新作『CALL』のリリースに合わせて、澤部渡と清水瑶志郎がディスコグラフィーを振り返るスカート発展史。その後編では、KAKUBARHYTHMからの初リリースにして、澤部がCHAGE and ASKAの素晴らしさに開眼し、ソングライターとしてレヴェルアップを果たした2014年のシングル“シリウス”から、初の5人編成でのライヴを収めた『The First Waltz Award』、そして『CALL』までの軌跡を辿る。
ASKA以降のモードに加え、パーカッショニストとしてシマダボーイが初参加した“シリウス”の発展型をイメージしつつ、〈言い訳のできない音源を作ろう〉とメンバーに伝えてから制作に臨んだという『CALL』。その決意の通りに、アレンジ、アンサンブルとも飛躍を遂げたこのアルバムは、バンドの新たなスタンダートと言える作品となった。5人編成によるフレッシュな力学を探りつつ、同作に込められたこれまでとは異なる数々のニュアンスを紐解いていこう。
★世にも不思議なバンド、スカートの発展史・前篇 ~宅録作『エス・オー・エス』から第1期の集大成『サイダーの庭』まで
鮮度だけのバンドじゃないことを証明できた
KAKUBARHYTHMからの初リリースとなった、2014年12月の12インチ・シングル。澤部は表題曲を書いての手応えが大きく、なんとか早く出したいと考えていたところ、レーベル主宰の角張渉が手を挙げたとのことで発売に至ったという。澤部渡、清水瑶志郎、佐藤優介、佐久間裕太という4人編成バンドの力強さと繊細さが美しく融合した“シリウス”はもちろん、NATURE DANGER GANG、フジロッ久(仮)のパーカッショニスト・シマダボーイがバンドに初参加したディスコ調のB面曲“回想”も新作『CALL』の呼び水になった。ジャケットのイラストはマンガ家、町田洋による描き下ろし。
澤部渡「“シリウス”はもう完全にコード進行ですごいものが出来てしまったなと」
清水「〈ASKA以降〉の澤部さんですよね。澤部さんのASKA以降は『サイダーの庭』の“ラジオのように”あたりから始まっているんでしたっけ?」
澤部「いや、あの曲はむしろかしぶち哲郎(ムーンライダーズ)さんからの影響で。“サイダーの庭”あたりはもうASKA期に入っていた気はする。ただ、ちょっと聴いてみてすごいなと思っていた時期で、少なからず影響はあるけど、まだどっぷりじゃなかったな――ASKA以前・以降という自分のなかでの区別があるんです(笑)」
――えーと(笑)……CHAGE and ASKAのASKAですよね。澤部さんが猛烈にハマっているというのは小耳に挟んだことがあります。
澤部「『ひみつ』を出した後に神戸へライヴに行ったんですよ。そのときの車中で――スカートの遠征には昔のJ-Popを聴いてゲラゲラ笑いながら高速を走るという悪しき習慣があって、CHAGE and ASKAがそれの餌食になったんですけど、聴き進めていくうちに〈ちょっと待てよ〉みたいな感じになったんです。実はめちゃくちゃすごい人たちなんじゃないかと」
――ASKAの楽曲のどういった面にガツンときたんですか?
澤部「いやー、もうコード進行とメロディーの関係が非常にガラパゴス的というか、デヴィッド・フォスター経由で訳のわからないものになるという感じがあって、それがすごくおもしろかったんですよね。〈うわ! ここでこんな転調するのかよ〉みたいな。それで一気に夢中になった」
――じゃあASKAの1曲を挙げるとすれば?
澤部「変な部分とキャッチーさが同居してるという意味でわかりやすいのは、“DO YA DO”(90年)かな。もうAメロ、サビ、大サビという変な構成で、さらにそれぞれが違う調という、とんでもない曲なんです。それぞれのパートはシンプルにもかかわらず、そこに至る道筋が見えない。僕は音楽を長く聴く理由は〈謎〉の部分だと思っているんです。〈どうしてこれはこうなっているんだろう?〉という取っ掛かりがないと、ずっとは聴けないと思う。ASKAさんの曲はそれにまるっと当てはまったんですよ。歌詞も隠喩ばっかりみたいな世界だし、もう謎だらけなんです。そうしてハマっていくうちに、曲作りにも影響を受けたんですね」
――なるほど。また、今作からシマダボーイさんが初参加されていますね。B面の“タタノアドラ”と“回想”でパーカッションを叩かれていて。
澤部「僕はD-Squareというどついたるねんの派生ユニットに一瞬参加していたんですよ。ライヴを一度もすることなくユニット自体が空中分解してしまったんですけど。そのD-Squareにシマダボーイもいたんです。その頃はNATURE DANGER GANGとかは全然聴いてなかったんですけど、とにかく彼は腕が立つというか上手いし理解も速かった。 “回想”が出来たのが大きかったですね。あれを録るとなったときに〈ディスコでしょ。パーカッション要るでしょ〉と」
――佐久間さんがこの間Twitterで〈当初はほかのパーカッショニストに声を掛けようと思っていた〉という書き込みをしていましたね。
昨日のシマダボーイ企画良かったな。NDGもフジ久も普段一緒のイベントに出る事が殆どないから新鮮だった。シリウスの12inchを録る時パーカスの候補がシマダボーイと他にもう1人居たんだけど、NDGの人とやった方が面白くなりそうでボーイに頼む事になった。結果その時の判断は正しかった。
— 佐久間裕太 (@Yuta_Sakuma) 2016年4月5日
澤部「僕はそのあたりうろ覚えで、たぶん普通にスタジオ・ミュージシャンを呼ぶという話だったのかもしれないですけど、その誰かじゃなくてシマダボーイになったのは、あきらかに彼が僕らの毛色とは違う人間だったからですね。そういう要素をバンドに入れてみるというのに興味があった」
――なるほど。シマダボーイさんの加入もありつつ、“シリウス”を経たことでバンドがさらに進んだ実感もあったのでしょうか?
澤部「それはありましたね。それまで積み重ねてきたバンドのアンサンブルは、勢いによって成り立っているものなんじゃないかという疑問があったんです。最初に集まったときは勢いがあるのは当然だし、違う人間が集まって制作するんですから、バンドという形であればある程度はおもしろいものができると思う。スカートもその鮮度だけのバンドなんじゃないかという疑問があった。それが“シリウス”を作ったことで、そうじゃなかったということを証明できたんです。僕は、バンドはアルバムを3枚作ったら役目を終えると思っていたですよ。でも、必ずしもそうじゃなかったんだなと」
〈なにかが終わってなにかが始まる〉という予感があった
シマダボーイを含めた“シリウス”を経て、5人編成のスカートの初お披露目となったのが、2014年11月12日に渋谷WWWにて行われたワンマン・ライヴ。そのパフォーマンスを収録したのが、昨年リリースされたライヴ・アルバムだ。それまでの作品からくまなく演奏され、もはやベスト盤と言える全25曲が収録されている。
澤部「このアルバムをリリースしたのは社長としての判断もあり(笑)。ただ、録音を聴き返したら演奏は悪くなく、重要な立ち位置のライヴだったんだなと思ったので、これは作品にして残しておく意味があるなと思った」
――澤部さんが重要な立ち位置のライヴだと思ったのは、どんな演奏ができていたからですか?
澤部「『The First Waltz Award』というタイトルに相応しい演奏になったと思いました。ライヴ前から、なにかがここから始まるんだろうなと期待感があった。そういう感触から、ライヴ・タイトルをフリッパーズ・ギターが終わった後の小山田圭吾と小沢健二の最初の動き――コーネリアスの初作『THE FIRST QUESTION AWARD』(94年)と小沢健二の初ライヴのVHS『ザ・ファースト・ワルツ』(93年)を合わせたんです。〈なにかが終わってなにかが始まる〉という予感を込めたタイトルに見合ったライヴができましたね」
とにかく言い訳のできない音源を作ろう
“シリウス”に続いてKAKUBARHYTHMからのリリースとなった、3枚目のフル作となるニュー・アルバムは、澤部渡、清水瑶志郎、佐藤優介、佐久間裕太、シマダボーイの5人編成を母体に制作。端正さを増したアンサンブルの隅々にまで軽やかな躍動感が芽吹いており、スカート史上もっともグルーヴィーでチアフルな作品になった。さらに佐藤がアレンジを担ったストリングス4重奏が、煌びやかで優美なムードを授け、その華やかさでの一方で、華やかなサウンドをコントラストに、澤部特有のメロウネスはいっそう艶やかに煌めいている。エンジニアはトクマルシューゴや森は生きている、D.A.N.などで知られる葛西俊彦が担当し、まろやかな音像には時代性を超越したスタンダードといった趣も。ジャケットのイラストはCuushe作品などを手掛けてきた久野遥子が描き下している。
澤部「“シリウス”のあとは、KAKUBARHYTHMはアルバムも出してくれるの? くれないの?とソワソワしている時期はありましたね。でも、そこで〈アルバムはいつ?〉みたいな話をしたら、〈なに彼女面してんだよ〉みたいな反応になるんじゃないかと思ったり(笑)。最終的に角張社長も出すぞと言ってくれて、そこからリリースの時期はいつがベストかを考えてもらった」
――このアルバムは“シリウス”の手応えを発展させていった作品だそうですが、どんな感触をどう導いていったのかを教えてください。
澤部「『サイダーの庭』と“シリウス”で何が違うかっていうと、“シリウス”にはガレージ的なところがほぼない。しっかり録音に向き合った作品だったんですね。それまでは多少力任せでもどうにかなるだろうという気持ちで録音していた部分もあったんですけど、そういう部分を排除してレコードを成立させようというのがまずひとつですね。それと(シマダ)ボーイが参加してくれることになったこともあり、そこを発展させていきたいという気持ちもありました。角張社長と話していたのは〈とにかく言い訳のできない音源を作ろう〉と。作ったあとに、〈いや予算がなかったので〉とかそういうことを言えないものを作る、そういう気持ちでしたね」
清水「〈言い訳のできない音源〉といったことはメールに書いてありましたね」
澤部「〈遺作を作ります〉みたいなメールを出した気がするな(笑)」
――レコーディング・エンジニアを葛西さんが務めているのも初ですが、今回彼に託した理由は?
澤部「いちばん大きかったのは、森は生きているのセカンド・アルバム『グッド・ナイト』(2014年)をやられていたことですね。あれ、めちゃくちゃ音が良かったじゃないですか。音の点はちゃんと点なんだけど、ぼやけるところはしっかりぼやけていて。岡田(拓郎)くんのミックスも絶対あるんだろうけど、そういうことができるのは録り音がしっかりしてたからだろうなと思った。あとは森に付き合えたんだから、僕らもたぶん大丈夫だろうなと(笑)。ハハハハ! いまのは冗談ですよ。しっかり向き合って音作りをやってくれるんだろうなと想像してお願いしました」
――毎回、澤部さんは作り手としてキーになった曲を作品タイトルにしていますが、今作は2曲目の“CALL”ですね。確かにスカートには珍しくリフの組み合わせの妙が際立ったオルタナ・ポップ調で。
澤部「これまではスカートの曲を書いているときに手応えがあると、〈うわ、良い曲だな〉と爆笑しながら書いていたんですよ(笑)。でもこの曲はそうじゃない方法――もともと1つのモチーフがあり、それを磨いて仕上げていった曲なんです。そもそもスカートはコードの美学があるんですよ。ASKAさんに魅かれたのもそういう部分ですし。でもそのコードの美学を一回投げ捨ててみたのが“CALL”でした。それが上手くハマって、自分でも納得のいく曲ができたから、そりゃもうタイトル曲じゃないのと」
――コードの美学を投げ捨てるというアプローチは、ほかの曲でも取られているんですか?
澤部「“いい夜”がそうですね。あの曲もコードを複雑にすればするほど良いという考えでは作っていない。まあ“CALL”も厳密に言えばBメロはかなり複雑なんですけど、それはAメロとの対比を作るためでもあって。“はじまるならば”もコード進行は稚拙ですね」
――“いい夜”も“はじまるならば”もガレージ・パンク的な勢いがありますが、スカートならではの捻りのあるポップさが随所で出ていますね。
澤部「コードで特別なことをせずにどういうことができるか、みたいな曲ですね。一方では“アンダーカレント”みたいな複雑な曲もある」
――作曲において、これまでと力点を変えた背景は?
澤部「それもやっぱりバンドの鮮度の問題で、バンドの寿命=(作品)3枚という思い込みがあって、その3枚が終わってしまったのでどうしようという焦りがあった。というか、それしかなかったんですよ(笑)。焦りのなかで次のアルバムはどうしようとなり、自分のなかで新しいことができるのならやっていかなきゃというムードがあった。結局は特に新しくはなってはないんですけどね。これまでと地続きのスカートだし、それ以外の何物でもない。でも、自分のなかで少し意識を変えられるだけで違ってくるんですよね」
――ジャケットのイラストを担当した久野遥子さんも初のタッグですね。彼女の作品はガーリーでファンシーな要素が強かったので、少し意外でもありました。
澤部「お願いした理由の1つは、彼女が漫画家じゃないということなんです。これまでスカートのジャケットは漫画家の方に描いてもらっていたんですね。でもKAKUBARHYTHMからのリリースということで、なにかを変えるならそういう部分じゃないかなと思った。漫画家に一枚絵を描いてもらうんじゃなくて、イラストレーターとして活動する方に一枚絵をドドンと描いてもらうという。作曲の話とも通じるんですけど、要はなにかの変化――お客さんが気付く、気付かないかは別として1つの態度として残しておかなきゃと。久野さんだったらそれまでのスカートの雰囲気も汲んでもらえつつ、新鮮さもあるだろうと思ったんです」
――彼女にはどんなディレクションを?
澤部「『サイダーの庭』から〈ジオラマ・ブックス〉の森敬太さんがアート・ディレクターで入ってくれていて、僕と森さんでワーワー意見を言い合いながら進めているんですけど、僕からは〈閉園した遊園地〉というキーワードを提案した。そこで森さんが〈じゃあジェットコースターをモチーフにお願いします〉と」
――澤部さんの〈閉園した遊園地〉というキーワードはどうやって出てきたんですか?
澤部「アルバムの曲を聴くと、いつも通り寂しい曲が並んでるんですよ。自分で聴いていたら、シャッターが閉まっちゃった商店や、もう潰れて誰も来ないような遊園地が思い浮かんできて、このアルバムの本質はそういう寂しいものなんじゃないかなという気がした。あ! ゾンビーズの『R.I.P.』という解散したあとにリリースされた未発表曲集があって、そのアルバムが2008年に再発された際のジャケットがあるんですけど、あの感じに近い気がします。これまで気付かなかったんですけど、あれが無意識に今作のアートワークの元ネタなんじゃないかな。騒がしそうな雰囲気もあるんだけど圧倒的にどこか寂しい、欠落しているという。そういうヴィジュアル・イメージだったんだろうな」
――作曲や編曲、アートワークと同様に、作詞の面でもこれまでと違うニュアンスを試されたのでしょうか?
澤部「自分のなかではちょっと変わってきたなと思いますね。いままではひたすらぼやかして、ちょっと匂わせて終わるようなものが多かったんです。1曲のなかにいろいろなトーンを混ぜて、本当に言いたいことは森の中の木を上から見下ろすようにわかりづらくしていたんです。今回は、物語として成り立つかは一度置いておいて、ひとつの統一したトーンで書けるようになったという手応えがある。“ワルツが聴こえる”や“CALL”がそうですけど、そういう詩が書けるようになったのは、あとから振り返ると大きいんだろうな、という気がします」
清水「歌詞のポピュラリティーは増しているような気がしますね」
――澤部さんの歌詞は、ロケーションやキャラクターのバックグラウンドをあまり描かないですよね。わかりやすいストーリーテリングを意識的に拒絶しているような印象がある。
澤部「そうですね」
清水「でも言葉の端々で共感できる。フレーズの一節だけでグッとくるんですよね」
――わかります。“アンダーカレント”の〈針のような痛みを見せたい あなたにも〉とか心に残るんですよね。それにしても、単純明快なストーリーやダイレクトなメッセージを書かないという澤部さんの姿勢はどこから発起したものなんですかね?
澤部「単純に恥ずかしいんでしょうね。照れ隠しの面はあると思いますよ。こんな歳になって言うことじゃないんですけど、なにかを言い切ってしまうことへの恐怖がある。でもリスナーとしての原体験も大きいのかな。自分が幼い頃にはっぴぃえんどを聴いて〈この歌はなにが起きているのだろう〉と思ったことを忘れられずに、その幻影をいまだに追い続けている気がします」
――澤部さんは事あるごとに青春パンクと「少年ジャンプ」が嫌いとおっしゃっているじゃないですか。
澤部「ええ(笑)」
――それは、友情・努力・勝利みたいな価値観を受け付けられないからなんじゃないかと思ったんですよね。ただ、それを踏まえてスカートというバンドを見ていくと、このバンド特有の在り方をより理解できる気がする。
澤部「いわゆるバンドからすれば異質なんでしょうね。いまだに居心地が良いというか、必要以上に気を遣うこともない関係性なので」
――また、メンバーの佐藤さんは今作のストリングス・アレンジも担当されていますね。
澤部「選択肢は彼しかなかったですね。この間ユメトコスメの長谷(泰宏)さんに〈なんで僕にストリングスを頼んでくれなかったの?〉と言われて、〈うわ! 本当に忘れていた!〉となったんですけど、それくらい優介に書いてもらうことしか考えてなかった。彼に仕事が増えたら良いなと思っています。世の中に、彼は天才なんだと知らしめたいんですよ」
――いまの言葉もそうですけど、いわゆるロック・バンド的な運命共同体とは違う形でありつつ、澤部さんのメンバーに対するリスペクトはとても大きいですよね。
清水「僕らは特に責任もなく粛々とやっているだけなんですけどね。楽しく無理をしない感じが良いんだろうな」
澤部「あくまで〈サポート・メンバー〉というのはあるのかな。これだけ長くやっているのにサポートというのも本当に申し訳ないんですけど、気楽で良いのかなと思います。そういう意味ではスカートはバンドだけどバンドじゃないというか。それがバンドの鮮度がまだなくなっていないことにも繋がっているような気がする。期せずしてこうなってしまったんですけどね。自分でも不思議なバンドだと思います」