須藤寿が髭の15年の歴史を振り返るロング・インタヴュー。〈後編〉では約40分の〈一曲アルバム〉である『Electric』(2008年)、土屋正巳や奥田民生といったプロデューサー陣を迎えた『サンシャイン』(2010年)など、多彩な作品を発表したSPEEDSTAR時代の中~後期にはじまり、プロデューサーだったアイゴンこと會田茂一をメンバーに、さらには元・踊ってばかりの国のドラマー、佐藤謙介をサポート・メンバーに迎え7人編成となったコロムビア時代。そして、バンドの最大の転機とも言うべき、川崎“フィリポ”裕利(ドラムス/パーカッション)の脱退を経て、自主レーベル〈Creamy Records〉を設立し、結成15周年を記念した最新作『STRAWBERRY ANNIVERSARY』を完成させた現在までを語ってもらった。

一時期はバンド崩壊の危機に直面しながらも、それを乗り越え、今もリスナーの心に火を灯すロック・バンドであり続けるその姿は、やはり感動的である。〈15(イチゴ)周年〉=〈STRAWBERRY ANNIVERSARY〉の髭よ、これからも永遠なれ。

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髭15周年特集Vol.2:髭・須藤寿インタヴュー(前編)/友達のいない学生時代、どこにも属せなかった異色のバンドはいかにして転機を掴んだのか?


 

5人だけでいると、いよいよ崩壊しそうだった

――メジャー・デビュー後、バンドの転機となったシングル“ロックンロールと五人の囚人”を経た2007年は『黒にそめろ e.p.』から『Chaos in Apple』と、かなりアグレッシヴな作品のリリースが続きました。

「『Chaos in Apple』のときは力に溢れてた気がする。“黒にそめろ”も“溺れる猿が藁をもつかむ”も、スタジオにノープランで行って、バーッて書いて、〈今日はこの曲合わせよう〉みたいな、そんな時期。〈その日に書き切って帰る〉みたいな感じだったから、あっという間にアルバム一枚出来て、ここまでは一気に駆け抜けた感じがするね。

ただ、一方ではバンドがギスギスしはじめてて、お互い求め合い過ぎた結果、不和が生まれるような感じになってたのかな、今思えば。だから、それが終わって、一回クールダウンしたんだよ」

『Chaos in Apple』収録曲“黒にそめろ”
 

――それが〈一曲アルバム〉の『Electric』だったと。

「そう、ちょっとガス抜きしようって。その頃みんなテクノとかを聴きはじめて、特に斉藤くんのエレクトロニカへの傾倒が進んでたから、『Chaos in Apple』のツアーが終わって、〈次のアルバムまではちょっと時間を置いて、一回まったく違うことで動こう〉ってなったときに、“Acoustic”(2005年『Thank you, Beatles』)をエレクトロニカにしたらおもしろいんじゃないかと提案したんだよ。で、俺と斉藤くんがイニシアティヴをとって、その制作がガス抜きになったと思う」

――異色の作品ですけど、もともとループの気持ちよさっていうのは髭の持ち味のひとつではありましたよね。

「それまでアンダーワールドとかエイフェックス・ツインで済んでたものが、もっと一気に世界が広がって。周りを見てもそうだったと思う。時代的に、打ち込みとバンドの境目がなくなってた。そのちょっと前までは確実に壁があったけど、もう誰が何やってもオッケーになってたからね。南米のジャズとかも聴きはじめて、そういうのがおもしろかったり」

――同じビクターにはくるりがいたし、サカナクションも出てきた頃で、まさにジャンルの融解の時期でしたよね。そこから再び、いわゆる〈バンド〉に戻って、まずシングルの“夢でさよなら”(2008年)が出るわけですが、この頃から少しずつ、狂騒的で楽しい髭のライヴに、〈なおかつ、泣ける〉という雰囲気が出てきたように思います。

「『Electric』が終わって、〈みんなでビートを合わせる〉っていうことによりストイックになっていったんだよね。つまりは、バンドのノリをどうやって合わせるか。そこらへんからバンドが崩壊しかけちゃって……それで、主にパーカッション担当だったコテがドラムを叩くことも多くなったり、『サンシャイン』の頃は、あっくん(金子ノブアキ)とかUNICORNの川西(幸一)さんに叩いてもらったり、プロデューサーに入ってもらったり。いろんなトライアルをして、バンドの形を何とか保とうとしたんだよね。

チームに新しい人がいると、新しいエクスプロージョンを楽しめるじゃん? だから、あの時期は雑多にいろんな人と交わったんだと思う。5人だけでいると、いよいよ崩壊しそうだったから」

――もともと〈結果的に〉ツイン・ドラムになったという話もありましたし、リズムの構築が重要だった『Electric』の制作を経て、ノリの部分が改めて課題になっていたと。

「グリッドに合わせた音楽をやりたかったわけじゃないけど、髭の持ってるビート感にアイデンティティーを感じなくなっちゃったんだよね。〈なんか違うんだよな〉って、自分たちでどんどん首を絞めていたというか、それでフィリポのことを傷つけてしまったりもして、それでさっき言ってた〈泣き〉みたいな、感傷的なマインドが出てきてたのかもしれない」

――ベスト盤『TEQUILA! TEQUILA! the BEST』(2010年)に収録された新曲“テキーラ!テキーラ!”にも〈泣き〉のテイストはありますが、この曲は今もライヴにおける重要な曲であり続けていますよね。

「あのAメロの裏をメインにした16のノリ、はじめはフィリポと俺の課題曲だったんだよね。その時期はノリを合わせるために俺とフィリポの2人でスタジオに入ることもあって、そういうときの課題曲のひとつだった。“Are you ハッピー??”(『サンシャイン』)とかもそうだったんだけど。

で、後から3人が入ってきて、あのフレーズに乗っかってきてくれたので、そのノリでサビまで書いたら、〈これいいよ〉ってメンバーみんなが言ってくれたんだよ。でも、あの時期は〈いい曲書けた!〉みたいな余裕はなくて、もっともっとバンドのノリを合わせたいって躍起になってるときだった。だから、“テキーラ!テキーラ!”がヤバい力を持ってるなって思いはじめたのは、そのずっと後だよ。ライヴでやりはじめてようやく、〈この曲だけちょっとフロアの熱が変わるな〉って。フロアのみんなの反応で特別になっていったタイプの曲だね」

2010年の楽曲“テキーラ!テキーラ!”

 

〈民生さん、怖いっすよ〉

――先ほど少し話に出た8枚目のアルバム『サンシャイン』には、プロデューサーとして土屋昌巳さんと共に、憧れだった奥田民生さんの参加がありました。

「すごいことだよね! 自分が音楽をやるきっかけになるくらいの人にプロデュースしてもらえるミュージシャンって何人いる? 〈持ってるな〉って思ったよ。こんなことあるんだなって。民生さんとは人前でも一緒に演奏したし、すごく感動したね」

――実際に一緒に制作をしてみて、どんなことが印象に残っていますか?

「民生さん、めっちゃ怖いなって思った。イメージより、すげーこええなって。レコーディング中にご飯食べてるときに、〈民生さん、スタジオ入ってるとき怖いっすよ〉って言ったら、笑ってたけどね。

“サンシャイン”の歌入れの日は、緊張っていうよりも嬉しくて、どんなことを言ってもらえるのかなって思ってたんだけど、何回歌っても全然反応がなくて。で、直接〈どうですかね?〉って聞いたら、〈どうもこうもねえよ。いいだろ、はじめっから〉って言われて、〈え、美空ひばり方式のやつ?〉っていう(笑)」

『サンシャイン』収録曲“サンシャイン”
 

――録り直しはナシってことですか?

「そう。その後に〈ひとりカンタービレ〉を観に行ったんだけど、マジで美空ひばりタイプで、一発録りで直してなかったね。

だから、結局ほぼツルッと録って、どうしてもピッチ外してるなってところは、民生さんがトイレ行った隙にこっそり直した(笑)。終わった後で、〈お前はもう歌えてんだから、それでいいんだよ〉と言われて、〈初めから言ってよ、怖いよ〉っていうね。その代わり、オケはみんなで和気あいあいとしながら録って、そのときはUNICORNのときの民生さんのイメージだった。歌だけ怖かったんだよね。すごい勉強になったけど」

※奥田民生が2010年に行なった公開レコーディング・ツアー

――『サンシャイン』に関しては、“サンシャイン”も“青空”も好きなんですけど、個人的にはやっぱり“虹”なんですよね。髭のレパートリーの中でも、屈指の名曲だなって。

「あれは宮川くんとひさしぶりに2人でデモを作ってみようってなって、宮川くんがAメロのコード進行だけ持ってて、まだメロディーはなかったんだけど、その時点ですごくいい曲になりそうだなって思った。

その頃はメンバーと2人でゆっくりデモを作るってことなんか少なくなってたから、個人的に嬉しくて、その日にサビのコードも書いて、メロディーも歌い上げて、出来たときの気持ちが歌詞になった気がする。バンドが少しバラバラになりはじめてたから、それを繋ぐような、ハッピーな気持ちが乗っかって、あのときのマインドは“虹”の歌詞に多分に漏れてる気がする。俺もあの曲すごい好きだよ。ライヴでやってても、自分でグッとくることがたまにある。あのときの感じを思い出しちゃってね」

このままエジンバラまで飛べるよね
楽しい事ばかり続けばいいのにね

君もそう思うよね?
僕はそう思うね

あの虹の向こう側まで
連れてくよ 君を乗せて
雲の中を抜けた時は
起こしておくれ
確かめよう 時は満ちた
こわいものはなにもないよ
虹の向こう 着いた時は
僕を見ておくれ
僕を (“虹”歌詞一部抜粋)

 

トゲトゲした部分はソロ活動でやろう

――『それではみなさん良い旅を!』(2011年)からはレーベルを移籍したわけですが、コロムビア時代はバンドにとってどんな時期だったと言えますか?

「アイゴンさんもメンバーになって、途中から(佐藤)謙介も入ってきて、人数が多くなった分、一人一人の責任が軽減されて、みんな楽しそうにやってた時期ではあると思う。

その頃にはフィリポもコテも解放されてて、いい感じの距離感だった。まあ、別に仲悪かった時期なんて、ホントはないんだけどね。2人とも〈謙介がいるからドラム叩かなくていいんだ〉って感じ(笑)。〈喧嘩にならない〉みたいな、そんな感じだったと思う」

――謙介くんが入ってきた時点で、フィリポさんが脱退するっていうムードはあったのでしょうか?

「いや、それはまったくなかった。メンバー7人っていう、髭が一番多かった時期だけど、みんな30代に入ってたし、いい距離感がつかめるようになって、メンバーのいいところを尊重し合って活動しようってモードに入ってたと思うし。一回り上もいれば、一回り下もいて、ヴァラエティーに富んでたから、アイデアもいっぱいあったし。

初期のバンドのコンセプトからは外れてた時期だったかもしれないけど、アイゴンさんがイニシアティヴをとってアイデアを出してくれたこともいっぱいあって、それが心地いい時期だったかな」

――須藤さんもあくまでバンドの中の①パーツというか。

「そう、自分があーだこーだ言ってバンドを引っ掻き回すことに自分で疲れてたから、ジャケットとかも、アイゴンさんのアイデアに追随したりしてね」

――その一方で、ソロ・プロジェクトの須藤寿 GATALI ACOUSTIC SETでの活動が始まったのもこの頃ですね。

「〈俺はこっちで自分の言いたいことを言えばいいんだ〉って思えたから、ガタリ(GATALI ACOUSTIC SET)はすごくいいタイミングで始まったと思う。最初のきっかけは、コロムビアから〈ソロやったら?〉って言われたことだったんだよね。で、〈今やりたいかも〉って思った。

髭はぶつかり合うことなく、いい距離で作っていこうとしてたから、トゲトゲした部分は外でやろうって。初期メンバーは(長岡)亮介とgomesなんだけど、2011年に震災があって、ずっとACのコマーシャルが流れてたでしょ? ひとつ前が髭の“青空”だったけど、あのときはgomesがやってるFABの“魔法のように”がかかってて。〈この曲めっちゃいいな〉って思って、(スタッフの)コバちゃんに〈あの曲誰なんすかね?〉って訊いたら、〈俺関わってるよ〉と」

須藤寿 GATALI ACOUSTIC SETの2012年作『The Great Escape』収録曲“ウィークエンド”
 

――長岡さんに関しては?

「gomesを紹介してもらって一緒にやることになったら、不思議と亮介の顔が思い浮かんだんだよね。亮介とは前から交流があったから、gomesが鍵盤で、亮介がギターだったら、髭とはまったく別物になるなと。そしたら2人もすぐに賛同してくれて、アルバムを作ってたら、結局ドラムとベースが欲しくなって、亮介が伊藤大地を呼んでくれた。あとは知り合いだったケイタくん(ケイタイモ)でメンバーが揃って、今はもうバンドになりはじめてる。最近では他の4人の方がイニシアティヴを取ってたりするからね(笑)」

 

フィリポの脱退は、残念だったけどね

――髭の話に戻すと、2013年のアイゴンさんの〈勇退〉に続いて、2014年にはフィリポさんがバンドを脱退しました。メンバー間でもファンからしてもマスコット的な、アイコン的な存在だったこともあり、バンドの歴史の中でも一番の転機と言っても過言ではないと思うのですが、改めて、当時の状況を振り返っていただけますか?

「残念だったけどね、俺としては。フィリポと話して、辞めるって聞いて、〈もう一回考え直したら?〉とは言ったけど、〈でも、いいかな〉って言うから、無理に止めるものでもないし。泣いて騒いで止めたところでどうするって思ったから、〈そっか〉って。〈どっちの答えであっても、瞬発力で決めるもんじゃない〉って、斉藤くんが言ったのかな? それで、一か月くらい空けたんだけど、結局翻らなかったから」

――謙介くんが加入して、言ってしまえばバンドの中における音楽的な必然性は薄くなっていたわけじゃないですか? それでも、須藤さんとしてはフィリポさんにはバンドにいてほしかったと。

「そうだね。俺はフィリポとコテがいてこその髭のような気がしてたから。ただ、自分の存在意義が希薄になってるなってみんなが気づきはじめるポジションになってしまった人を、俺が留めようとするのはエゴなんじゃないかと思って、彼には彼の人生があるから、彼が決めるのがいいなって。

俺は残ってくれた方が嬉しかったけど、俺の思ってることが彼にとってもいいかと言えば、そうじゃないかもしれない。それだったら、バチッと切っちゃったほうが、お互い次に、新しく行けるかもしれない。そういう決断も必要なときがあるよね」

――その後は自主レーベル〈Creamy Records〉を設立して、2015年に現体制での初作『ねむらない』がリリースされました。

「フィリポがいなくなったことによって出来たのが『ねむらない』で、コテや謙介が叩いたりもしてるけど、ほぼ打ち込みに頼ってて、髭のディスコグラフィーの中でも少し異質な気がする。ノイジーなサウンドというよりは、ベッドルーム・ミュージックみたいな、少し穏やかなマインドで、それはガタリ(GATALI ACOUSTIC SET)の影響も加味してたと思う。静寂の中にある狂気というか、『ねむらない』はそういう表現だった。近作で言うと、あのアルバムほど自分が情熱を傾けた作品はなくて、かなりの野心作だったんだよ。

でも、作り終わって、あの先にバンドが見えなくなっちゃったというか、〈これバンドじゃなくてもよくね?〉ってなって、その反動が『すげーすげー』。髭的〈ゲット・バック・セッション〉とも言える(笑)」

『ねむらない』収録曲“ing”を演奏する2016年のライヴ映像

 

ロック・バンドが解散するなんて、今さら古い古い!

――最新作の『STRAWBERRY ANNIVERSARY』は、前作『すげーすげー』のテンション感を引き継ぎつつ、よりライヴ映えのする作品で、この曲順のままセットリストになりそうだと思いました。

「『すげーすげー』のツアーが終わって、来年は15周年だってなったときに、全国ツアーはやりたいなと。で、それをやるのにアルバムがなくていいのかって話で、『すげーすげー』が終わったばっかりで、急ピッチにはなるけど、せっかくだからアルバム作りたいねって、それが『STRAWBERRY ANNIVERSARY』のスタートだった。

だから、これまでのアルバムと比べると、インプットする時間もなかったし、〈機が熟したから〉とかじゃない。〈15周年〉を起因とするアルバムだから、イコール、自分たちの血肉になってるものしか出てこなくて、とても髭印のアルバムになったと思う。〈スッとやればこういうことになる〉っていうね。今はリハーサルでこの10曲を演奏することが多いんだけど、すぐ馴染むよ。いい感じにまとまってる」

――10月からのツアーが非常に楽しみです。

「今回のツアーはおもしろいことになると思う。もちろん『STRAWBERRY ANNIVERSARY』を冠したツアーだから、これがメインになるけど、残りの半分は、この取材で振り返ってきた15年のオールタイム・ベストみたいな選曲になると思うし、きっと今までのツアーになかったくらいのオールタイム・ベストなセットリストになると思う。だから、今の髭を楽しんでくれてる人も、これまでの15年の髭のどこかのタイミングを愛してくれた人も楽しめるセットリストになってると思う……いやあ、戻ってきましたね、今に」

――約2時間、ノンストップの取材でしたね(笑)。今回の特集では、まず宮川さん、斉藤さん、コテさんの3人のインタヴューが掲載されるんですけど、今のメンバー3人は、須藤さんにとってどんな存在だと言えますか?

「年を追うごとに大切な存在になってますね。元気でいてほしいし、無理しないでほしい(笑)。仲良くやることが目的ではないけど、これからも一緒に同じものを作れたらいいなって、単純にそう思う。20代の頃は宮川くんと毎日一緒にいたのに、今はバンドでしか会わないけど、でもどんどんみんな大事になってるなあ」

――お客さんに対してはどんな想いですか?

「それも同じかなあ。出待ちとかしてくれてたら、〈大丈夫? 寒くなかった?〉って、一人一人に言いたいもん(笑)。昔はそんなこと思わなかったけど、今は一人一人にありがとうって言いたい。そりゃあ、感謝ですよ。オーディエンスの人たちがいるから今があるわけで、そうじゃなかったら、どんな物事も続けることはできないから。全部相互関係だと思うけど、髭がチームとして続けていけるのは、みなさんのおかげなので、感謝ですよね」

――では最後に、15年目以降の髭の展望についても話していただけますか?

「今一番心配してるのはアレだよね、20周年のときの果物の名前(笑)。15周年は上手いこと言えたからいいけど、20周年も上手く言えるか、今はそれが俺の髭にまつわる一番の関心事(笑)」

――(笑)。つまりは、もちろん〈続けていく〉ということが大前提だと。

「もちろん。今回最初“STRAWBERRY ANNIVERSARY”を一曲目にしようとしたら、プロデューサーの(吉田)仁さんに〈これで解散しようと思ってるみたいだから、やめたほうがいいよ〉って言われて。

俺はドリフ的な気分で、〈歯磨けよ!〉的な気分で書いたんですけどって言ったら、〈でも、一曲目に持ってきたら、須藤くんの思ってる意味では取られないよ〉と。〈……確かに〉って思って(笑)。もちろん、そんなつもりは全然なくて、まずはとにかく『STRAWBERRY ANNIVERSARY』のツアーをバッチリ完走して、ゆっくりまた次の準備をはじめて、ずっとみんなで活動していければなって俺は思ってる」

――〈これで終い おしまい おしまい〉〈これぞグランド・フィナーレ〉ですからね(“STRAWBERRY ANNIVERSARY”)。誤解しちゃう人もいるかもしれない。でも、最後がフェイド・アウトで終わってるのが、〈この先もお楽しみに!〉っていうフィーリングを表しているように思います。

「(指をパチンと鳴らして)その通り! だって、今さらロック・バンドが解散するなんてダサいでしょ? どうせみんな再結成するんだから(笑)。今さら古い古い、だよ!」

――それ民生さんに言ったら怒られるかも(笑)。

「怒られる、怒られる! でもさ、ホント今さらロック・バンドが解散してどうすんのよ? たとえ解散しても、何も言わずに黙ってるね。いつでもまたやれるように(笑)」


Live Information

〈STRAWBERRY ANNIVERSARY TOUR〉
10月20日(土)神奈川・横浜BAYSIS
10月27日(土)兵庫・神戸VARIT.
10月28日(日)京都・磔磔
11月3日(土・祝)宮城・仙台LIVE HOUSE enn 2nd
11月10日(土)北海道・札幌DUCE
11月15日(木)福岡CB
11月17日(土)大阪・梅田CLUB QUATTRO
11月18日(日)愛知・名古屋CLUB QUATTRO
11月23日(金・祝)東京・恵比寿LIQUIDROOM

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