世界中のジュークボックスの中身を黒く塗り替えた最強レーベルの全盛期を、重要スタッフ陣の証言&貴重フォト満載で編んだ重厚本!
とにかく、厚く、重く、萌える、新刊である。熱い、想いが、燃える、大冊なのだ。蔵出し写真も満載の横組み本文が400頁の貫禄で編まれた。が、大陸横断の超特急よろしく丸一日を費やせば読破できる(できた)、それだけの面白さと痛快さで読むものを魅了してやまない一冊だ。読旅のお供には全103曲が収録されたご機嫌な4枚組のCD-BOX、『Hitsville USA:The Motown Singles Collection 1959-1971』を選んだ。ガイド役は、共著関係のアダム・ホワイト(元・ビルボード編集長)とバーニー・エイルズ(元・モータウン副社長兼総支配人)なのだから申し分ない。後者の証言と全面協力の下、前者の知見を総動員して、この持ち運びにはカートが必要な程の完璧な音旅本が産まれたのだろう。
創業オーナーであるベリー・ゴーディの自伝『To Be Loved:The Music,the Magic,the Memories of Motown』は未読、同書に基づくブロードウェイ・ジュークボックス・ミュージカル『Motown:The Musical』も未鑑――なので較べようもないが、裏方陣の述懐とその場の音が伝わるような影像群を巧みに織り込んだ本書の構成は“コンプリート・モータウン”の名に恥じぬ出来栄えだ。テンプテーションズのオーティス・ウイリアムスは言う、「長きにわたって、モータウンといえばその手の仲間意識や家族感情のことだった。私が最初の家を買ったとき、ポップ・ゴーディが家に銅管があるか確かめに来たほどだった」。当の創業者本人は「私は、黒人にしては白人すぎたし、白人にしては黒人すぎた」と自認し、「私が気にしていたのはいつも、いい音楽、私たちの人生経験を伝える音楽のことだけだった」と綱渡りの時代を総括している。そのゴーディの“手斧男”と知られた著者の片割れ、エイルズについては「単純にバーニーは世界一すごい男だと思った」「しかも、彼の営業部の中はまるで国連のようだった」と評している。この大著はそんな二人の友情の航跡をなぞりつつ、いかに“THE SOUND OF YOUNG AMERICA”が布教されたかを辿る、20世紀最高のポップ・レーベルの正史だ。
エイルズ曰く、Hitsville U.S.Aの看板を掲げた“生家”は「われらが横向きの摩天楼」。そこを去り、3マイル南の繁華街にあるドノヴァン・ビルへ移ったのが1968年の3月。やがて本拠地をL.A.はサンセット・ブルヴァード6464番地の10階建て高層ビルへと変転していったモータウン・レコード。本書はその間の、いわば「ぶ厚い社史」でもあるわけだが、音楽好き読者の書棚には「面白さと豪華さでは世界最強の社史!」として永久保存されるに違いない。とにかく、中心を占める裏方陣の証言が濃密だ。
そのぶん、個々の作品評や制作裏話、所属アーティストらの意外な素顔や醜聞秘話などを期待する向きは多少肩透かしを食らう大冊かもしれない。でも、大丈夫(吉高由里子ふうに)! じぶんは研究家でも蒐集家でも事情通でもないので、本書から得るモータウン知識の鮮度は判定できないが、自身の初耳部分を正直に記せばこうだ。あの「M」のロゴ作成者はバーニー・イェスジン、「ヴォーカルの振り付け法」を開発したチョリー・アトキンスは米国で最も有名なタップダンサーの一人、彼の雇用とアーティスト養成部門の必要性を創業者に説いた張本人であるハーヴェイ・フークアは元ムーングロウズのメンバー(=解散後にマーヴィン・ゲイ共々、同社入り)、あるいはスプリームスのファッションや外見を担当していた元モデルで女優のマキシン・パウエルという存在……事情通には常識の範囲だとしても、彼らの肖像が現場感あふれる写真を添えて紹介される構成は堪らない。しかも、これらの貴重な情報の多くが写真のキャプションにさりげなく書かれていたりするので、細部に“神”が宿っているような一冊。つまり本文との内容重複がない凝縮度だ。かつて音楽面の裏方勢(通称「ファンク・ブラザーズ」)を追った2002年の映画作品『永遠のモータウン』が数々の賞に輝いたが、400頁の本著は“もうひとつのアナザーストーリー”(真木よう子ふうに)であり、活字ならではの宝物と言えるだろう。
いま、眼前の壁にピン止めされている一枚のチラシは、こんな惹句で映画館での鑑賞を誘っている。“誰もが知っているバンドの知られざるストーリー”。そう、9月22日から全国公開されている映画「ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years」の宣伝句だ。なにも“バンド”を“レーベル”に差し替えてお茶を濁そうという理由から引いたわけではない。ザ・ビートルズの1963~1966年の旅物語を編んだ映画の公開日(=未鑑の期待)と相前後し、本著の書評文を任された偶然がいかに読み進む際のワクワク相乗効果に結びついたか、それを書き留めておきたかったからに他ならない。内外で「白い黒人女性」と称賛されたダスティ・スプリングフィールドと、「最高の広報官」であるFAB4が、英国の「M」布教者として果たした役割は有名だ。ミラクルズやバレット・ストロングの盤は各自が持っていたと回想しながら、リンゴ・スターが次のように言い切っている。「たぶんそれが私たちがミュージシャンとして、グループとして仲良くやっていく助けになっていたのだろう」。1965年3月、その無敵のFAB4を押しのけて、スプリームスの《ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ》がチャートの頂点に輝いた。同じ週のアルバム・トップ20から競争相手の顔ぶれを拾ってみると、ナット“キング”コール、ヘンリー・マンシーニ、バーブラ・ストライザンド、ベルト・ケンペルト、トリニ・ロペスと、分野も個性も百花繚乱。さらに『メリー・ポピンズ』『マイ・フェア・レディ』『屋根の上のバイオリン弾き』『ハロー・ドーリー!』等のサントラ勢も健闘しており、FAB4旋風真っ盛りの時代相が確認できて面白い。本書はいわば“モータウンとその時代”の連鎖が随所に散見できる20世紀後半の米国音楽史書なのだ。英米間の綱引きと相互影響ぶりが面白い。
ビートルズ繋がりで一例を挙げれば、代表陣のシングル盤も満載の本書、初期スプリームスの22枚を掲載している頁の小さな活字を追っていくと、最初の45回転盤2枚(非売品)は「プロモーション用のインタヴューと、若者の雇用機会宣伝のためにレコード・プロデューサーのフィル・スペクターが書いた歌を広告協議会がレコーディングしたもの」なんぞという解説が付されている(裸眼で読んだよ)。また、ブライアン・エプスタインとゴーディの、双方の会社をめぐる取引話も面白く、初期FAB4のモータウン系カヴァー作品(3曲)に関して米国内での印税率を下げてほしいと前者が頼んだという。エイルズらはこれに賛成し、ゴーディも同意したが、率を下げても初年度には少なくとも1万5000ドル相当が金庫に納められたそうな。106-107pの見開きは左側にテンプスの代表曲《マイ・ガール》のジャケ写が載り、笑顔の5人の目線が左側のモノクロ影像を見つめているような洒落た配置になっている。それはアポロ・シアターの楽屋光景を刻んだ一葉(1964年10月)で、翌月に地元デトロイトで行なうセッションに先駆けて、スモーキー・ロビンソンが《マイ・ガール》のことをテンプスに教示している瞬間を撮んだ貴重なものだ。
最後に“360度のビジネスモデル”を追求した辣腕エイルズに対し、EMIの楽曲担当者が放った一言を紹介しておこう。失望したエイルズによれば、「彼は、私たちのレコードにはタンバリンが多すぎると言ったんだ」。さらに「私は怒り狂った。それ以降、私は決して彼には親しくできなくなった。私はアメリカで一番のレーベルをもっているのに、タンバリンが多すぎるなんて言ってくるんだよ?」。タンバリンが多すぎる……これには笑った、最高の賛辞じゃないか! そんな話のあれやこれやが大小さまざまなアー写やジャケ写と共鳴し合って、他に類を見ない「分厚い社史」を一気に読破させてしまう。その歴史から1967年に離脱した“歌の錬金術トリオ”ホ―ランド=ドジャー=ホ―ランドに関して、あまり触れられていないのも「社史」ゆえの事情と割り切ろう。ところで厚くて重くて携帯困難な本著も、かなりタンバリンが強めだ! 目玉で踊れ!
Motown;Motown Records(モータウン:モータウン・レコーズ)
アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト発祥のレコードレーベル。1959年1月12日、ベリー・ゴーディ・ジュニアによってタムラ・レコードとして設立し、1960年4月14日、モータウン・レコード・コーポレーションとなった。自動車産業で知られるデトロイトの通称、「Motor town」の略である。アフリカ系アメリカ人が所有するレコードレーベルとして、ソウルミュージックやブラックミュージックを中心に据えてクロスオーバーで大成功をおさめてポピュラー音楽の人種統合において重要な役割を担った。
寄稿者プロフィール
末次安里(Anri Suetsugu)
著述家。取材記者を皮切りに女性誌の『微笑』『新鮮』『女性自身』、写真週刊誌『FLASH』や『週刊宝石』等でアンカー原稿を担当。一方、実名及び覆面で単行本執筆や複数のPR誌編集長も歴任し、音楽誌『OutThere』(現在休刊中)、次いで『JazzToday』を立ち上げる。最近は医療・健康記事の分野でも健筆中。