日本のヒップホップに出会ってなかったら、もうNYに戻っていたかもしれない

――ちなみにジャズとヒップホップ、どちらと先に出会いました?

「ヒップホップですね。母親もファンだし、小さい頃からずっと聴いていました。パプアニューギニアは黒人が住む、物凄く貧乏な国じゃないですか。80年代にそんなところで生まれたら、絶対にヒップホップを聴きますよ。(NWAの)“Fuck The Police”とかそういうやつ(笑)」

――相当ハードな環境で育ったんですね……。

「僕は(首都の)ポートモレスビーで生まれたんですけど、今でも旅行サイトで調べると、〈何か理由がない限り、絶対に行かないほうがいい〉としか書いてない(笑)。治安がとにかく悪いところで、僕はそのなかでも一番貧乏な街に住んでいて。みんなお金も食べ物もないし、やることがないから悪さを働く人も多い。80年代は特にヤバかったし、それもあってオーストラリアに引っ越したんです。まあ、実際に住んでいれば危険だとも思わないし、今は別に危なくもないけど」

――自分でビートを作るようになったのは?

「日本に来てからですね。まだ知り合いもそんなにいなかった頃に、一人で音楽を作ろうと思って。あとはヒップホップのルーツを掘り下げるうちに、どうやってビートが作られてきたのか知りたくなった。それでMPCのサンプラーを買って、最初は趣味からスタートしたんですけど、むしろ今では(活動の)メインになりました」

――トラックメイカーとしてのルーツはどの辺りですか?

「歴史的なやつだと、J・ディラやマッドリブとか。古いのだとピート・ロックやラージ・プロフェッサーも大きいですね。だけど今は、日本のヒップホップしか聴かない」

アーロンの2016年のビートテープ
 

J・ディラの2006年作『Donuts』収録曲“Time: The Donut of the Heart”のカヴァー
 

――そんなに入れ込んでいるんですか。Olive Oilや5lack、KOJOEといった日本人ラッパーとの共作は、どういう経緯で実現したんですか?

「Oliveさんの“Pianity”という昔すごく人気だった曲があって、印象的なピアノのサンプルが入っているんですよ。あるとき、その曲をリニューアルしたいということで、〈ピアノを弾いてくれないか〉とTwitterで連絡をもらって。僕はもともとOliveさんの大ファンだったから、とにかく嬉しかったですね。しかも、ピアノの音源と一緒に、〈実はビートも作ってるんです〉と送ったら、すごくいいねと返事がきて。そういうやり取りを続けるうちに仲良くなりました」

Olive Oilの2012年作『Far From Yesterday』収録曲、アーロンがピアノを担当した“Pianity remake12”
 

――今もOil WORKSのTシャツを着てますもんね。

「はい(笑)。5lackと知り合ったのもOil WORKSの繋がりで。KOJOEも似たような感じで、〈2人共東京だから一緒にやったほうがいい〉とOliveさんに言われて。5lack、KOJOE、RITTO、K-BOMBとみんなOlive Oilのファミリーで、そこに僕も入っている」

5lackとの2016年のシングル『Unfounded』収録曲“I Say No”
 
KOJOEとの2015年のライヴ映像
 

――ぶっちゃけ、日本のヒップホップはおもしろいですか?

「おもしろいですね! 特にビート・シーンはすごい。アメリカ人より上手いし、日本でしか聴こえないサウンドがある。今はLAみたいにビート・ブームで、いいものを作る人が多いですよね。彼らがいなかったら、もうNYに戻っていたかもしれない。Fumitake Tamura(BUN)は藝大の先輩で、LAでも注目を集めている。BudaMunkも好き。若い人たちもAru-2、フィッツ・アンブローズ(fitz ambro$e)、リピート・パターン(Repeat Pattern)とか……たくさんいすぎるくらい」

――ジャズは古いものを聴き返しているのに、ヒップホップは最新モードを追っているのも興味深いです。あと、「フリースタイルダンジョン」でも注目された、TKda黒ぶちにトラックを提供したと聞きました。

「そうそう。会ったのは一回だけですけど、トーク・イヴェントで知り合って、そのとき一緒にセッションもしたんですよね。それで終わったあとに〈ビートを送ってください〉と連絡をもらって、作ることになりました」

※小池直也氏によるイヴェント〈ネオホットクラブ〉。アーロンは2016年6月の回に出演。

〈ネオホットクラブ〉出演時のTKda黒ぶちらとのセッション映像

 

アメリカの音楽をやりながら、自分たちの音楽を出せる隙間を探す

――話は前後しますが、メルボルン~NYまでの話も聞かせてください。まず14歳でオーストラリアに渡ったわけですけど、現地のジャズ・シーンはどんな感じでしたか?

「街によってもスタイルが違うんですよ。シドニーはNYと似ているけど、メルボルンは特有のサウンドが強い。スタンダードを弾くライヴには誰も行かないけど、自分の音楽をやるとお客さんがたくさん集まるんですよね。みんなビバップの演奏はできないけど、特有のプレイスタイルを持っているというか」

――メルボルンはジャズ以外でもそういう感じがしますね。いろんな音楽の要素をミックスする土壌がある。それこそ、最近だとハイエイタス・カイヨーテが真っ先に浮かびますが。

「彼らは大学の後輩なんですよ。サウンドも昔からあんな感じでしたね。メルボルンでジャズを勉強している音楽家は、大学を卒業したあと、プレイヤーとしてのスキルを別のジャンルで活かすことが多い。ハイエイタス・カイヨーテもR&Bをやっているけど、スキルが高いから複雑なことができる」

――メルボルンからNYに渡るまでには、どんないきさつがあったんですか?

「大学1年生のある日、メルボルンのBennetts Laneというクラブで演奏していたら、アメリカ人のミュージシャンが声をかけてきて。あとで訊いたら、ローリング・ストーンズでホーンを吹いている人だった。ストーンズがツアーでメルボルンに滞在中だったんですよ。ティム・リースというサックス奏者で、そこから一緒にセッションしました」

――またスケールの大きな話が(笑)。

「それで彼はNYに戻るわけですけど、しばらくしたらメールが届いて。〈もしアーロンが4月に来れそうだったら、一緒にジャズ・スタンダード(NYのライヴハウス)で演奏しよう〉と書いてあったんです。そんな予定は全然なかったけど、じゃあ行こうかなと。それでティムと一緒にレコーディングし、サニーサイドというレーベルと契約することになって」

――NYを拠点にしていた時期も、錚々たるジャズ・ミュージシャンと共演してきたみたいですね。

「ジム・ブラックというフリー・インプロ系の人とよく一緒にやりましたね。彼がいろいろと紹介してくれて。あとはベン・モンダー、サム・アニングもそうだし、クラレンス・ペンやジェームス・ジナスともトリオでやったりして」

ティム・リース、クラレンス・ペンが参加したアーロンの2003年作『Place』
 

――NYのシーンはどうでしたか?

「いざ行ってみたら……やっぱりNYっぽい(笑)。超アメリカのジャズで、それに慣れなかったですね。最初は新しいことだらけで楽しかったけど、だんだん疲れてきて。ジャズをやるんだったら、オーストラリアでしかできないのかもしれない。駿もヨシも、僕の影響でオーストラリアのジャズにすごく詳しいんですよ。だからこそ、僕がどういうふうに演奏したいかをわかってくれるし、一緒にライヴもできる」

ジム・ブラックの2009年のライヴ映像
 

アーロンの2009年作『Ranu』。挾間美帆・m_unitなどにも参加するサム・アニング(ベース)が参加
 

――サニーサイドから2枚リリースされてますけど、確かにNYっぽい洗練された作風で、今回のアルバムとはだいぶ違いますよね。

「ヒップホップもそうだけど、ジャズはアメリカの音楽じゃないですか。でも、僕らはアメリカ人じゃないわけだし、アメリカの音楽をそのままやっても意味がないと思う。でも一方で、ジャズが好きでジャズがやりたい。その微妙なところ、ジャズをやりながら自分の音楽を出せるという隙間を探していくのが大事かなって」

――『VADA TAUDIA』のほうが自分を表していると。

「そうですね、これが僕の音楽です」

――そんな新作ですけど、どういうイメージで制作されたのでしょう?

「いきなり僕が三味線を持って、日本の音楽をやりだしたら〈何をしているの?〉ってなると思う(笑)。それと同じように、アメリカのジャズは出したくなかったし、今のNYに住んでいる人たちは誰にも作れない音楽になったと思います。駿のドラムだからできることを意識したし、ヨシの吹くサックスの音色も格好良いから、静かに吹ける曲も作ろうとか。そういうふうに考えながら作りました」

Aaron Choulai Quintet『VADA TAUDIA』試聴動画
 

――じゃあ作曲もメンバーありきというか。

「そうですね、毎回そう。誰にでも演奏できる曲を適当に書くんじゃなくて、このアルバムの曲はこのメンバーでしかやれない」

――即興よりもコンポーズの占める割合のほうが大きい?

「ソロはちゃんとありますけど、聴いてもらったらわかるように、変なところで出てくるんですよ。どこまでを書いていて、どこまでインプロなのかよくわからない曲もあるし」

――このアルバムで導入された〈メルボルン・スタイル〉とは、どのような形式なのでしょう?

「昔のメルボルンでは、ニューオーリンズ・スタイルが流行ったんですよ。どこのパブでもそういう音楽が流れていて。あとは、海外のミュージシャンがオーストラリアに来ても、みんなシドニーに寄ったら帰ってしまう。でも、70年代のオーネット・コールマンやフリー・ジャズの音楽家は、シドニーでなかなかライヴができなくて、メルボルンまで来てくれた。それでディキシーランドからフリー系に流行が移って、その2つが混ざるようになったんです。だから、メルボルンにビバップやハード・バップの歴史はない」

――モードとかをすっ飛ばして、フリーの時代がやってきたんですね。

「そうそう。アルバムのなかにも、オーネット・コールマンみたいなテーマはあるけど、ビバップの言語は一切入ってないし」

――でも今の話とここまでのインタヴューを踏まえると、4か国を渡り歩いた人生と、そこで育んできた音楽観が、そのまま凝縮したようなアルバムだと言えそうですね。

「そうかもしれない。ヒップホップっぽいところもあるし、フリー・ジャズもある。最後の“TENNESSE WALTZ”はカントリーだし。それらもひっくるめてのジャズだと思いますね」

――演奏を聴いていても、破綻しかねないスレスレのラインを攻めている気がして。メンバー間の信頼関係があるからこそ、そこまで行くことができるのかなって。

「うん。だからこそ10年近くCDを出してこなかったんですよ」

――いろんなリズムやサウンドが詰まっていますけど、それを支えているのは、やはり石若くんのドラムなのかなと。

「あと、駿はタイム感がいいんですよ。多くのドラマーがタイム感をキープしようとして、BPMを揃えることばかり考えているけど、音楽はそういうものじゃないと思う。盛り上がるところではテンポが走ったりすることもあって、駿はその辺の空気が読める。ヨシもそうだけど、僕らは10年近く一緒にやっているから、もう何も考えなくても、お互いのやろうとしていることが汲み取れるんですよね」

――『VADA TAUDIA』はパプア語で〈Black Magic People〉という意味らしいですが、この意味深なタイトルにはどういった由来が?

「もう全然、何の意味もないですね。曲名も適当につけました(笑)」

――“ORE NO MONO WA ORE NO MONO, OMAE NO MONO MO ORE NO MONO”という曲も入っていますけど……。

「僕、ジャイアンみたいだってよく言われるんですよ」

――適当すぎる! お気に入りの曲はありますか?

「演奏面は答えるのが難しいけど、作曲についてならタイトル曲が好きですね。フレーズが3小節で、3ヴァースで進行していく。ヒップホップでいうと、ディラが作ったデ・ラ・ソウル“Stakes Is High”みたいな感じ。でも、自分の音楽は聴かないからよくわからない。作ったら終わり」

――〈音楽を作る人〉ですもんね。今も新しい音楽にどんどん取り掛かっている?

「Daichi Yamamotoと一緒に制作しているアルバムもあるし、ビート系の音楽は毎日作っていて。あとは、オーケストラのために作っていた曲も書き終えたので、そのうちオーストラリアで演奏してきます。そっちはKOJOEが参加したクラシック作品(笑)。とにかく曲を書くのが好きですね。レモンジュースを作るのも好きだし」

アーロンが使用している電子タバコ・VAPEのフレイヴァーのこと

Daichi Yamamotoをフィーチャーした“Bell”

 


Live Information
アーロン・チューライ・クィンテット

9月14日(木)@愛知・名古屋スターアイズ
9月16日(土)@神奈川・横浜kamome
9月17日(日)@東京・新宿pit inn
9月18日(月・祝)@東京・下北沢アポロ ※〈Don't Call it Jazz vol.2〉に出演
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