前衛ロックの名作とシンガー・ソングライターとしての代表作
ヨーコ・オノの三つの異なるアルバムが、復刻プロジェクト第2弾として発売される。『フライ』はそれまでの活動の集大成で、前衛ロックの名作として残るアルバムだ。これにはクラプトン、リンゴ・スター等のロックの大御所からフルクサスでヨーコと共に活動したジョー・ジョーンズ等まで参加している。タイトル曲は彼女の実験映画のサントラとなった曲で、ヴォイスで様々な表現をした実験音楽の名曲である。このアルバムはレノンの『イマジン』と共にリリースされた兄弟作品であり、僕にとってはレノンの作品よりも強烈なアルバムである。これまでも久しぶりにヨーコの音楽を聴きたいと思った時、まずこのCDを聴いた。
『Approximately Infinite Universe(無限の大宇宙)』はシンガー・ソングライターとして作った初のフル・アルバムで、ビートルズの『ホワイト・アルバム』のようにたくさんのロック、ファンク、バラードの短い曲を独自の実験的なヴォイスも含めながら2枚に収録している。『Feeling the Space(空間の感触)』はシンガー・ソングライターとしての完成度をより高めたアルバムである。このアルバムではレノンの存在は薄くなり、ふたりが距離を置いた時期に発表されたが、歌のアルバムとして名作である。
ヨーコ・オノは20歳のときにニューヨーク郊外のスカースデールに移り住み、サラ・ローレンス大学に入学した。1959年からヨーコはナム・ジュン・パイク、ラ・モンテ・ヤング等と共にジョージ・マチューナスが主唱した「反芸術主義による芸術共同体」フルクサスで活動を始めた。フルクサスのダダ的とも言える考え方と活動は、戦後を生きた若い世代にとっての一つの代表的な考えを表しているように僕は思う。1960年代にラ・モンテ・ヤングと共に活動し、後にルー・リードと共にヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成したジョン・ケイルに、僕はフルクサスについて聞いた事があった。1960年代は多くの人々が社会や物事の考え方を変えていった時代でしたね、と聞くと彼は次のように語ってくれた。「私たちは考え方の革命を起こしたのだと思う。ラ・モンテやナム・ジュン・パイクはフルクサスで多くのパフォーマンスをやって、そこからパフォーマンス・アートが始まった。コンサートで何が出来るか? 何が許されるか? クラシックのコンサートで斧を持って来て、テーブルを割ってしまったら、どうなるのか? それをやる意味は、ショックを与えることにあった。今までの体制と戦うには、別の体制を作ってしまわないといけないのか? マルクス思想家はシステムがなければ成功できないと思ってしまうかもしれないが、そうじゃない。新しく支える組織は必要ない。私達が言っていることはアイディアの革命の事だ」ヨーコ・オノのラディカルに見える表現方法は、こうした考え方とつながっている。
ヨーコ・オノは日本生まれであるが、人生の大部分をアメリカで過している。日本生まれの日系アメリカ人の第一世代という方が分かりやすいかもしれない。ロックの曲ではそれが強く表れている。僕自身は日本系の第二世代として育っていたので、英語の使い方や表現の仕方で、その違いが聴こえてくる。最近では、アメリカの日系第二世代、中国系第二世代、韓国系第二世代の生き方や文化を表現しているコメディーやラップをYoutubeで観ることができる。第一世代には、日本的な表現の仕方が英語になっても強く残っている。第二世代になると英語が自分の言葉になっているが、東洋的な独特な表現方を使っていたりもする。ヨーコの英語の詞も歌い方も独特である。前衛的なアートや音楽は、その文化園から離れた場所でも、そのメッセージ性を伝えられる。しかし、ロックやポップスの場合はサウンドは一見分かりやすくても、その言葉や文化の表現方法と切り離す事が難しかったりする。ただポップスの方がパフォーマンス・アートよりも深いメッセージを与えることもある。そこには詩の表現も含まれているから。ボブ・ディランがノーベル賞を受賞したのも、そういったことが認められてきたからではなかろうか。ヨーコの歌は、最近になってアメリカでカヴァーされたり、影響を受けたアーティストが出てきている。今回改めて日本ではどう受けとられるかが楽しみである。