韓国のうたの歴史、韓国の時代背景

 ひとつの土地、ひとつの国で、聴かれ、親しまれ、歌われてきた曲たち。民謡があり、芸術歌曲があり、流行歌がある。童謡があり、抵抗歌があり、禁じられたものがある。そして、それぞれにはつくり手がいて、歌い手がいる。ことばを紡ぎ、節を練る。口をあけて、喉から声をだす。それらを空気の振動が、ラジオが、レコードが、伝えてゆく。

「韓国」と題にある。隣国の歌謡か、と。

 いや、でもそうじゃない。それだけじゃない。そう言ったほうが正確か。「韓国」と「歌謡」が、そして、「韓国」も「歌謡」も、それぞれ単独には扱いえない。それがよくわかる。韓国の歌謡はこの列島の歌謡とさまざまなかたちで、大きく、長く、つながっている。ことばをかえれば、この列島の歌謡もまた単体としてはありえない。

朴燦鎬 韓国歌謡史I /1895-1945 邑楽舎(2018)

朴燦鎬 韓国歌謡史II /1945-1980 邑楽舎(2018)

 「I」の原著は1987年晶文社。今回改訂が施され、近年あらたに書き下ろされた「II」とともにめでたく刊行となった。

 私情を排し、可能なかぎり資料にあたる。歴史的な背景を書きこむ。記述は、年代に即しつつも、トピックをつらねたようになっているから、どこからでも読むことができる。多くの写真が引かれ、短いながらも勘所をおさえたコメントがある。もっとも特徴的なのは、詞や曲のつくり手を紹介しながら、何よりも、詞を多く引き、うたに即したリズムで読ませてくれるところだろう。見方によっては、本書は、歌謡なるものの、詞のアンソロジーでもあるのだ。

 アリランから第二次世界大戦終結までの「I」、「II」はアメリカ文化の流入と朝鮮戦争、ロックやアイドル、さらに「75歌謡大虐殺」から在日のミュージシャンまで扱われる幅広さ。ところどころにあらわれる詞の書き換えや検閲、禁止は、ことば・うた・表現の社会的な問題として、けっして他人事ではなく、すぐそこにあるものとして、読まれるべきもの。どちらかというとそっけなくみえるタイトルの二冊から得られるものは、とてつもなく、深く、広い。