという、ちょっと俯瞰した目線も同時にありました。ただ、単純に人が離れるということに関しては、もちろん常にショックです」
――こっちで想像していたよりは、その後のアクションの早さといい、ずっと前向きな感じがします。
藤原「一瞬たりとも止まっちゃダメだと思って、人を探して、スタジオに入って。そしたらまたフジロッ久(仮)の曲が鳴るじゃないですか。歌うと、自分の身体に響くじゃないですか。で、やっぱりこの音楽はすごくいいなと感動したんです。所くんがブックレットの最後に書いていたことがすごく象徴的なんですけど、実際、フジロッ久(仮)の音楽ってもう僕らだけのモノだけじゃないんですよ。もはやライフワークというんですかね? 〈止めちゃいけない〉という感じ。ろっきーが抜けるという一大事が訪れても、選択肢は〈次、どうしよう?〉と必死に考えるしかない、みたいな。常にそういう感じでフジロッ久(仮)は回っている気がします」
――奇しくも『超ライブ』というアルバムが20代の総決算になっていたということも、バンドに訪れる変化の前奏曲であったという気もします。ラヴソングのアルバムであると同時に〈死と再生〉がテーマになっている印象もあった。死に絶えたように見えても、またニョキニョキと生えてくる何か、みたいなことが繰り返し歌われていて。
藤原「あのアルバムで、初めてすごくパーソナルに音楽を作ったんです。それまでは個人の心情みたいなものから音楽を作ることを禁じ手にしてたんですね。たとえば“シュプレヒコール”みたいな曲は、あくまで情景の歌であり、何かを促したり閃めかせたりするための音楽ですけど、例えばそういう〈良いこと〉を言っている奴が、接してみたら嫌な奴だったということもあるじゃないですか。以前の僕はそういうことを歌の世界には入れないようにしていたんです。でも、実際に〈私〉の現場で起きていることがないものにされたまま〈繰り出そうぜ〉みたいな言葉だけが繰り返されるのもちょっと不自然だなと思うようになってきた。だから、感じたことが個人的であればあるほど歌で採り上げてみる、というスタンスで『超ライブ』は作りました」
――超個人的な心情というブラックホールにどんどん入り込んでみたら、抜けた先がすごく広い景色だった、みたいな。
藤原「そうですね。自分と向き合って、そのうえで、社会的でもあるというか、パンク・マインド的なことを1曲の中にどうやって入れようかという作業を『超ライブ』ではやったと思いますね。音楽がより力を持つのは、個人の情動にフィットしてくるときだと思うので、弱さや汚さ、醜さをちゃんと音楽にしないとまずいぞと思っていました。それを出すのは、すごく勇気のいることでしたね」
高橋「(東日本大)震災から5年経って、いま僕たちが立っている現状や、この世代のあり方を考えると、どう希望を歌っていくか、前向きに明日を迎えるための気持ちをどう歌っていくか、みたいなことに対してすごく繊細になる必要があるし、いろんな人がいることを受け入れていかなくちゃいけない。いま生きていることを歌うために個人的で繊細な部分を見つめたことで、時代性をあんまり問わなくなったというか。すごく普遍的な作品になったと思います。しかも、新しいしラヴだしパンクだし。〈すごいものを作ったぞ〉と最近思うようになった」
――『超ライブ』の1曲目が“ライフ”で、最後の曲が“ライブ”。〈ライフ〉とは人生や生活とか不変であるもの、変わらないでいてほしいものを表していて、〈ライヴ〉は名詞ですけど、英語の〈live〉と考えれば〈生きる〉という動詞でもあり、変わっていくものを意味している。この静的な〈ライフ〉から動的な〈ライヴ〉へと向かう構成そのものが、いま2人が言っていた感覚と通じ合っていますよね。
藤原「アルバム・タイトル通りなんですけど、現在進行形に対してちゃんと向き合うことが音楽的だなと思ったんです。それを自覚的にちゃんと作り上げることができたので、こんなに深みのある作品になったと思っています。やろうとしていたことや考えていたことはこれまでと変わってないんですけど、〈ついに有効なやり方を見つけた!〉という感じなんです。曲名を見ても、ストレートでバカみたいなのばっかりですもんね(笑)」