日本武道館を控えて初のベスト・アルバムをリリースーーこの情熱はどこから湧いてくる?
4月1日に10枚目のアルバム『話半分』をリリースし、来年1月11日の日本武道館ワンマン開催を発表した般若。同月の〈昭和の日〉にはSHINGO★西成+ZORNとの昭和トリオで『MAX』も投下し、さらにはDJ FUMIRATCHによる客演集ミックスCD第2弾『般若万歳II』も続くなど、旺盛な作品リリースには目を見張るものがあった。それもこれも年明けに控える大舞台を睨んでの動きに相違ないが、ダメ押しのリリースとしてキャリア初のベスト・アルバムが登場。直球で『THE BEST ALBUM』と題された今作には、初作『おはよう日本』(2004年)から『グランドスラム』(2016年)までのアルバム9枚から厳選された20曲に加え、初回限定盤には初ソフト化も多数含むMV集のDVDが同梱される。現在は廃盤の初期メジャー作品からの楽曲が聴けるのも親切だし、DVDには(当時MVがなかった)過去曲のMVを6本も新たに撮影して収録するなど、新規リスナーも長年のファンも無視できない作品と言えよう。
すべて本気で作ってきた
——リリースが頻繁ですけど、過去にこれだけのタイトルを出した年はないですよね?
「ないです。だからみんな記憶の片隅に、2018年に俺が何をしたか、後で思い返してくれよって(笑)」
——ただ、それ以前に、般若さんがベスト盤を出すこと自体が驚きでもあって。
「そうなんすよね。いや、〈ベストなんて出さねえ〉みたいなことを、たぶん言ってたと思うんですけど(笑)」
——はい(笑)。
「〈全部ベストのアルバムだ〉とか言ってきたんですけど、武道館前に〈みんな、おさらいしてくれ〉ということです。2004年から約14年かけて10枚出してきて、まあ、すべてのアルバムを聴いてる人っていうのが少なくなってきた気がするんですよ。もちろん全部聴いてくれてる人たちがいることもわかってるんですけれども、いまはもう、〈はじめまして〉の人もたくさんいると思うんで」
——リスナーが入れ替わった部分もあるでしょうし。
「ねえ、特に『フリースタイルダンジョン』以降で知ってくれた人とかは、初期の作品とかって、まあ“やっちゃった”(2005年)とかは知ってるかもしれないけど、まったく知らない人が多々いるのもわかるんで。あと、初回限定盤のDVDでは昔の曲のMVを作ったんですけど、6本を約10日ぐらいで撮影するっていう狂ったスケジュールでした(笑)」
——選曲はどのようにして?
「一応ホームページ上で募ったんですよ。で、〈まあ、だいたいこのへんだよな〉っていうところを把握しつつ、それをそのまま反映させるのもまた違う話なんで、みんなが納得しそうな部分と、〈あ、それ入れるんだ?〉っていうところの真ん中で選びたかったんですよね。あと俺が入れたかった曲もあったし、レーベル的に〈入れたほうがいいんじゃん?〉みたいな曲もあったり、絞って絞ってこの内容になりました」
——『根こそぎ』(2004年)からやや多めですけど、各アルバムからほぼ満遍なく収録されていますね。ファンの方の集計で言うとどのあたりが上位でしたか?
「初期だと“やっちゃった”“サイン”“心配すんな”あたりは入ってましたね、はい。ただ、“はいしんだ”然り、“あの頃じゃねえ”然り、世代で分かれてるのかもしんないですけど、けっこうバラけてました」
——逆に応募とは関係なく、般若さんが初めから入れたいと思ってた曲というと?
「正直言うと全部入れたかった曲ですけど、“向こう側”とか“世界はお前が大ッ嫌い”とかですね。“家族”も入れたかったし、あとは“船は揺れている”も。“タイムトライアル”は入れるべきかなと思ってました」
——その“タイムトライアル”(2004年)は今回いちばん昔の曲になりますけど、当時の記憶と結び付いていますか?
「そうですね~。ちょうどあの頃ビッグスクーター、バイク乗ってたんですね。夜中に赤坂の付近とかをバイクで通ってて寒かったな~とかね、翌年に事故ってバイクがなくなるんですけど、ホントに金がなかったこととか。〈そうだよな、こういう気持ちだったよな〉とか。まあ、うまくいってなかったんで、この頃(笑)」
——昔の日記を開いてしまったような。
「それは否めないですね(笑)。俺はホントに自分の曲聴きたくない派なんで、良し悪しっていうより、恥ずかしいものは恥ずかしいんで(笑)。でもまあ、すべての曲に思い入れあるし、やっぱ本気で作ってきたんで、いろいろ思い出しましたよ。その頃の空気感だったりとか、時代背景だったり、どこに住んでたとか、人間関係だとか」
——良くも悪くも恥ずかしいものだったりはします?
「まあまあ、それは言い出すとしょうがないですよね。俳優さんが最初の出演作を恥ずかしくて観れないみたいなのと一緒だと思います。まあ、自分で作品として完結させて、自分で決めて世に出してるものなんで、そこの後悔はないっすよ。うん」
——一方、MV集はCDとまた違う選曲で。
「はい。ここも考えましたね。新しく撮影したものは、映像ありきでやりたかった曲で。てか、もう14~5年前の曲を、いま撮影するってなかなか凄いですよね? これ誰もやってない気がするんですよ」
——そうですよね。でも“サイン”のMVなんかは特に、最近も組まれてる金允洙さんが監督だからかもしれないですけど、知らなければ〈最近の曲かな?〉みたいな。
「それ、MV観てもらった人に同じようなこと言われたんで、けっこう正解の部類に入ったのかなと思ってます。思い返せば“サイン”はライヴでいちばんやってる曲なんですよ。それをいま撮るってどういうことだよ?って話なんですけどね(笑)」
——あと、“スーパースター”では山本“KID”徳郁さんの映像が使われています。
「そうですね。まあ、いまでも本当に信じらんないっすけど、この曲を作った頃にはバリバリ現役でやってた人がこうなって時代を作った人だし、間違いなくスーパースターじゃないですか。そこでもう勝手なお願いごとなんですけど〈無理でなければ〉ってお話しして、ホントいちばん大変な時期にKRAZY BEEの方々が了承してくれて、こういう形になりましたね。俺、この曲の歌詞をたぶん変えると思うんすよ。KID君の名前を入れようって決めてる場所があるんで。あの人はやっぱ格闘技界だけじゃなくて、僕らの心の中にずっといる人だと思うんですよね」
——すごく悪い言い方かもしれないですけど、タイミングが合ってしまったというか。
「実際のことを言うと、“ゼロ”のMV撮影中にそれを知ったんです。何か、それも凄い感慨深かったですね」
この日しかねえぞ
——あと、曲の並びが年代順なのもあって、時代の流れも感じられるなと思いました。
「あ、それは最初からそうするしかないなって思ってました。年代順に聴いてもらわないと何か違うなって」
——だから受け手の話ですけど、『BLACK RAIN』(2011年)前後の曲は、特に当時の雰囲気を思い出すというか、言葉に染み付いてる空気感があるというか。
「そうですね。やっぱ曲で言ってることも、〈3.11〉の前と後って違うし、何かがやっぱ分かれてますよ。10枚出してて『BLACK RAIN』が6枚目で。不思議ですね、1枚目から5枚目と、その後の〈3.11〉以降で、ちょうど半分ずつなんですもんね、俺も」
——長くやってきた感慨はありますか?
「まあ、俺はやりたいからやってるだけですけど、40歳の年でベスト・アルバム出すとは思わなかったですね。ただ、やっぱ、ここからはここからの戦い方があると思うんですよ。20代~30代と、特に20代は突っ走ってきて、でも、40代には40代の戦いが今度はあると思うんで」
——それをどう呼ぼうが、最後は個々の表現ってことになりますもんね?
「はい。もう自分が思うライヴ、自分が思う表現をひたすら貫いていくことしかできないし、もうそれに尽きると思うんですよね。ホント目の前にある人生に集中することしかできないっすよ。だから、とにかくいまは日本武道館が目の前にあって、そのためにここまでやってます。それが終わった後ですね、戦いは。俺の尊敬する人が〈ゴールはスタートだ〉って言ってて、〈その通りだな〉って思ってますよ」
——武道館もゴールはゴールだけど、キャリアのゴールではないですからね。
「その通りです。キャリアを終わらすことができるんだったら、それこそ『根こそぎ』ぐらいで終わるのがいちばん良かったんじゃないかな。ただ、あそこで終わってたら、もうヒドかったと思いますね(笑)。もちろん〈もう辞めよう〉と思ったこともありましたし、何度も何度も挫折してますけど、やっぱ〈もっと良い曲作りたいな〉とか凄く思うし。まあ、自分はまだまだなんでゴールがどこかはわかりませんけども、〈もうこれ以上の曲は作れない〉〈いま以上の自分が見えない〉っていうなら、それが辞め時なんじゃないですかね。創作意欲があるうちはまだだと思うんですよ。やっぱり過去を消していきたいっていう衝動に駆られて作ってるんで(笑)」
——なるほど(笑)。
「でも、ひとまずベストを聴いてもらって、何か少しでも感じるものがあったり、自分のアンテナに触れるようなことがあったりしたら、ホントに日本武道館に来てもらいたいですね。まあ、俺は才能ないから20年かかったし、20年かかってやっとだから、もうこの日しかねえぞっていう。だから1月11日、武道館で待ってます。絶対忘れられない夜になると思うんで」
般若の2018年のリリース。
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