コラム

オノ・ヨーコはいつの時代も自分の表現を貫く―60年代から作品やパフォーマンスを通して伝えてきたメッセージの背景

photo by Iain Macmillan ©Yoko Ono

 

パフォーマンス・アートのバックグラウンド。

 ジョン・レノンの『イマジン』を聴いて本当に好きだったら、オノ・ヨーコの『フライ』を聴くべきだと、僕は前から思っていた。今回再発される『ヨーコの心/プラスティック・オノ・バンド』も『フライ』もジョン・レノンの当時のソロ・アルバムと兄弟ジャッケットで発売されていて、一緒に聴く事が本人達の求めていた事だった。そして、オノ・ヨーコのアルバムの方が、その元となる思想がより濃く表現されている。

 オノ・ヨーコと最初に出会ったのは、僕が3歳になる前だった。両親の知り合いだったために、僕のベビーシッターを頼んでいたらしい。僕自身には、その記憶は残っていないが、当時の写真は残っている。当時から、オノ・ヨーコは、これらのCDに含まれているヴォイス・パフォーマンスやパフォーマンス・アートのショーをやっていた。当時は真っ黒な革の上下の服を着ていて、髪の毛はこれらのCDと同じように長いウェイヴ・ヘアだった。1960年代の前半、東京では草月アート・センターが日本の前衛アート、音楽、ダンス等をサポートしていた。武満徹秋山邦晴の電子音楽なども、ここで作られていた。勅使河原宏の名映画『砂の女』や『他人の顔』等も当時の草月で活動をしていた人々と共に作られていった。その勅使河原宏が、東京での最初のオノ・ヨーコのパフォーマンスを企画制作した。『小野洋子リサイタル』というタイトルだった。このアルバムにも聴けるヴォイス・パフォーマンスも言葉によるイヴェント・パフォーマンスもそこでやっていた。私の母親も、このオノ・ヨーコのパフォーマンスで演奏した。

 オノ・ヨーコは、ニューヨークの新しいアートと音楽シーンが本当に楽しいものだと当時、話していた。このシーンからルー・リードジョン・ケイルも現れた。第二次大戦争が終わって落ちついた1960年代では、様々な新しい考え方や生き方への実験が行われていた。新しいアートと音楽は、そこから生まれたものだった。人々が、それまで当たり前と思っていた事に疑問を持って、考えを広げて、今までになかった生き方を実現しようと促すのが目的だった。それは、現在一般的にとらえられているような平和運動や社会運動とはちょっと違う。もっとディープなものだった。『これはみんなドラッグをやっていたから、こんな歌い方をしていたの?』という風に思ってしまう人も世の中にはいるようだが、それは、その強烈な表現方法のために、その目的が見えなくなってしまっているから、言っているのだろうと僕は思う。そして、時代が変わった今、また新たな表現方法を考えないといけない。

 オノ・ヨーコはいつの時代でも常に、自分の表現を貫く人だ。ウェディング・アルバムのA面は巨大な鼓動音の上にジョンとヨーコがお互いの名前を叫んでいるだけで20分続く。鼓動の音はまるで、軍隊の行進のように強烈に感じさせた。クリスマスにいつもかかる『ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)』はベトナム戦争で撃ち殺されたベトナム人の虐殺された写真が表紙でニューヨーク中のレコード店に飾ってあった。生易しい表現ではない。数年前の横浜国立美術館での平和のためのオブジェは、ライフルで穴だらけになっていた電車の車両だった。ダイナミックに表現した方がメッセージは伝わる。人間を知ると、本当のメッセージが伝えられる。ジョンの『イマジン』はキャッチーかもしれないが、ヨーコの『フライ』の方が、強烈にメッセージが伝わって来る。それは音楽のジャンル等とは関係がない。ジャンルとは表現方法に過ぎない。ジャンルにこだわりすぎる人は内容が見えていない人だ。ジャンルから音楽を聴くのではなく、その表現した内容から聴いて欲しい。そう言いながらも、今回再発される3枚の内の『プラスティック・オノ・バンド』や『未完成作品第2番』は前衛ロックの名盤と言える。70年代の後半に灰野敬二のグループに最初に誘われた時に、これらをかけたのを覚えている。まずは、これを必ず聴いて欲しい。

 2015年の東京都現代美術館で行った大回顧展 『オノ・ヨーコ/私の窓から』のオープニングで久しぶりに彼女を見かけた。オープニング・セレモニーで、このCDに含まれているようなヴォイス・パフォーマンスをやっていた。彼女の古い友人達、横尾忠則篠山紀信、そして私の母等と話していた。

 

関連アーティスト
TOWER DOORS
pagetop