かつては〈カリブ海のキャプテン・ビーフハート〉とも呼ばれ、ジャズやラテン、ヒップホップやブルースなど雑多な音楽を飲み込み、コラージュした唯一無比の音楽性が高く評価されてきた北里彰久のフリーフォームなソロ・ユニット、Alfred Beach Sandal。
2013年のアルバム『Dead Montano』前後からトリオ編成のバンドを軸に、その表現を進化させてきた彼だが、豊潤な音楽性をブラック・ミュージック由来のグルーヴに集約した2015年の前作『Unknown Moments』リリース後、バンド形態を離れて、たった1人で自身の音楽世界の探求を再開した。その過程で、以前からコラボレーションを行っていたプロデューサー/MPCプレイヤーのSTUTSとの共作ミニアルバム『ABS+STUTS』(2017年)をリリースし、メロウ・グルーヴに映えるドリーミーな歌心で幅広いリスナーの支持を獲得。その後、長期に及んで自身の制作を進めていくなかで、よりパーソナルかつミニマルな作風へと変化したことにともない、Alfred Beach Sandalから本人名義の北里彰久に変更し、4年ぶりのアルバム『Tones』を完成させた。
前作に続きzAkをエンジニアに迎えた本作はギターの弾き語りを軸に、自身でさまざまな楽器を演奏する一方で、STUTSをはじめ、ドラムの光永渉、ベースの池部幸太、フルートの山本紗織からなる親交の厚い4人のサポート・ミュージシャンが参加。彼のインナーワールドを再現するべく施された無駄のないアレンジ、それによって生まれた音の間を、風のような歌が開かれた世界へと吹き抜ける2019年屈指の名作アルバムとなった。この作品で彼が孤独と向き合い、具現化したかった音楽世界とははたして?
個として生きる決意が北里彰久へと改名させた
――新作『Tones』はソロとしては4年ぶりのアルバムです。
「前作以降、新曲を作ってはいて、4年前の時点で“出発”と“夏のさなか”といった曲はすでにあったんですけど、アルバムをどうまとめるか考えながら制作を進めていたということもありますし、途中でSTUTSとのプロジェクトを始めて、その間は自分の制作を中断したこともあり。それから根本的な話として、自分の曲は集中的に取り組んで一気に作り上げるものではなく、時間を置いて、飛び飛びに生まれてくるものだったりするので、気がついたら時間がかかってしまいました」
――そして、音楽的には、ラッパーの5lackをフィーチャーした前作がヒップホップをはじめ、ブラック・ミュージックへの傾倒をトリオ編成のバンドで具現化したアルバムでしたが、名義を本名の北里彰久に変更した今回はSTUTSや楽器奏者をゲストに迎えつつ、バンド色が払拭されています。
「振り返ると、それまでの自分はずっとバンドがやりたくて、メンバーのアイデアを曲に入れることを前提に曲を作ってきたんですよ。2009年にCD-Rで出した全編弾き語りの最初の作品『Alfred Beach Sandal』もそう。それ以前にやってたバンド、MOXA DELTAが自然消滅して、自分としてはその後も音楽を続けたかったから、どうしようかと考えたとき、〈一緒にやろうよ〉と誘える友達が周りにいなかったので、とりあえず一人でやるしかない、と。ただし、シンガー・ソングライターとしての活動もピンと来なかったので、自分以外の誰かが参加することを想定して、Alfred Beach Sandalという名前のフワッとしたソロ・プロジェクトとして活動を始めたんですよね」
――その言葉通り、2011年の次作『One Day Calypso』からはゲスト・ミュージシャンを多数迎えた作品を発表するようになりましたもんね。
「だから、前作『Unknown Moments』もそのときにやってたトリオのバンド、そのメンバーのパーソナリティーを反映させた結果、ブラック・ミュージックに向かっていったんです。でも、その後、自分のなかでトリオ編成が上手く機能しなくなってしまった。とあるライヴのときに歯車が狂ったように感じた瞬間があったんですよ。サッカーに置き換えると、演奏していて気持ちがいいときは走り込んだ先にパスが出て、ボールを蹴り込むことができるんですけど、それが複合的な要因でズレてしまった気がしたんです。
あとは、バンドが音楽の進化、発展を目指して転がっていけばよかったんですけど、それがいつからかバンドを維持するために音楽をやるということになってしまった気がして、〈何で音楽やってるんだっけ?〉と思うようにもなった。だから、バンドでの活動をいったん止めてみようかなって。当初は、またやりたくなったらやればいいやと軽い気持ちで考えていたんですけど、実際に止めてみたら、思いがけず新たな道が開けた手応えがあって、そのままバンドでの活動はやらなくなってしまいました」
――これまでのAlfred Beach Sandalは、作品やライヴにおいて、歌における肉体性や独自なタイム感の追求、わかりやすく言えば、グルーヴを極めることが大きなテーマの一つでしたし、それをわかりやすく伝えていたのがバンドという表現形態だったと思うんです。そこから離れるということは、ご自身にとっては劇的な変化だった?
「トリオでの活動を止めて、曲を作りながら、次作の方向性を模索しはじめた時点で、歌を軸としたアコースティックな作品のイメージはぼんやりとあったんですけど、これまで自分が追求してきたテーマを1人でも形に出来そうだなと思えたことが今回の制作を推し進めていくうえでは大きかったですね。実際のところ、今回のアルバムは完全に1人で作ったわけではなく、バンド編成の曲も3曲あるんですけど、それでいて、他人のアイデアが入っている割合はこれまでの作品と比較すると圧倒的に少なくて、自分が最初に用意したデモをなぞって演奏してもらっている部分が大半なんです。
もっとも、そのデモを1人で完成させられるようになったのは、これまでいろんな人と演奏してきた経験が大きかったですし、『ABS+STUTS』の制作で見た、かなりの部分を自分でコントロールして、トラックを徹底的に構築するSTUTSのやり方もヒントになりました。だから、自分にとってバンドからソロに移行したことはそこまで大きな変化……いや、でも、バンドでやることを諦めたのか。人は1人で生きていくしかないって(笑)。だからこそ今回、Alfred Beach Sandalから本名の北里彰久に名前を変えたんですよね」
他者という鏡に映し出された自分を見つめる新作『Tones』
――今回の作品は、ギターの弾き語りを軸に、北里彰久のインナーワールドを具現化するべく、アレンジはストイックで一切の無駄がないですよね。個人的にはデヴェンドラ・バンハートやマック・デマルコにも影響を与えたと言われているブラジルの奇才、トン・ゼーの〈サンバ学習〉(76年)を想起させるミニマルな作品世界だな、と。
「そうですね。いままでのように、曲を発展させるためのスタジオでのジャムはほぼなくて、どちらかといえば細かいアレンジを確認するためや曲を再現するための練習でしたし、今回、STUTSにお願いした作業も『ABS+STUTS』のときとは違って、マニピュレーターに近いもので、僕が自分でほぼ決めたドラムのフレーズをそのままのパターンで打ち込んでもらうというような作業だったんです。
アルバムのテーマはこれといって設定しなかったんですけど、個人が個人としてあって、そこにいる他者との関係性を書き続けてきて、じっくり向き合った他者が鏡となって、映し出された自分のことを深く考えることになった。今回、そうやってインナーワールドを追求することで作品世界がどこまでも広がるような気がしたんですよね」
――かつてのAlfred Beach Sandalは自らの音楽性を〈雑多なジャンルをデタラメにコラージュした~〉 と形容していましたが、このアルバムは音の間を活かしたアレンジによって生まれた奥行きを満たす響きが多様な音楽性を感じさせつつ、楽曲としては一筆書きに近いような印象を受けました。
「音が鳴ってない隙間もちゃんと鳴らしたかったんです。そうすることによって、奥行きが生まれて、音楽が豊かになるんじゃないかなって。その点、前作『Unknown Moments』は自分のなかでやり散らかして、グチャッとなっている印象があったし、自分以外の音が入るときにはどこかから切り取ってきたものを素材として重ねるという感覚があったんですけど、このアルバムは、それぞれの音の意図を自覚して、曲を作ったので、確かにコラージュっぽくはないですね」
――そして、ミニマルな作品であるからこそ、『Unknown Moments』に続いてエンジニアを務めたzAkさんの果たした役割が際立っていて。その場の鳴りを極力活かしながら、要所要所で歌詞に対応したサイケデリックなエフェクトのかけ方にぐっと耳を惹きつけられます。
「言葉で説明しなくても感じ取って反映してくれるところにzAkさんのすごさがありますよね。振り返ると、zAkさんのスタジオではお互いのヴァイブスを確認し合う時間があるんですよ。まず、スタジオに着いたら1時間くらいは美味しいパンを食べながら、音楽に関係ない世間話をなんとなくするんです。曲の意図を説明したりするとその後の作業が変わってしまうというか、つまらなくなってしまうから、そういう時間でお互いのテンションやムードを感じ取っているんでしょうね。
zAkさんにお願いすることは早い段階から決めてましたし、漠然と思い描いていた自分のやりたいことがまず最初にあって、作業を進めながら、〈やっぱり間違いなかったな〉と確信を深めていったというか、最初にイメージしたものがそのまま形になったところが多かったですね」
ボサっぽくて、ゆるいアルバムですねと言われたらムカつくかも
――音楽的には、ギターの弾き語りを軸に、フォークやブルースの要素も織り交ぜつつ、ブラジル音楽からの影響が色濃いのかなと。
「自分が作る音楽は基本的にギター・ミュージックだと思うんですけど、トリオ編成のバンドではバランスを取るためにエレキ・ギターを手にしていたのに対して、自分の歌と楽器ということになるとやっぱりガット・ギターになるんです。あと、歌くらいシンプルな表現のほうが自分は没入出来るというか、電気を通して、アンプを鳴らすエレキ・ギターは音が出るまでにいろんな回路を通過することもあり、自分にとっては扱いが難しくて、ジャーンと弾いたら、そのままジャーンと鳴らしたいんですよね。
そういう意味において、ギターと歌のグルーヴが主体になっているボサノヴァやブルースは自分にとって大きな意味を持つ音楽ですし、今回のアルバムは意識してそうしたわけではないんですけど、結果的にブラジル音楽の影響が色濃く表れた作品になっていますね。でも、なんでなんだろうな。あ、そういえば、レコーディング中、数少ない具体的なキーワードとして、〈70年代のブラジル音楽のコーラスワーク〉という単語を口にしてましたね」
――そうなんですね。ただし、涼しげなフルートやSTUTSのリズムをフィーチャーした“Easy Tempo”をはじめ、響きこそ軽やかですけど、一音一音、一言一言の密度が濃厚で、質量がズッシリしている。
「確かに。〈ボサっぽくて、ゆるいアルバムですね〉って言われたら、〈どれだけ俺が家で同じ場所に座って、ギター触ってたと思ってんだ〉って、ムカつくかもしれない(笑)。ヴォーカル録りにしてもホントは誰もいてほしくないし、誰かと会話するとダメなんですよ。会話したあとに録ると歌も会話みたいに、よそ行きの声に変わってしまうので、誰かを意識していない状態で歌そのものを録ろうとかなりこだわったんです。
ディアンジェロもヴォーカル録りのとき、スタジオ内にテントを立てるらしいですからね。その気持ちはよくわかる。人がいると、ちょっとした歌のタイミングもすごく変わっちゃいますからね。聴いてる人にとってはわからない程度の、ホントにちょっとした違いなんでしょうけど、やってる本人としては、そういう細かい部分がどうしても気になってしまう。だから、曲によっては、家で1人で録ったヴォーカルのテイクを使ったりもしていますし、ヴォーカルだけじゃなく、自宅で録った曲の素材もそのまま活かしたりもしてますね。そうすることによって、曲の次元が一辺倒にならないというか、次元の異なる要素が共存することでおもしろい音像になったんじゃないかなって」
――3曲目の“チークタイム”も曲の間奏が始まるタイミングでドアがギーッっと鳴る音が入ったりしていますもんね。
「まさにそのタイミングで人が来てしまったんですよね。歌に被らない絶妙なタイミングだったので、zAkさんも音処理をして、その部分を活かしてくれたんです」
音楽のいいところは、時間の流れが均等でないこと
――その音によって、聴き手は歌詞で描かれている時空から別の時空に一瞬飛ばされる。そういう〈飛び〉の感覚は歌詞単体にも当てはまることで、1曲目の“子午線”では冒頭で〈触れるそばから輪郭は消え〉と歌っていますけど、今回の歌詞は描写が省かれていて、輪郭がぼやけているというか、描かれた対象の強い存在感が希薄だな、と。
「ああ。そんなに強い単語は使いませんでしたし、歌詞を書く際には自分と誰かの間で醸し出されるものをずっと思い描いていましたからね」
――そして、6曲目の“夜光のスケッチ”は望遠レンズから見える光について歌っていますけど、その光が放たれてから届くまで何億年もかかっていることを意識させることで、時間の感覚がグニャッと歪みますし、7曲目は“出発”という曲名を付けながら、目の前で開けていく景色を描くのではなく、曲の冒頭から来た道を振り返っていて、空間把握が狂わされたりする。
「2017年は半分沖縄に住んでるくらい、東京と沖縄を行ったり来たりしていた時期があって。〈ここではないどこか〉は音楽のモチーフになることが多かったりするし、自分もそうだったんですけど、東京と沖縄を行き来するなかで、〈ここではないどこか〉を妄想するということは〈自分がいまいるここ〉を考えるのと一緒だなって思ったんですよ。それは〈わたし〉と〈あなた〉の関係性についてもそう。
〈あなた〉のことを描くということは〈あなた〉に映し出される〈わたし〉を描くことだったりするし、このアルバムで描いた〈あなた〉は人だけじゃなく、音楽だったり、友達と過ごしたいい時間だったり、そういう抽象的なものも〈あなた〉として考えたりもしているんですよ。そうやって自分の内と外を行き来したり、時間の流れも均等に流れず、急にズーンと遅くなったり、スピードを上げて加速したり、そういう表現が音楽のいいところだなって思いますし、強いて言うなら、自分にとってサイケデリックな感覚があるとしたら、過去、現在、未来の時制や、こことかあそこの空間がギュッと一箇所に固まっちゃってる、そういう揺らぎのある表現なんですよ」
――ヴァケーションの終わりにバカンスの続きを妄想する5曲目の“エンドオブヴァケイション”、いなくなった人が象徴する過去と未来を行き来する9曲目の“Fortune”とか、このアルバムにはそういう揺らぎがあちこちに散りばめられていますよね。
「自覚的に書こうと思ったわけではないんですけど、結果的に14、15曲書いたなかからそういう曲を残しましたからね。アルバムをまとめる際に頭の片隅でうっすら意識はしていたと思います」
――音数が多かったりすると聴き手の意識がアレンジや演奏に向かったりもするところ、今回の楽曲はミニマルであるがゆえに、その繊細さが際立って聴こえます。そのわずかな揺らぎや差異を追っていくとミクロコスモスがマクロコスモスに通じていくような、そんな作品なのかな、と。
「レコーディングの進め方として、実験的なことはまったくやっていないんですけどね。意識していたことといえば、楽器のタッチや歌の繊細な響き、そして、どういう音と言葉をどこに置くか。それによって、スコーンと曲の奥の奥まで見えるように、その精度を高める作業はずっとやってましたね」
――では作品の奥の奥に何が見えるのか。
「何が見えるんでしょうね。アルバム・タイトルの『Tones』は〈音色〉という意味ももちろんあるんですけど、〈色の調子〉という意味もあるし、自分としては関係性のなかで変化する温度感や、輪郭のないものも意味していています。そういう目に見えないものにフォーカスしようとしたアルバムなんだと思いますね」
LIVE INFORMATION
北里彰久『Tones』release tour
2019年7月28日(日)長崎coffee and clayworks 笠 ※アコースティック・バンド・セット
2019年7月30日(火)福岡 正屋本店 ※アコースティック・バンド・セット
2019年9月1日(日)兵庫 旧グッゲンハイム邸 ※バンド・セット
2019年9月14日(土)東京・青山CAY ※バンド・セット
北里彰久『Tones』 発売記念 アコースティック・ミニライヴ&サイン会
2019年8月8日(木)タワーレコード新宿店 7Fイヴェント・スペース