2016年に国内7都市を巡った〈イ・ランと柴田聡子のランナウェイ・ツアー〉の1か月後に録音されたという本作。奇しくも柴田の新作『がんばれ!メロディー』と同時期に届けられた。

イ・ランは以前、柴田との対談で「柴田ちゃんは友達だけどラヴな感じ、セックスはしてないけどラヴなんです」と語っている。それほど仲の良い(良すぎ?)2人だけに、『ランナウェイ』は親密で軽やかで自然体な作品だ。普段着の2人が自然発生的に生まれた曲たちを格好つけずに歌っている――そんなムードが本作には漂っている。

本作を構成しているのは、基本的にはアコースティック・ギターと歌だけというシンプルなもの(不思議なパーカッションの音やチェロ、ピアノの音も聴ける)。けれどもそれらの音は、ありがちな素朴さやオーガニックなムードへと落ち着いてはいない。むしろ、落ち着きがない。

韓国語と日本語が入り乱れ、響き方や伸び方がまるで違うイ・ランと柴田の歌が重なり(凛としたイ・ランの声と柔らかい柴田の声)、カラッとしたユーモアが絡まり合う。結果として〈調和しないハーモニー〉というか、一方の個性がもう一方の個性を際立たせるような音楽になっている。

もちろんこれは比喩だが、2人が主旋律であると同時に、互いにカウンター・メロディーでもある感じというか……。溶け合ったり、一体化したりするのではない。強い個性を持った歌声が、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら交錯している。ありがちな表現をすれば、イ・ランと柴田の共作は〈1+1=∞〉な豊かさを生んでいるのだ。

そこで重要なのは、先にも書いたユーモア。それは、掛け合いが聴ける“바보 깔때기(バカ 漏斗)”やパンソリ(韓国の伝統芸能)風の“おなかいっぱ~いです(배불러~요)”といった曲を聴けばわかるはず。常識(だと僕たちが思い込んでいること)や固定観念、決まり事をするっとすり抜け、ずらしてみせること。それがユーモアの役割であり、その豊かさを『ランナウェイ』は教えてくれる。

副読本にはイ・ランのエッセイ集「悲しくてかっこいい人」をぜひ。

※このレビューは2019年2月20日発行の「intoxicate vol.138」に掲載された記事の拡大版です